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和尚さんの法話 「運命」

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自業自得というのが原則ですから。
この世で良いことをして良い運を掴む。
この世で良いことをしたので、この世で良いことに出会った。
この世で悪いことをしたので、この世で悪いめにあった。
これを順現業といいます。
ところが、この世で行った善悪の行いが、何もこの世で報いてこない。
ところが、次に、次というのは死んであの世です。例えば地獄。
この世では悪いことをしたが、あんな悪いやつがあんなぬくぬくとうまいことをして、仮に死んだという人が仮にあったとして。
その人は、その報いはここで受ける。
地獄、餓鬼、三悪道というのがありますね、そういうところへ行ったというのが次のあの世で受ける。
これを順次業といいます。

その次が、この世でも報いない。あの世でも報いない。そしてもう一遍人間界へ生まれ変わる。
その人間界へ生まれてきたときに、幸福に生まれてくるか、不幸に生まれてくるかと、或いは途中で不幸になるとか、途中で良いめに逢うとか一生というのはある程度は長いんですからね。
そういうふうにこの世で行ったことが、死んであの世でも来ない、次に生まれてきたときに受けると。
これが運命ですわね。

その運命の原因が前世で行ってある。
ここで出てくるのは縁と、果ですね。
そしてまた生まれてきて、また死ぬ。また生まれてきて、また死ぬ。これを繰り返してる。
そしていつかのときにその因が報いてくる。
この四とうりあるということを肝に銘じておくといいですね。

兎に角、我々は前世で行ってきたことが分からないですよね、凡夫ですから。
お釈迦さんとか、目連とかそういう人だったら、いわゆる超能力という通力がありますから、これは何でやろうと思うことがあったら、ああ、こういうことだったのかと、だから今それが来てるんだなと判る。
ところが我々は分からない。

然しながら、善因善果、悪因悪果というのが、それが法則なんですよね。
今が幸せだったら前世が良かったんです。
不幸だたら前世が悪かった。
そういうふうにとるのが仏教の因縁因果ですね。


これもお話をしたかもしれませんが、千本鞍馬口のくぎ抜き地蔵さんがありますが、あのお地蔵さんの云われというのが、或る人が病気になって、人からお医者さんへ行っても治らん病気だったら、あそこのお地蔵さんに頼んでみなさいと言われた。
弘法大師さんが中国から帰ってきて刻んだお地蔵さんやから霊験あらたかやから頼んでみなさいと。
それで、一所懸命にお地蔵さんに頼んでたんです。
そしたら夢にお地蔵さんが現れたんです。

「おまえの病気は前世の業病だ」と。
今のこの現世じゃなくて、生まれてくる前の前世にある業を積んだ悪業ですわね、この報いで病気という結果が出てるんです。
前世の悪業による病気だから、医者や薬では治らない。
その業が消えないと病気は治らないわけです。
仮に、ある病気が起こってきて、お医者さんが手術をするとしますわね、決してその手術はうまくいかんはずですよ。

或いは、一時はそれが良くなってもまた病気が起こってくるとかね。
業がある間は、いくら医学が良くなってきたって、治らないんです。
この人は、一所懸命にお医者さんへ通っているけど、病気は治らない。
昔のお医者さんですけれどもね、この話しは何百年も昔の話ですから医学もすすんでいませんでしょうが、その当時のあらゆる医学の手を尽くしたことと思いますが治らん。

前世の業による病気やから治らんのですが、ところが業にも上中下があるわけです。
完璧に深い業と、差ほどでもない業と、いろいろあるわけです。
おまえの業は、これからの心掛けによって、行いによって、その業は私がその業を脱ぐってやれるんだと。
これは信仰ですわね。

おまえの行いの如何によって、その業を脱ぐってやれるとお地蔵さんが言ってくれたんですね。
そのためには、その業を脱ぐってもらいたかったら、私とひとつ約束をしなさいと。
はい、どんな約束でも致します。
そうか、それならば忘れるなよと、そう難しいことを言うんじゃない。
ほんの些細な功徳を一生続ける。善いと思うことを一生続けること。
それだけだと言うのです。
たいしたことをするんじゃないんだと、小さいことを、功徳を重ねていく。
それを約束するんならその病気を治してやる。
必ず致します。
ところで、おまえは前世でどんな業を積んできたのか知りたいと思うだろうから、教えておくが、人を恨んで祈り釘を打った。

祈り釘ですから、つまり人を恨んで殺そうとしてやっているわけですからね。
まあ言うならば、その人が頭を叩いたわけでもないし、影でやっているわけでしょ。
だからその人に対しては、心でやっているわけですわね、殺意をもってやっていることですわね。
その殺意が心の業になるんですね。
その報いによって、体が釘でも打たれるように痛むんだということです。
然し、約束を果たすならばその業を脱ぐってやる。
それからそのお地蔵さんはくぎ抜き地蔵になったという云われです。

こういうふうにお地蔵さんに具体的に教えていただいたら、自分は人を呪って祈り釘を打ったんだなと判りますよね。
ところが我々は分かりませんよね。
なんでこんなになっているんだと思うわけですわね、我々は。

これだけ信仰しているのに、悪いこともしてないはずやのにと思うわけですが、延々と生死を繰り返してきてるんですから、ずーっと過去の業も出てくるわけですからね。
今のこのくぎ抜きさんの人は、お地蔵さんも聞いたって、そんなものはあるかと言うて信仰もしない人だったら、もうそんな夢のお告げもないし、おそらくはその病気も一生続いたと思いますね。
業病やから医者や薬では治らんとお地蔵さんが言うたんやからね。
そういう場合には信仰とか、陰徳によって病気は治るんですよ。
そこに運命は自分が作っているんだと、或いはこれから作るんだということですね。だから運命を良くしようと思うなら信仰をなさいませよと、言うわけです。


次にお話しますのは、易者の言っていることなんですが、その人の体験談です。
「自分は生涯に二つの大難があり」 と、書いてある。
自分は過去において、ふたつの大きな大難があると、一つは、剣難の相、ひとつは幾つのときに剣死の相。そのふたつの大難があったと。
その易者は、はじめは易者じゃなかったんです、浪人だったんですね。
あんまり運が悪いので、うだつが上がらんので何か良いことでも言うてくれんだろうかと思うて、或る易者をたずねていった。
あなたは、一生うだつが上がらん。そこへもって大きな大難が二つある。
幾つのときに剣難の相があるが、これは助かる。
更に幾つのときにも剣難の相がある。これが危ない。
おそらく、これは助からんだろう。
そう言われたんですが、そのときは冷やかし半分で行ったから信じていなかったんです。

ところが最初の剣難に遭うたので、びっくりして、言われたその歳にちゃんと出遭ったから。
次は死ぬと言われてるので、それで改めて行ったらそのとうりだと。
これは何とか助からんのですか。
いや、助からん。
然し、なんとか助けてほしい。
作品名:和尚さんの法話 「運命」 作家名:みわ