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和尚さんの法話 「運命」

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だから女性の側から見たら悪いと卦がでますわね。
ところが、こそ男性の方から見たらこの女性は辛抱強くて優しくてよく出来た人だか
ら、相手の側から見たら良いという卦が出ます。
だから相手が良いと言うてますというても当てにならんということになります。
そういうことがありますから、相手が卦を見てもらって良いという卦が出たといっても、それは当てにならんということです。

或る檀家さんのお母さんが和尚さんのところに尋ねてきて娘さんの縁談なんですが、先ほどの話しと同じように、惜しい縁だというんです。
ところが悪いという卦が出た。
見かけは良く見えるのでしょうけれども、これは悪いからやめときなさいと和尚さんがいう。
良いのにも上中下があって、悪いのも上中下があるけれど、これは悪い中の下ですと。
そうですかと言うてその日はそれで帰ったんです。
それから一月ほどたって墓参りに来て、和尚さん、もう一遍見て欲しいというわけです。

何遍見ても同じですよね、一月くらいたってもそう変わるものじゃない。
頼まれるから、また見た。
やっぱり悪いという卦が出た。
卦の形は違うけれども悪いと出た。
これはもう二回見て悪いと出たんだから奥さん、もうこれは止めなさいといった。
自分の子供だったら絶対にさせませんよと。
それでもまだ諦めきれずに、どう悪いんですかと聞く。
何が悪いんですかと聞かれても和尚さんも判りませんけれども、まあ一遍見てみましょうということになった。

それで時間をかけて探ってみたら、短命ということが判ったんです。
ところが相手の人は、船に乗る人で身体は丈夫だというんです。
年齢も26か、27歳で体格も宜しいというわけです。
然しまあそれは年齢も若いし、身体も上部だというんだから常識ですわね。

ところが船に乗ってるとうんですね、その船は遠洋に出て行くような大きな船で、行く行くは船長になることに決まってるわけです。
ですから、短命と卦が出たんだから遠洋に出てると嵐にあうこともあるでしょうし、船がひっくり返るということも考えられますね。
そうなるかどうかは、判りませんけれども短命という卦がでてる。
ところが結婚したんです。
そしたら、半年で心臓麻痺で死んでしまったんです。
だから運命というのは、あるんですよ。
その相手の男性は病気で死ぬということは、それだけの寿命しか持ってないんですね。
この人は26歳の命しか持って生まれてないということは、これは偶然じゃないんですよね。

それを仏教でいうと因縁というんです。
つまり、この場合の短命というのは結果ですよね。
結果には必ず原因があるわけなんです。
因縁という言葉を別の言葉でいえば因果といいますね、この間に縁というのが入ってくるわけなんです。

因縁ということは、因プラス縁ということですね。
だから因縁というても、因果というても一緒ですよね。
この結果が現れるために因と縁とがあるわけです。
この因というのが根本原因ですね、穀物とか植物でいうと種ですね。
種というものが、眼を吹き成長するためには縁がないと、朽ちてしまうか、いつまでたっても芽が出ない。
この縁というのが土だとか水とか、太陽とかのいろんな条件、芽が発生する条件があって、結果が現れるんです。

この短命の人は、お経に遵いますと短命の原因は前世において殺生が多いとあります。
現世ではなくて前世の話しになるのでやっかいですね、これは。
殺生というと、人を殺すというだけじゃなくて、魚を殺したり、獣をころす、虫を殺すということが全部殺生ですね。

そういう種を前世において蒔いてあるということですね。
その縁が、事故で死んだんだったら船の転覆とか、交通事故とかが縁になるんですが、この場合は、病気が発生するのにお医者さんが診てみたら、働き過ぎだとか、飲み過ぎだなとか言うに違いないですね。
お医者さんはこれだけ言うわけですわね、悪い条件を出して心臓麻痺で死んだと。
或いは、先天的に心臓が弱かったとかいうわけですが、そういう縁に逢ったわけですね。
そういう因があるから、縁に逢う。
だから結果よりも、この因が問題なんですね。

ところが運命判断で来る人は、そんな原因は知りたくないわけです。
将来を知りたいのですね。
その運命は信仰とか陰徳とかの行いによって変わるんです。
だから、運命を良くしようと思うたら、行いを良くしないといかん。
信仰をしないといかんと、こうなってくるわけです。

運命だけをみてもいかんので、その奥の因をみないといかんということで、お話をすすめていきたいと思います。

よく仏教の言葉で、善因善果、悪因悪果といいますね。
つまり、良いことをしたら良い報いがくるし、悪いことをしたら悪い報いが来る。
この報いというのが、平たく言えば運命なんです。
良いことをしたら運が良い。
悪いことをしたら運が悪い。
と、こういうことなんですよね。
それが、善因善果、悪因悪果というのは、この世だけではないわけです。
この世でした行いが、この世で結果が出るんだったら、誰でも良いことをすると思うんですけれども、ところが、みてるとあんないい人があんな不幸な目にあう。
あんな悪い人がすいすいとうまいこといく。
この世だけをみると、良いことをしてたら損やと思うようになってくるんですね。
少々のことはずるくしないと損やと思うような気持ちが起こってくる。
それはこの世だけを考えてるからそうなるんですね。
運命というのは、あの世のことは考えませんわね、この世のことだけを心配してる。
この世の明日はどうなるのか、子供の結婚は幸せにいくだろうかと。この世のことばかりですね。
ところが仏教は、この世のことも大事やけれども、死んでからのことのほうが大事なんです。


皆さん、どうでしょうか、悪いことをしたら悪因ですわね。
で、その人が死んで、この世の結果があの世で出てくる。
例えば、この世の行いも悪い因が、あの世の地獄へ落ちたと、いう場合はこの世の原因の結果があの世で地獄の苦しみという結果を招いている。
それも運命ですよ、地獄へ行くという運命を自分が作るんですから。

こういう説明をすると判りやすいと思うのです。
地獄へ落ちることを自分がしてるんだからね。
先祖や他人がしたんと違いますわね。自分がしたんです。
自業自得で、自分がしたから地獄へ落ちるんです。
善因善果で、良いことをしたら天上界へ生まれる。
悪いことをしたら地獄へ生まれる。
これは善因善果、悪因悪果なんですよ。
ところがお経にそう書いてあっても、なかなか信じ難い。
然し、そうなったら信仰は信じなければしょうがないですね。
お経のことも、体験者のことも聞き、間違いのないように信じていくということが大事ですね。

仏教では、因縁ということも大事なんですが、それを運命というふうにもっていったら皆さんは受け入れ易いかもしれないですね。
この因縁と運命は一緒なんですから。
仏教では、この世の因縁だけではなくて、あの世からの因縁、あの世へもって行く因縁と、いうように三世の因縁がある。

順現業というのは、この世で行った善悪が、この世で受ける。
子孫じゃなくて自分が受ける、自業自得ですね。
作品名:和尚さんの法話 「運命」 作家名:みわ