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和尚さんの法話 「運命」

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明日はどうなるか、明後日はどうなるか、来年はどうなるのか。
それがどう変化していくのか、それが易なんですね。

この出た易は、物を落とすかもしれないし、者を盗られるかもしれないという易がでたから気をつけよと言うた。
と、いうことで東京駅まで見送りに行ったんです。
それで、友達は東京駅から愛媛までの切符を買って、十円出してお釣りをもらったわけです。
和尚さんたちもそれを見てたそうで、お釣りと切符を一緒に窓口から出してたそうです。
そしてお釣りを財布に入れて、切符を取ろうと思ったら切符が無い。
後の人がすーっと、持っていってしまったんですね。
兎に角、切符を盗まれてしまったんです。
それみよ、卦が当たったやろーと、言ったんだそうです。
それで結局、お父さんも亡くなったそうです。
実家に行って、葬式を済まして帰ってきた。
だから八卦が当たるということは決まってるということですよ。
先の事が決まってるということです。

病気のこともそうだけど、然し、何か盗られると言ったことが、切符を盗られたんですよね。
そういうことが決まってるということがまことに不思議ではないですか。

これは別の話しになりますが、
終戦後まもなく、或るお客さんがきたそうです。

その人は商売をしてるんですが、ご主人がちょっと、頭へきましてね、変になってるというんです。
商売品を持っていって、ぱーっと、道へ撒いてくるんだそうです。
缶詰とかそういう食料品をリヤカーへ積んで持っていって撒くんだと。
今だったら、お宅のご主人が、といって持ってきてくれるでしょうが、その当時は終戦後のことだから、皆盗られてしまった。

それで、その奥さんが、こんな状態でと話して、主人の病気は治るでしょうか、商売は持ち直すでしょうかと、いう相談だった。
そのときの卦はどうだったか忘れたけれども、もっと印象深いことがあったので卦を忘れてしまったんですが、その人の後ろに弘法大師が出てきたんです。

それで、お宅は弘法大師を信心してるんですかと聞いた。
その後主人のお母さんが弘法大師を信仰しているということでした。
それだったら、弘法大師に一所懸命にお願いしなさい。
病気のことも、商売のこともどうぞと言うて、一所懸命に頼みなさい。

それでその奥さんは、帰り道に、明日から二十一日間、毎日、東寺さんへお参りしようと決めたんだそうです。
そして、東寺の本堂の周りを二十一回まわる。
それを毎日、二十一日間続けると決めたんです。
本堂はけっこう大きいお堂ですから、二十一回まわると、ちょうどお百度みたいなもんですね。
それを毎日、やっていたんですね。

その頃に、宝くじが、今だったらちゃんとして小屋を置いて売っていますが、その頃は道端へ机を出して、アルバイトのおばさんが売っていたそうです。
その前をいつも通って東寺へ行っていたんですね。
東寺の大宮通りの門の近くで売っていたそうです。
そして幾日目かのときに、帰りにその前を通って、今日もおばさんが居てるなぁと思ったときに、その日に限って、宝くじをもの凄く買いたくなった。

普通皆さんも、宝くじを買うても当たらんと思う人のほうがほとんどでしょう。
その人は、そんな当たると思えないような宝くじを買うお金があったら貯金をしようという立場ですよね。
ところが、もの凄く買いたくなった。
それで、買ったというんです。
お金も無いから、三枚だけ買ったんですって。
そうすると、三枚とも当たったんですって。
それで、そのお金が入ったので、家がもの凄く助かりましたというのです。
そのお礼を言いに来たときに、その二十一日間お参りしていたという話しをしたんだそうです。

あの宝くじの抽選の仕方を見ると、数字が書いてある板を回すんですよね、そして矢かなにかを射るんですよね。
その矢が当たった数字が当たり番号になるんでしょ。
あれを見ますと、偶然でしょ、何番の番号が当たるかというのは。
それが、ここで買うたらその番号が当たるということが決まっているということじゃないですか。
急に買いたくなったということは、弘法大師が教えてくれたんですよね。
今日、ここで買いなさいと、いうことが弘法大師は見抜いてるんでしょ。
と、いうことは決まっているということです。
ですから、その人はお参りをしていなかったら当たらなかったということですね、だから信仰によって与えられたものですね。そう思います。

人間が生まれたときに運命というのは決まって、生まれてきてる。
ところが信仰をすることによって、ある程度は、こっちへ行ったほうがいいとか、こうした方がいいというようなある程度の余地はあるんですね。
余地というのは、信仰とか努力とかによって方向は、多少は変わるんですね。
悪い運を持っていても、信仰をすることによって、大難は小難、小難は無難になると、悪いのが少しでも良いほうへ来る。
良い運だったら更に良くなる。
運命というのは、緩みが無いというものではないですが、大体決まってる。
決まっているから予測が出来る。
だから信仰によって、運命は左右されるんですね。

和尚さんは、易者ではないけれども、易を方便として信仰を説いているわけです。

或る方が、娘さんの縁談で来られましてね、
その縁談は、世間一般的にはもの凄くいい縁だと思うんですと。
家の娘にはもったいないくらいの縁で、よくまぁ家の娘にこんな縁がきたものだというんです。
まぁ、然し一遍、和尚さんにお伺いしてからと思ってきましたと。
そして、卦を見ると、もの凄く悪い卦がでたんです。
これはやめなさいと。
これはどんなに常識でいいと思うても悪い。
そのお母さんは、それを信じてやめたんです。

和尚さんも、何がどう悪いのか分からないんですよね、易でそう出たから悪いと言いましたけど。
それから後に、報告に来まして、あの縁談は、やっぱりやめといてよろしゅございました。
相手の方が、事故にあって一生治らないというような大怪我をして動けない体になりました。
この話しも、婚約するまえに断ったからよかったけれども、若しも婚約中の事故だったら、断るのも辛いでしょう。
と、いうて、そういう人のところへ娘を行けというて行かすのも、また不憫。
あのとき、和尚さんに相談をしてすぐにやめといたので、婚約することもなかったので、辛い思いをすることもなくてよかったと。
相手さんには申し訳ないけど、断ってよかったと思いますと、いうて報告があったそうです。
ところが、よそで見てもらって、その縁談が良いといわれたということがって、それは、男性側から見たら良くて、女性側から見たら悪いということがありますね。

その逆で、男性側から見て悪い、女性側から見て良いという場合もあります。
それだけかとうと、例えば、これも常識では判断できることですが。
男性がもの凄く出来の悪い人であったとしますね、そんな人と一生付いていけないとします。

我々はそんなことは分かりませんね、そして女性は辛抱強い従順な人だとします。
そうすると、その女性の方から見ると、相手の人は道楽者だからそんな人のところへ行ったら幸せになれるわけがないですよね。
作品名:和尚さんの法話 「運命」 作家名:みわ