和尚さんの法話 「霊夢と信仰」
でも、それがお告げだから、やってみなさいと、言ったんですね。
それでいろんな物を買ってきて、おもちゃなどを売ってるんですが、そんなものが生活の足しにはならんはずなんですね。
和尚さんの寺に居た亡きお祖母さんが、それを見て
家の前でそんなものをしたらあかんがなと。
それでも、ちょっとでも収入になって、というと
お祖母さんが同情して、それなら門前を貸しましょうということになった。
それでも生活に困って、和尚さんすみませんけどと、借りに来る。
帳面を持ってきて、きちんと書くんだそうです。
それでも最後まで、きちんと書いてたのに、寺を出るときまでお金は返さなかったそうですよ(笑)
兎に角、その人はお告げで助かったんです。
そういうことがあって、それから困った人が来たら和尚さんは、あそこの夢見地蔵さんがあるから、どうぞ夢でお告げを戴きたいと祈って、一週間でもいいから好きな物でも断ってお願いしてはどうですかと、言うんだそうです。
或る人が、相談に来て、もう別れようという相談だったそうですが
別れたほうがいいのか、別れないほうがいいのかと。
それで和尚さんは、別れないほうがいいと判断したそうです。
ですが、相談に来るまでにはいろいろ迷って相談を受けようと決心してきてるわけですから、和尚さんに別れないほうがいいと言われたので、ぐちゃぐちゃと迷いを言い出した。
それで、夢見地蔵さんの話しをして、夢でお告げを受けなさいといったんです。
別れたほうがいいのか、辛抱してたほうがいいのか、夢でどうぞお告げを下さいと、お願いしたらお知らせを戴けますからと。
和尚さんは、出ないほうがいいと判断をしたけれども、
若しも、夢で出たほうがいいというお告げが出たらお地蔵さんのほうが正しいんだから夢のお告げを信じたらいいですと。
出るなとお告げがあったら出ないほうがいい。
出て後悔して帰ってくるというよりは、出るのはいつでも出れますから。
ちょっと辛抱して夢でお告げをもらいなさいと。
そしたら出るなというお告げが出たんですね。
その夢の話を聞いてみましたら、子供を連れて荷物を持って家を出ようとしてるんですね、夢の中で。
そうすると、近所のおばさんが居て、いつも相談事に乗ってくれる人なんですね、そのおばさんは。
家を出ようとしたら、その人が入ってきて
「あんた、何処へ行くのや」
実はこうでと話す
「それは、あんた無分別や、石の上にも三年といいますやろ」
「今に待ってたらええことあるよ、まあまあまあと」
敷居に股をかけて出ようとしてたのに、また奥へ押し込まれた。
この夢を見て、これは出るなという意味やなと、思ったんですね。
和尚さんも言うたように、出るのはいつでも出れる。
だけど、後悔して帰るのは難しい。
それでしばらく辛抱しようと思いますということになった。
後になってみたら、あの時、出なくてよかったなと思いますと、いうことだそうです。
こういうお告げはお地蔵さんだけじゃなくて、他の仏さんも神さんもありますね。
夢のお告げで助かった、良くなったという例はたくさんございます。
この夢のお告げと反対のことをした例もあります。
手術をするなというお告げがあったのに、手術をして亡くなった。
この人は、手術をしてはいかんという夢のお告げがあったんですが、ところが手術をしたんです。
いろんな事情があってね。
手術の最中に亡くなってしまったんです。
夢のお告げを戴いたときは、手術はしませんと、言ってたんですが、若しも、手術をしなくて死んでしまったら姑さんになんて言われるかわからんというので、夢のお告げのことを言えなかったんですね。
それで手術をして、その最中に亡くなった。
こういうことが信仰の世界にあるということです。
四。
次は、弘法大師の伝記です。
東大寺の毘盧舎那仏に、日本に伝わってきている経典を全部読んでみた。
ところが、どれもこれも自分には納得がいかん。
こんなはずがない、何かありそうなはずだと。
と、いう境地になっていたんですね。
法然上人とか、弘法大師のような偉い人は前世からの縁があるから、この世に出てきてもまた仏教を求めるんですね。
自分の求めている法をお授け願いたいと、東大寺の毘盧舎那仏に祈るんですね。
すると、大和の久米寺の経蔵に大日経の経典があるとお告げがあったんです。
その夢に出てきたのは中国の密教の坊さんがお告げをしてくれたそうです。
その坊さんは、日本に来て大日経を広めにきたんですが、その頃の人は大日経に耳をかさなかった。
そのときの密教の経典をその寺の柱の下へ埋めて中国へ帰ったんです。
そして夢のお告げのとうりにその寺の柱の下を見れば大日経があったんです。
そして、その経典の巻物の最後のところを見たら、将来法を広める菩薩が現れる。
この経を読んで法を広めると書いてあったんです。
この菩薩とは、法を広め衆生を救済するということで、弘法大師のことなんですね。
法を広めるということで弘法という名前になったんです。
これは、弘法大師が法を求めて苦心したとう夢のお告げのお話です。
自分では何処を探しても納得のいくものが得られないというので、東大寺の仏様に直接祈ったんですね。
五、
恵果阿闍梨は弘法大師が中国へ行って、密教を授けてくれたお師匠さんですね。
弘法大師に、自分とは前世からの因縁によるものだというんですね。
今までに何回も、何回も生まれてきた。いつも二人は一緒に生まれてきてる。
そして共にこの密教を広めてきた。
そして変わりばんこにお師匠さんとなり、弟子になって生まれてきてる。
今回は、私が師匠であなたが弟子なんだと。
将来は、私が弟子であなたが師匠になる。
こうしていつも一緒に生まれてきて、師匠となり、弟子になると。
そして一緒に密教を広めてきてる。ということを言うわけです。
これは、弘法大師が夢で見た話です。
前世からずーっと修行をしてきた人たちだということですね。
ですから弘法大師が中国へ行ったときに、なんと来るのが遅かったなあと言ったそうですね。
中国へ行ってすぐに法を授かったんですからね、来るというのが分かってたわけです。
恵果阿闍梨には他に弟子が大勢居たわけですから、突然訪ねてきた弘法大師に法を授けるのを見て怒るわけです。
今、来た人になんで、私たちには教えてくれないのにと嫉妬するんですね。
それを恵果阿闍梨に、あの方は阿羅漢まではいかないにしても、それに近いくらいの菩薩なんだぞと、言われるわけです。
それを申し訳ないというて、弘法大師の夢に現れて謝るという夢を見たわけです。
信仰をしていると皆さんも、こういう夢を見られたことがあるんじゃないでしょうかね。
和尚さんが、或る日に観音経を十遍読んで、その夜に夢を見たお話ですが、
夢の中で声がして、「妙法蓮華経は、功徳甚深微妙なれども、縁ある本師の邪険を伴う」
と、こういう声が聞こえたそうです。
この本師というのは、お釈迦様のことだそうです。
本という文字を、翻訳の翻に変更してみると、法華経はインドから中国に伝わってきますね。
そして翻訳をしますね、その翻訳の人ということではないかと思ったんですね。
作品名:和尚さんの法話 「霊夢と信仰」 作家名:みわ