きらめき
【広野雪奈の治療に当たった山下教授の備忘録より】
8月8日 木曜日
搬送されてきた3人の症状は、明らかに中性子線を浴びていると思われるが、原因は不明。
無菌室へ
1999年9月30日に発生したJCO臨界事故では、核燃料加工施設で核燃料を加工中にウラン溶液が臨界状態に達し、核分裂連鎖反応が発生、約20時間持続した。作業員2名が死亡、1名重症、周辺住民を含めて667名が被曝している。
登山中だったというが、いったいどこで核分裂があったのだろうか。
死亡した作業員と同じ症状を呈している。治療チームの一員だった当時の辛い思いがよみがえる。
夜半から親族の方が集まり始めたが、ガラス越しに覗いてもらうだけ。
8月12日 月曜日
被曝線量10〜17シーベルト。特に広野雪奈の被曝線量が大きい。
予想通り、DNA二重らせんがズタズタに切断されている。
細胞の再生機能喪失。
白血球数ゼロ。
日を追うごとに熱傷は進行し、生肉がむき出し状態となりつつある。
意識や感覚はそのまま残っているので、この生き地獄から早く救ってあげたいのだが。
「水が飲みたい」と言い続けている。飲ませてあげたいが、内臓器官の粘膜も失われているはずで、下痢がひどい。
医療の限界を感じる。14年前から全く進歩していないのが、現実。
放射線事故は再度起こりうるはずはないと、大量被曝者に対する研究は継続しなかった、実際できなかった。
ご家族に現実を説明するのが、つらい
妹から骨髄移植
白血球数少し持ち直す
8月15日 木曜日
毎日10リットルの輸血輸液を投与しているが、熱傷跡から毎日1リットルの体液が流出。
白血球数ゼロ
皮膚移植を試みるが、無為
この生き地獄から解放させてあげるには、安楽死もありうるが、今は鎮静剤を打つことだけ。意識を低下させることで、極度の苦痛でも、少しでも和らげることが出来るだろう
20日 火曜
全身の皮膚がなくなる
おびただしい下血
無尿
家族と対面。「いままでありがとう、かあさん、ごめんね」のことば
JCO事故にあった作業員大内氏は結局、奇跡的に83日生きることが出来たが、無理に生かされたのだ。「死なせてくれ」という希望も無視されたのは、原子力関連の2法を成立させたいばかりに、それまでに死者を出してはいけなかったからである。
それは12月13日に成立、小渕恵三内閣の時である。
心臓停止の時には電気ショックを与えて蘇生した。2度も
もうそんなことはごめんだ
心臓が停止したら、そのままお送りすることにしよう。
広野雪奈さんの意思でもある。