きらめき
美穂は同じフロアの回廊を回って、反対側にある社長室の前まで行くとドアを軽くノックしてから、ドア開閉認証装置に手をかざした。ドアは自動で開き、中に入った。応接ソファには社長と向き合って見知らぬ男が座っており、談笑している。
「おお、来たか。池村君、こちらは食糧庁情報管理局参事官の、犬山さんだ。栽培工場を見学したい、とおっしゃってるんだが、案内してくれんかね」
「はい、承知しました。犬山さん、池村と申します」
美穂は腰を曲げて挨拶した時に、テーブルの上に乗っていた袋に目が止まった。社長の近藤は、その袋をあわてて作業着のポケットに滑り込ませた。白い粉をいくつかの小袋に分けて入れてある外袋には、[XD‐16]というラベルが張ってあるのを彼女は見逃さなかったが、何事もなかったかのように、「ご案内いたします」と言って、犬山参事官にドアの方向を手で示した。
「ほう、まるで棚田のようだ」
最上階には、1階と直通で繋がっているエレベーターがある。いったん1階まで下り、エスカレーターに乗り替えて各階を案内していった。
「このように、成長段階によって適した照射光の波長と時間、温度を変えていけば、良質の多くの実を実らせることが出来るのです」
「薬も使うのですか? 農薬など」
「いいえ、ここでは害虫は発生しないので必要なのは、わずかの水と養分のみです。あとはぁ〜、オゾン水で殺菌していますから細菌類の繁殖もなく、全くの安心安全食品を生産しているわけです。今や、どんな種類の果実や野菜でも、同じ方法で生産していますからね」
「年中、安定した生産ができるわけですね。世界には、飢餓で苦しんでいる国が多くあるというのに」
美穂は少し顔をゆがめた。
「なぜ、もっと輸出しないのでしょう。生産技術も、広く世界に提供していけば」
「それは政府が決めることです」
犬山はそれ以上言うな、というかのように美穂の言葉をさえぎった。
その日、犬山を送り出した後美穂は、小麦粉生産工場に顔を出した。いつだったかそこの廃棄物に混じって、[XD‐16] と書かれた透明の袋を見たことを思い出したからである。
そこにはやはり無造作に捨てられたのであろう、白い粉が付着したままの小袋の端が覗いていた。袋にはなにも記されていなかったが、ポケットから薬匙と薬包紙を取り出し、周囲に視線を巡らせて誰も見ていないのを確認した。かがんで、捨てられている袋の中に付着している粉をかき取って薬包紙に乗せ、急いで折たたむとズボンのポケットにしまい込んだ。
その後管理事務所に行くと、管理者のみに与えられているパスワードを入力し、来客情報を検索していった。美穂は3人のみの研究室の室長で、一応パスワードを与えられている。
犬山、という名前は、およそ6か月前に初めて登録されたらしい。その次にやって来たのは、3か月前。
前回、捨てられていた袋を見つけたのはいつ頃だったかを、思い出そうとした。梅雨の最中だった、という記憶がよみがえった。
そうだ、とても蒸し暑い日だった。「降るなら降るで、いっそいっきに降ってくれたらいいのに」と、高島君とぼやき合っていたはずだ。その後小麦粉の品質確認のために、工場に入ったのだ。
それにしても、この粉はいったい・・・社長がなぜ・・・まさか、製品の中に投入した、ということは・・・。
美穂は、製薬会社で分析の仕事をしている学生時代からの友人、吉沢アオイに連絡を取り、会う約束を取り付けた。連絡には細心の注意を払わなければ、どのようにして盗聴されているか分からない。詳細は直接会ってからだ。