小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

和尚さんの法話 「仏教と占い」

INDEX|4ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

本当の仏教の占いというのは、衆生済度のための方便として、神通力にしてもそうですね、ただ単に人を惑わせたらいかんといってるように、神通を使うということは、衆生済度のときに使うということですね。
そして自分が危険なとき自分を救うときに使う。
そういう決まりがあるんですね。

だから占いというものも、単なる占いであったらいかんのであって、あくまでも仏道と繋がって、どうしたらこの人を救えるかというときに、占いというものが役に立つわけです。運命というものは、自分が作ってきているものなんですよと。
これは仏教でいう因縁ですね。
一般的ないい方をすれば、運命なんです。
先祖が作った貴方の運命じゃないんです。
貴方が過去に於いて作ってきた貴方自身の運命なんです。
だから自分の運命を善くしようと思うなら、まず行いを善くしないといけない。
悪いことをしたらいけません。善いことをしなさいと。
そしてもう一つは、信仰をなさいませ。とこのお経に説いてあるのです。信仰を持ってたら、大難が少難に、少難が無難にという言葉があるように、所謂災難から救われますよと。
極端な場合、死にかけたけど命は助かる。というふうになるわけです。



三、 爾時世尊、死人の独髏(ろ)を取りて梵志に与えて曰く、「我今汝に問う、此れはこれ男の独髏なりや女の独髏なりや」と。梵志答えて曰く、「是れはこれ男の独髏なり」と。世尊曰く「何に由って命終せしや」「衆病集湊し、百節酸疼(とう)せしが故に命終を致せり」「当に何の法に依りてか治すべきなりや」「阿梨勒果を採り、合わせて蜜を以て和し、之を服せば病は癒ゆることを得たり」「善哉善哉汝の言の如し。梵志よ、此の人命終して何処に趣きしや」「三悪道に生まれて善処に生ぜず」と。爾時世尊又一の独髏を取りて示して曰く「此れ男なりや女なりや」と。梵志答えて曰く「此れ女人なり」「何の病に依りて命終せしや」「此の女人は懐妊の故に命を致せり。産月満たずして児を産みしが故に」「何の法を以て治すべきや」「此の病は当に好酢醍醐を用いて治すべし」「善哉、汝の言の如し。此の女人命終して何れに生ぜしや」「女人は畜生の中に生ぜり」と。「善哉当に汝の言の如し、是の女人は死して畜生の中に生ぜり」。世尊復別の独髏を示し、梵志に告げて曰く「此の独髏はお男なりや女なりや又何の疾病にて縁りて命終せしや、治病の法は何を以て為すべきや。命終して何れの界に至りしや」と。梵志答えて曰く、「此れは是れ男子にして実に飲食過度の故に命終せり。若し三日の間食を絶しなば除癒を得たり。此の人命終して餓鬼の中に生ぜり」と。――― 爾時世尊復た独髏を示して曰く「此の独髏は男なりや女なりや。又何の病に縁りて命終せりや」と。梵志答えて曰く「此れは男子の独髏なり。此の人病なく人の為に害せられて命終致せり」「命終して何処に生ぜりと為すや」「此の人命終の後天に生ぜり」「汝の言う所は前と後と相応せず、諸有の男女、人の為に害せられて命終するは尽く三悪趣に生ずるに如何にしてか天に生せりと言うや」梵志答えて曰く「此の人五戒を保ち兼ねて十善を行いしが故に天に生ぜり」と。世尊曰く「善哉々々汝の言の如し。持戒淨業の者は命終すれば必ず天に生じて安楽に住せん」と。

― 増一阿含経 ―



「爾時世尊、死人の独髏(ろ)を取りて梵志に与えて曰く、」
この梵志という人は、お釈迦さんの弟子にして頂きたいと言って来たんですね。
そのときお釈迦さんはその人を試すんですね。そんなことは試さなくても神通力で分かってるんですけども、一応ここは試すんですね。

「我今汝に問う、此れはこれ男の独髏なりや女の独髏なりや」と。梵志答えて曰く、「是れはこれ男の独髏なり」と。世尊曰く「何に由って命終せしや」「衆病集湊し、百節酸疼(とう)せしが故に命終を致せり」
なんといいますか、その当時としたら大変な病気ですね。
そういういろんな病気が集まって、苦しんで死んだと。

「当に何の法に依りてか治すべきなりや」
どうすればこの病気が治ったんでしょうかと。

「阿梨勒果(ありどくか)を採り、」
どんなものか分かりませんが、これはインドの果物かなにかでしょうね。

「合わせて蜜を以て和し、之を服せば病は癒ゆることを得たり」
これと合わせて飲めば治ったんですと。

「善哉善哉汝の言の如し。梵志よ、此の人命終して何処に趣きしや」
そのとうりだ、そして死んで何処へ行ったのかと。

「三悪道に生まれて善処に生ぜず」と。
三悪道に落ちて、善いところへ行っていません。

「爾時世尊又一の独髏を取りて示して曰く「此れ男なりや女なりや」と。
梵志答えて曰く「此れ女人なり」「何の病に依りて命終せしや」
「此の女人は懐妊の故に命を致せり。産月満たずして児を産みしが故に」
「何の法を以て治すべきや」
「此の病は当に好酢醍醐を用いて治すべし」
「善哉、汝の言の如し。此の女人命終して何れに生ぜしや」
「女人は畜生の中に生ぜり」と。
「善哉当に汝の言の如し、是の女人は死して畜生の中に生ぜり」。
世尊復別の独髏を示し、梵志に告げて曰く「此の独髏はお男なりや女なりや又何の疾病にて縁りて命終せしや、治病の法は何を以て為すべきや。命終して何れの界に至りしや」と。
梵志答えて曰く、「此れは是れ男子にして実に飲食過度の故に命終せり。若し三日の間食を絶しなば除癒を得たり。此の人命終して餓鬼の中に生ぜり」と。

――― 爾時世尊復た独髏を示して曰く「此の独髏は男なりや女なりや。又何の病に縁りて命終せりや」と。
梵志答えて曰く「此れは男子の独髏なり。此の人病なく人の為に害せられて命終致せり」
殺されたんですね。

「命終して何処に生ぜりと為すや」
「此の人命終の後天に生ぜり」
「汝の言う所は前と後と相応せず、諸有の男女、人の為に害せられて命終するは尽く三悪趣に生ずるに如何にしてか天に生せりと言うや」
梵志答えて曰く「此の人五戒を保ち兼ねて十善を行いしが故に天に生ぜり」と。
世尊曰く「善哉々々汝の言の如し。持戒淨業の者は命終すれば必ず天に生じて安楽に住せん」と。

― 増一阿含経 ―



ですから、信心。仏道の信心ですね。
兎に角、仏縁を深めて信心をしなさいと。
そしたらどのような死に様に遭いましょうとも天に生じると。

これは占いは占いですけど、独髏を見て男か女か。
どんな病気で死んだのか。どんな薬を飲ませてたのか。助かってたのか。死んで何処へいったのか。皆お経にあるわけですね。

この梵志とお釈迦様の弟子に入って、修行を重ねて阿羅漢に成るんですね。もうそこまで来ている人なんですね。
だからお釈迦さんもそういうことは分かってるけど、一応形式で残そうと思ったのか、或いは他のものに見せるために、まだ修行の足りない比丘比丘尼に対して、仏門に入ってなくてもこれだけのことが分かってる者が居るのだぞということを知らしめすためにおっしゃったのかもしれませんね。

これは、今の言葉で言いますと、オカルトでしょ。そのオカルトというのは、厳密にはただ単に神秘的な事でしょ。
常識を絶したもの、非科学的なもの。