和尚さんの法話 「因縁と運命」
その天命というものがあるならば、その天命を知る方法はないものだろうかと。いうところへ気が付いて、発明したのが、「八卦」です。
あの八卦は、だんだん研究が重なってきているけど、その根本は、孔子です。
孔子が始めたんです、根本は。
だからね、努力も賢くなくても、すいすいと上手くいくと。
ところがつまらんことを、余計なことをやってる者もあると。
それならば、それを早く察知して、おまえはそういうことをやってはいかん。そっちへ行ったらあかん、こっちへいけと。
孔子は易者になって、金儲けをするためにやったのではないのです。
指導者でしょ。教育者ですね。
だから正しいように指導をしなきゃいかんわけです。
だから、こうしたらいかん、こうしたらいかんと。その予知する方法はないかと思うて考えたのが、八卦なんです。
そういうことで孔子は八卦を利用したのです。和尚さんも同じですね。
ですから運命というものは、ある。
知らんほうがいいという場合もありますけどね。
知ったほうがいい場合もありますしね。
兎に角、運命はありますね。
私が言いたいのは、その運命は自分が作ってきたということです。
先祖が作ったんじゃないのです。自分が作ってきたのです。
そして未来の運命は自分が毎日毎日作ってるんです。
「過去の因を知らんと欲せば現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」
というお経がありますね。
自分は今、どういう境遇にあるか。幸福か不幸か。それによって、過去の因を知る事が出来ると。
具体的に人の物を盗ったことが分からんでも、善いことをしたか、悪いことをしたか。
来世は、未来ですね。未来は自分はどういう運命を辿るか。どういう運命を持って生まれてくるのか。
知らんと欲せば現在の因を見よと。
自分は日頃どういう行いをしているか。口でどういうことを言ってるか。身体でどういうことをしたのか。心でどういうことを思ったのか。
それによって、幸福か不幸か分かるということですね。
或るお経に、お釈迦さんが説法していると、或る婦人が子供を抱いた婦人が前へ出てきて、世尊、うちの主人は道楽者で、私は泣いて涙で毎日暮らしています。どうぞ私の主人に説いて頂きとうございますと。
するとお釈迦さんは、原因は自分が招いたものだから、この者はいったい前世で何をしてるのかと、すぐにぱーっと前世を見るんですね。
そして、女よ、おまえの過去にこういうことがあると。
或る遊女が居って、そして或る青年と、末を約束をした。
私の年期が明けましたら、貴方と結婚をしますと。
そういう約束を青年としたんですね。
青年はそれを楽しみに一所懸命に働いていた。
そこへ金持ちの老人が現れて、身受けされるんですね。
それを悲観でその青年は自殺するんです。
さて、女よ。
その時の遊女というのが、おまえだと。
その時の自殺した青年というのが、今のおまえの主人だと。
主人は凡夫だから、前世のことは知らないけれども、おまえを恨んで死んだ、その借りの縁によって約束した縁によって、また夫婦になってると。
そして自然におまえを苦しめないと気が済まん。
おまえが悪いんだと。
おまえの前世の罪なんだと。
そういうお経があります。
お経にはそういうのが沢山あります。
信じるか信じないかはその人次第ですが、いろんなこういう話もありますし、体験から言ってもこういうことはありますでしょ。
それは因縁なんだということです。運命というのは決まってるのですから。
決まってるということは、自分が決めたんだから。
だから自分が結果を招いたんです。
こうなると、仏教の因縁という言葉に置き換えることができるのです。
それからこれはまた別のお話しですが、或るご夫婦が和尚さんを訪ねてきまして。
娘が今恋愛をしてまして、どうしても結婚をしたいと申してますが、和尚さんどうですかと。
その夫婦はその縁談に感心しませんのですと。
それで和尚さんが卦をたててみますと、なるほどよくない。
それでも娘は言うことを聞きませんのやと。
ではその娘さんを寺へ来させてくれたらどうですか、悪いという縁でもやっぱり結婚する人がありますから。
他の人の体験談を聞かせて、こんな人がありましたよと話を聞かせますから、いっぺん連れてきたらどうですかと。
それで娘さんを連れてきたんです。
それで和尚さんが、この縁がだめですよと、言ったんですね。
貴女のお父さん、お母さんに頼まれて嘘を言うてるのと違いますよと。
これは本当に悪い。
これが良かったら、お母さん、お父さんが反対をしても、良いということは貴女が将来、幸せになることだから。
貴女が幸せになることなら、お父さん、お母さんも幸せなんだからと。
これが本当に良い縁だったら、和尚さんは貴女の味方になって、ご両親を説き伏せてあげますと。
然し、この縁は悪いんですよ。嘘と違うんですと。
そう言うと、泣きだしてしまった。
結局、埒が明かんので帰ってもらったんですね。
それから後にもお父さんかお母さんが寺へ来てました。
それから娘さんたち二人が車でドライブをしてたそうで、始めは相手の男性が運転をして、途中で娘さんに運転を交代して、そして運転をしているときぶつけて、交通事故を起こして、その男性が死んでしまったんです。
そういう人は、この時じゃなくても、こういう運命を持ってる人なんですよ。
たまたま娘さんが運転中に殺したようなことになってしまったけど、その時じゃなかったって、その男性は事故で死ぬようになっていたのです。
前世の殺生の罪があったんでしょうね。
ですから悪いという卦が出たということは悪いのですよ。
その娘さんには、前に来たときに、悪いという例を話して聞かせてるわけですよ。
それでも言うことを聞かないで、結果はこういうことが起こってしまった。
若い人は好きになると聞き入れないのですね。
ですから運命は信じないといけませんね。
政治家でも、実業家でも運命を見る人を抱えてるそうですね。
先にお話しをしました、滝に打たれて子供の命を祈ったという人。
あの人はだんだんとあの人を中心に信者が大勢出来て、お寺が建って、偉い行者さんになったそうです。
その人が、満州事変の頃に、日本が外へ外へと延びて行ったときですね。
満州事変の最中に、今日本はこんなことをしているけど、今に空から火の雨が降る時が来るぞと。そう言ったことがあって、それが大東亜戦争だそうです。
日本がそうなっていくのが分かっていたわけです。
これから先も何があるか分かりませんね。
だから皆さんも、何処かへ行くとか、旅行でも行くようなことがあって、ふっと、嫌気がさしたというときは、止めたほうが宜しいと思いますね。
それはお知らせだと思ってね。
日頃から信仰をしていたら、お守りがあって知らされますから。
こういう話もありました。
或る女性が、出勤しようとしたとき、ふっと嫌気がさしたそうです。
病気でもないし、欠席の届も出してないし、出勤しようと出たわけです。
市電へ乗ろうとしいたけど、一番後になって、足をかけて乗ろうとしたら満員の人に押されて戻って、押し出されて道路へ後ろ向きにひっくり返ってしまったんです。
作品名:和尚さんの法話 「因縁と運命」 作家名:みわ