和尚さんの法話 「因縁と運命」
そこへトラックが来て、倒れて髪が散って、その髪の上をトラックが引いて走ったんです。
無傷だったのですが、それはお知らせがあって行く前に嫌気がしてたのですから。
気を付けよ、というお知らせで、守ってやったから無傷で済んだけど、おまえは死んでいたところだったんだぞと。こうなるのかもしれませんね。
ふっと、嫌気がさしたそうです。
出勤するのが嫌になったんですって。
そういう気が起こるというときは、どうしても行かんならんときなんですね。
行かんならんから、行ったら危ないから、お知らせがあるんですね。
行くことがなければ、何も知らせることは無いのですから。
大事な用事があって、どうしても行かんならんことがあったわけです。
そういうときに、そういう気がしたら、もう何としても止めたほうがいいですね。
どんな大事なことがあっても、命にかかわることになるのですからね。
それから、祇園のお茶屋さんがあって、そこのご隠居さんがお茶屋組合の役を持ってるんですね。
毎月その会合があって、隠居してるから行くのを楽しみにしてたわけです。
ところが或る日、行くという日に、ふっと嫌気がさして、今日はもう行かないと言ったそうです。
するとその息子の嫁さんが、お父さん、病気で寝込んるのだったら止めると言えるでしょうけど、役を持ってるから行かんというわけにいかんでしょうから、行きなさいと。
いや、今日は気が進まんのやと。
そんなことを言うても、きっと向こうから電話がかかってきて、いろいろありますよと。
煙たいから出ていけと言うたんじゃなくて、本気でそう言うたんですね。
そうか、それじゃ行こうかと。
そして出てったらすぐに鼻緒が切れたんですって。
それでやっぱりこれはげんが悪いと。
それでまた帰って来た。
するとまた嫁さんが、そんなものは迷信ですと。
近所の下駄屋で新しいのを買ってきて、履かせた。
そして出てって、車に当たって死んだ。
それでその嫁さんが、悔やんで、自分があんなに勧めたので死んだと。
嫌だと言ってるのに無理に勧めたから死んだと。
ですから信仰をしてるとそういうお知らせがあるんです。
お知らせがあっても、それを守らないとだめですね。
お知らせやお守りがあるということは、信じて頂きたいですね。
大難は少難に、少難は無難に。
そういうことで、運命は因縁だということです。
善きにつけ、悪しきにつけ、自分が招いた罪だということです。
業の報い方に四とうりあります。
「順現業」
これは、この世でやってすぐにその報いがこの世で来る。
自分がやって自分に来る。
この世でやって、この世で受ける業。
「順次業」
この世でやって、死後の世界。あの世でその報いを受ける。
「順後業」
この世でやって、この世で報いず、死んであの世でも報いず、またこの世へ人間に生まれてきたときに報いる。
これが運命ですね。
「順不定業」
これは、順次業の以後、死んでまたこの世へ生まれてくる。またあの世へ行く。また死ぬ。と繰り返しますね。
その何時かの時に、この世へ出てきたときに報いてくる。
我々の運命ということは、順後業と、順不定業ですね。
持って生まれてきた業です。
だからお釈迦さんも、自分も前世でこういうことをやったと。その報いで私は今こうなんだと。いうお経がありますね。
それはもう遠い遠い過去世に、まだ凡夫の時代にやった業が、今報いてくると。仏さんになってまだ報いてくると。いうお経がありますね。
了
作品名:和尚さんの法話 「因縁と運命」 作家名:みわ