和尚さんの法話 「因縁と運命」
ところが、行者さんのほうから、「お前この間ジープに当たっただろう」と言われた。
「私はなんとかして防ごう、防ごうとして苦労したんだぞ、しかしお前はちっとも気が付かん。それで当たったけれども軽くすんだだろう」と、言ったそうです。
神様が苦労をしたと言ったそうです。
「だから、あのジープに当たる二、三日前から家を出るのが嫌だっただろう」と。
なるほどそう言われて考えてみると、銭湯に行くのが嫌、買い物に行くのも嫌、何処に行くのも嫌で、病気でも何でもないのに、とにかく外に出かけるのが嫌だと、思ったことがある。と
それは危ないから気をつけなさいよ、危ないんだぞと、気をつけるようにさせたけど、お前は当たってしまった。
だけども、軽くてすんだだろうと。これからもあることだから気をつけなさいと、そう言われたそうです。
そういうことは神仏の目には見えるんですからね。
あそこへ行ったら危ない、気をつけなさいと、神仏には見えるんです。
と、いうことは、その事故は決まっているということですね。必然なんですね。
だから仏教とか、占いから言うと、偶然というのは無いわけなんです。全てが必然なんです。
それから、もうひとつの例として
北海道へ行く雪祭りの飛行機が事故になった話ですが、東京湾へ墜落して全員が死亡してしまった。
雪祭りは戦後に始まったそうですね、その三回目か、四回目のころの飛行機が墜落した。
其の頃、和尚さんの知人が東京の浅草寺の官長をしていたそうでして、あの方は、死後の世界を認めていたそうです。
ところが、輪廻を認めているんですが、輪廻をするのは阿頼耶識だと、或る雑誌に書いてあったそうです。
阿頼耶識というのは、私たちの身体には五感というのが働いているわけです。
五感とは、目、耳、口、鼻、身、の五つの心が働いているわけです。
心を色といいまして、その上に意識というのがあって、五色を統一しているわけです。
この意識の奥に末那識というのがあって、その奥に阿頼耶識がある。
心の根本は、この阿頼耶識であると。
霊魂は不滅であるというのは、この阿頼耶識なんですね。
そして生まれ変わり死に変わりを繰り返すと。その中心になるのは阿頼耶識だと書いてたそうです。
これはこの官長さんだけじゃなくて、唯識の学者もそうおっしゃるそうです。
ところが和尚さんは、それはおかしいと。
この話をすると長くなりますので、結論を言いますと、輪廻するのは意識であって、阿頼耶識は輪廻しないということです。
この話を浅草寺の官長さんに話したそうです。
すると、官長さんは、とても自分は、そこまで理解できませんというお返事だったそうで、感心していたそうです。
それから、毎月、浅草寺という雑誌を送ってくれるようになったそうです。
その雑誌に、信者の方の体験談が出てるんですね。
そこに、今の雪祭りの話が載ってたわけです。
或る方が、私は以前、雪まつりに行く飛行機が墜落して亡くなった。
実は、私もその雪まつりに参加する予定でした。往復の切符も買って、出発の日を楽しみに待っていたんです。
そして出発の日が近付いていくに従って、だんだんと不安になってきましたと。
どうにも不安を感じる、如何にも不安だと。
それで行くのを止めたんです。
それで奥さんに、この切符、勿体ないから誰かにあげようかと言いますと。
奥さんも、用事でも出来て都合が悪くなったから行くのを止めるというのなら分かるけど、危険を感じて止めようというのに、その切符を誰かにあげて、若し何かあったらどうしますか。
一生恨まれますよ。
そんなものは燃やしたらどうですかと、燃やしてしまったそうです。
それでその方は行かなかったんですね。
で、その飛行機が墜落したのです。
それでその人は、私は観音様のおかげで救われましたと、思っていますと。
小さい時は、お爺さん、お婆さんに手を引かれて観音様へお参りしました。
今は孫の手を引いて、観音様へお参りしていますと。
これは観音様のおかげだと思いますね。
必ず、信仰のおかげというものはありますね。
行者さんの話しと一致しますね。
その人は、観音様で、その飛行機が墜落すると、何時日も前からあの飛行機は墜落するというのが分かってるんですね。
私を信仰しているこの人間は、この飛行機へ乗ったら危ないので、危ないぞ、危ないぞと、観音様がそう思わせてくれるんですね。
虫の知らせとか、第六感といいますよね。それですね。お知らせです。
和尚さんの子供の頃は、自分はこれからどうなって行くのだろうとよく思ったもので、それを早く知りたい、早く知りたいという関心が強くて、それで中学の三年の頃に、人相と手相の本を買ってきて見ていたそうで、そして友達にも言うと、見てほしいと言うので見たそうです。
その友達の一人の手相を見ると、生命線がもの凄く短かったそうです。
それから卒業後に、同窓会の案内が来て、行ってみると、その生命線の短い友達が来ていないので、聞きましたら、あいつは死んだと。
それを聞いた和尚さんは、そうだ、あいつの手相を見たとき生命線が短いので、おまえは命が短いぞと言ったのを思いだしたんですね。
なるほど手相というのは。当たるんだなあと。
これは手相ですが、彼の命が短いというのが手相に出てたんですね。
そういうもので、運命というのはあるんだというのであって、決して迷信ではないということですね。
それから益々、和尚さんは運命ということに関心を持っていったんですね。
それから東京の大学に言ってるとき、あちこちのいろんな運命鑑定を廻ったそうです。
そして或る、お爺さんと会って、そのお爺さんが非常に可愛がってくれたそうで、お寺の息子さんだったら、きっと将来人の相談を受けたりすることもあるでしょうと。こういうことを覚えておくと役に立ちますよと、いうことで手相から人相から八卦まで、詳しく教えてくれたそうです。
それが今、役に立ってるということです。
相談に来る人は、見て欲しいと来るわけですよね。
和尚さんは、どんな相談で占いをしても内職ではないので、無料なんです。
それは和尚さんですから、運命を良くしようと思うなら信仰もしなさいと言うのが目的ですからね。
飛行機が墜落するところを助かった人がありますよとね。
その人様の相談に役立たせるために占いをするわけです。
と、いうことはその人の先を知らんと、こうしなさいとか、ああしなさいと言うのは常識でしょ。常識も当たるときもあれば、当たらんときもありますね。
運命鑑定なのに、当たるも八卦、当たらんも八卦とはいうのはだめですよね。
当たるも八卦、当たるも八卦でなければだめですよね。当たらなければ八卦ではない。
だからその人様の相談を受けるのであれば、この人はどういう運命を持っているのか。
結婚の相談に来たと、この人と、この人と結婚。話しだけ聞いているといい結婚だと思うわけですよ。
よろしい話ではないですか、結婚したら宜しいですな、というのが常識ですよね。
然し、その人と結婚したら本当に幸せになるのかというと、ほんとうは分からない。
作品名:和尚さんの法話 「因縁と運命」 作家名:みわ