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和尚さんの法話 「無常」

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自分は死ぬのが近いが、二祖上人はまだ先が長いから、私よりも二祖を大事にしてあげなさいと。他の弟子たちに言っている言葉があるのですね。
その二祖上人は、一遍上人の二歳ほど上なんですね。
一遍上人は、五十三歳くらいで死んでるんですよ。
ところが一遍上人が言ったとうり、二祖上人は八十幾つまで生きた。
そういう方々は大体分かるのですが、我々は分かりませんから。
だから二祖上人は、今死ぬんだ、今死ぬんだと思いながら念仏を称えてるというお言葉があるそうです。
念仏を称えているところへ死が来るから、それはもう極楽へ往生すると。
それほど無常ということを、仏教では厳しく教えるのですね。

雪山偈という偈が、詩ですね、があるのですが、これは他のお話しにも出てくると思いますが、要するに、諸行無常というものです。
これは雪山偈。(せっせんげ)
「諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為楽」
これは華厳経に出てくるのですが、この雪山というのは、雪の山ということで、ヒマラヤ山のことですね。
ヒマラヤ山というのは高い山ですから、寒いから雪が解けないですよね。
その山で一人の青年が修行をしていて、人生の本当の道は何であろうと。いうようなことを絶えず思索していた。
そしてそうしていたところが、何処ともなく声が聞こえてきたのですね。
「諸行無常 是生滅法」と。
その声に耳を傾けて、これは真理だと。真理を説いていると。
全てのものは無常であると。
生じたり滅したりと。
そして辺りを見ますと、一人の鬼。
息も絶え絶えのその鬼が横たわっているのです。
その鬼の姿しか見当たらない。
それで、「諸行無常 是生滅法」と言うたのは、おまえかと。
すると鬼が、私だと。
これはこの後にまだ句があるのではないか。
これで終わりかと聞くと。
後の句がありますと。
その後の句を教えてもらいたい。

それは教えないことはないが、条件がある。
どのような条件でも飲むから後の句を教えてほしい。
すると鬼は、私は飢えて息も絶え絶えなんだ。
だから貴方のその若い肉をもらいたい。
つまり貴方の命を貰いたいというのですね。
それを約束してくれるのなら、この後の句を教えてあげよう。
すると青年は、承知したと。
必ずこの肉体を貴方にあげましょうと。
その代わりに後の句を教えて下さいと。
では教えてあげましょうというので。
「生滅々已 寂滅為楽」と後の句を詠んだ。
この生滅というのは、無常ですね。
生じたり滅したり生じたり滅したり。これが終わるということですね。
滅し終わる。今まで無常だったのが、ぴたっと止まってしまう。
その境地は寂滅。その寂滅を楽というのだと。
つまり無常が終わった世界が楽というのだと、こういうのですね。

仏教の旗印というなかに、「諸法無常 諸法無我 涅槃寂滅 寂滅為楽」とありますが、「諸法無常 諸法無我 涅槃寂滅」。この三つを三法印といって、仏教の旗印だそうです。
そして、「寂滅為楽」を入れて、四法印というのですね。
寂滅というのは、兎に角、もう無常が終わってしまった。滅し終わった。
もう無常はしない。無常にならない。
つまり常住であり、真であると。
それが本当の、楽という世界である。
我々が普通、求めている楽というのは、無常の中の楽ですよね。仮の楽ですね。
だから一時は幸福だけど、すぐに消える。
要するに生きている間のことですからね。
死んだら、どんな幸福でも皆消えてしまいますね。
だから生死解脱というのですね。
生死解脱でなければ、どんな幸福も死と共に消えてしまう。

話が飛びましたが、この雪山偈というのは、これが結局仏教の根本思想を説いているので、その羅刹(らせつ)というのが、仏教守護の神さんなんです。
この修行僧を試してるんですね。
真実を求めるためには、命も捧げるくらいの熱意があるかどうかを、試したんですね。
そして約束だから、その肉体を貰うと言うと、
ちょっと待ってほしい、これはそのとおりだ、と。

これは私だけじゃい、他の者にも教えておきたいのだと言って、自分の身体から血を出して、その辺りの岩肌や木に今教えてもらったことをいっぱい書いた。
そして是を読んだ者は、覚る者は覚るであろうと。
さあ、これでいいと言って、鬼の前に身体を投げ出したら、梵天の姿が現れた。
鬼が化身していたのですね。

こういうふうに仏教の根本原理は、無常なんですよ。
無常ということは、死ぬぞ、ということなんです。
死んだら、茫々として六道に定趣無し。というのですから。
我々は死んだら何処へ行くのか決まっていないのですからね。

極楽往生が決まっていればね。
決まっていれば、というのはですね。
決まっていれば、生きているうちに必ずお知らせがあるそうです。
極楽往生が決定する時期。それを二つに分けますと、臨終の人と、これから死んでいくというときに初めて極楽往生出来るんだということが分かる。そうすると間もなく極楽往生が出来る。
平生業成と、臨終業成。(ごうじょう)
往生の業が決定する。成立するということですが、それが臨終の場合でしたら、まだ意識のあるときに、阿弥陀様が現れるそうです。
或いは、蓮の花が眼の前に現れるとか。
それは極楽往生の前兆なんですよね。
そしたら自分は極楽往生出来るんだと、臨終のときに分かるんですね。

平生往生というのは、健康なときに、おまえは極楽往生できるぞ、と。
何等かのお示しというのか。
それは和尚さんのお爺さんのお話しを他にも書いたと思いますが、臨死体験の結果、必ず極楽往生出来ますが、まだ命が残ってますと、言われて息を吹き返した。
それから後に死んだのですからね。
だからそれは平生ですよね。平生往生。
こういうふうに健康なときに、お知らせがあったらそれはもう安心出来ますけどもね。認めてくれてるのですからね。
此の人間は大丈夫だ、動揺しないと。本当に死ぬまで信心すると。そういう場合はもう決まってますね。
ところがそれはなかなかね。皆が皆と言うわけにはいきませんね。
だからせめて、今これから死んでいくというときに、お迎え頂いて、ああこれから往生させて頂けるのだな、と。南無阿弥陀仏と称えて往生させて頂く。
兎に角、我々は何時死ぬか分からない。
死んで、あの世はある。
いい所ばかりではない、地獄もあるし、餓鬼があるし、修羅があるし、そういうことをお経に説いてあるとうりだということを信じて頂いてね。
日々匆匆として、忙しいですが、死の用意のほうが大事なんですよね。

これは別のお話しになりますが、本当にあった話なんですが、或る行いの悪い人が居って、その人が或るお坊さんと近付きになったのです。
その坊さんが、その人に、おまえはそんな悪いことばっかりやって、死んだらえらい所へ行くぞ、改めないといかんぞと、寺へ来るごとに教えていたのですけれども、へえへえへえと言って、なかなか改まらないのですね。
そして死んだのです。
死んで、それから夢でその坊さんに告げるのです。
貴方の言うことを聞かなかったので、私はえらい所へ来ましたと。
どうぞ私を助けて頂きたい。
助けて欲しいと言うが、いったいどうすればいいのか。
もう死んでしまったものを。
作品名:和尚さんの法話 「無常」 作家名:みわ