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砂漠の月、星の姫~road to East~

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 彼女の見つめている先には明け初(そ)めたばかりの空がある。彼女は踵を返し、ゆっくりと歩き出した。背後に徐々に藍色から菫色、茜色に染まりつつある空がひろがっていた。刻々と色を変える空に、夜の名残を告げるかのように星が一つだけ瞬いていた。    (了)

☆ 第二夜【国境の月〜road to East】


 タリムは眩しく眼を射抜く陽光に眼を細めた。薄い紗のヴェールを透かして、はるかに続く地平線の彼方を見つめても、ただ茫漠と続く砂の海が横たわるのみ。タリムは、そっと小さな息を洩らした。国を出て、はや数日が過ぎた。用意していた水も食糧も何もかもが既に尽きている。水分すら摂らなくなって、半日になるが、このままでは早晩、力つきて倒れてしまうに相違ない。
 現に、喉はカラカラに乾き、躰が水分を欲しいとしきりに訴えている。流石に気丈なタリムも今にも意識を手放してしまいそうな状態であった。
 もう一度、空を振り仰ぐと、太陽が今日一日の名残を惜しむかのように、西の空に最後の輝きを見せて今、まさに沈もうとしていた。空は急速に昼間の明るさを失い、主役を夜という気紛れな女王に譲ろうとしている。灼熱の太陽と炎暑の地獄が支配する昼間と違い、夜は夜で砂漠はまた危険に満ちた場所となる。怖さ知らずの獣と情け容赦もない夜盗が暗躍する砂漠は、冬のような冷気に包まれる。
 タリムはしきりに周囲を見回した。伝え聞くところによれば、この辺りに小さいけれど、水場―オアシスが存在するはずなのだ。地図にも乗らないような、本当にちっぽけなオアシスだというが、今のタリムにとっては生命を繋ぎ止めるための大切な水を与えてくれる場所なのだ。彼女は朝から、ひたすらその場所を目指して乾いた砂の上を歩いてきたのだから。
 やがて、タリムの顔がパッと輝いた。その視線の先を辿れば、ささやかな水場ともいえないような小さな泉が一つ、満々と蒼い水を湛えていた。タリムはまるで菓子を見つけた幼子のように走った。乾きと疲れのために半ば四肢の感覚が麻痺していたのに、自分のどこにそんな力が残っていたのか不思議ですらあった。
 タリムは水辺にしゃがみ込むと、前屈みになった。両手を水に浸してみる。ひんやりとした何とも心地よい感触に、自ずと微笑が浮かんだ。後は夢中になって、手で水を掬っては口に運んだ。甘くて清涼感のある水は喉を通り過ぎ、タリムの躰だけでなく心まで潤してくれるようであった。泉のほとりに、砂漠によく見かけられる樹が一本、ポツンと植わっている。乾きにも強いこの樹は降雨量の少ない砂漠でも育ち、殊にこのようなオアシスの傍らでよく見ることができる。
 むろん、タリムの生まれ育った国にはたくさんあったけれど、数年に一度花をつけ、その花が百合に似ていたことから、リーラと呼ばれていた。タリムはこの樹に乗ってきた駱駝を繋いでいた。駱駝もうれしげに鼻を鳴らして水を呑んでいる。
 今、この樹には花はなく、青々とした葉を繁らせ、遠来の疲れた旅人を慰めてくれようとしていた。タリムはもう一度吐息をつき、リーラの樹の下に身を横たえた。今宵はここで野宿するしかなさそうである。近くに岩場があれば、そこへゆくのが最善ではあったが、この際贅沢は言ってはおれない。
 火を熾すために、周辺に落ちていた枯れ枝を拾い集めようと躰を起こしかけたときのことだった。ポロロンと、竪琴の音が淡い闇をかすかに揺らした。タリムはピクリと身を震わせ、緊張を全身に漲らせた。たとえ何者であれ、警戒してかかるに越したことはないのだ。何しろ、か弱い女一人の砂漠の旅である。 と、得も言われぬ見事な音色を響かせながら、一人の青年が薄い闇の中から姿を現した。
「あなたは―」
 タリムが眼を見開く。
 青年は黒髪に小麦色の陽に灼けた肌、精悍そうな顔立ちで、歳はタリムより十は上に見えた。恰好は旅人のものだが、どう見ても商人のようには見えない。その鍛え抜かれた体躯は、まさしく武人のものであった。
「私は旅の吟遊詩人、麗しき姫君、どうかお情けをもちまして、旅に疲れ果てた私を旅の仲間として一夜だけ、ご一緒に過ごさせては頂けませんか」
 男はおどけた口調で言うと、小腰を屈めてタリムに丁寧にお辞儀をして見せた。しかし、タリムの中で警鐘が早鐘を打つように鳴り始めた。
 この男は確かに「姫君」とタリムを呼んだ。タリムは数日前、国を滅ぼされ、身一つでひそかに落ち延びてきた正真正銘の「姫」なのだ。恐らく、この男が「姫」と呼ばわったのは戯れ言にはすぎまいが、今のタリムには笑っては済まされない冗談である。
「おお、麗しき方、私の軽口がお気にさわりましたならば、お許しを。私はこのとおりの通りすがりの吟遊詩人なれば、あなた様に何の危害も加えぬことを心よりお誓い致します」
 タリムの胸中を見透かすかのように、男はなおも芝居かがった口調で言った。
 タリムは唇を噛んだ。いずれにしろ、今の彼女には選択の余地はない。もし、この男が心配するような不心得者ならば、たとえ断ったとて、タリムに危害を加えようするだろうし、言葉どおり信頼できる者ならば、心強い一夜の旅の仲間となりうるはずであった。
 誘いを断れば、すぐにでも襲いかかってくるやもしれず、この場はとにかく頷いておくしかなさそうである。タリムが不承不承頷くと、男は笑った。
 タリムが見ている前で、男は拾い集めてきたらしい枯れ枝を重ね、器用に火を熾した。その手慣れた様子から、彼が旅慣れているようなのは確からしいとタリムは見当をつけた。が、やはり、その逞しい両手は、竪琴をかき鳴らず楽人の手ではない。武器を持って戦う―彼女のかつての恋人フィーロのような戦士の手であった。
―この男は嘘をついている。
 なにゆえ、男が吟遊詩人だと身分を偽っているのか、タリムには判らないが、やはり、気を許すことはできない相手のようであった。
 タリムと男は炎をはさんで向かい合う形となった。タリムはただ黙り込んで、燃え盛る炎を見つめる。男はその向かい側で背負ってきたらしい大きな布袋から何やら取り出していた。意識して男の方を見ないようにしていると、気が付いたらしい男が苦笑して、タリムに何かを差し出した。
「これを」
 タリムは差し出されたそれを見た。男の無骨な手のひらには、大きな椰子の実に似た果実が一つのっている。
「リーラの実」
 タリムが思わず呟くと、男は破顔した。
「食べると良い」
 「でも」と、タリムがなおも男を警戒するように見ると、男は困ったような表情になった。
「リーラの実に毒を仕込んだとでも? そのようなことをして何とするのだ。勘違いしなんで貰いたい。確かに私は女性、特にあなたのような美人は嫌いではないが、旅の途中で無防備な若い女性を襲うほど卑劣な男ではないつもりだ」
 男は気分を害した風もなく、淡々と言った。その口調には満更嘘を言っている風もなく、タリムは必要以上に警戒心を露わにした自分を少し恥じながら、男の手からリーラの実を受け取った。リーラの実を割るのに苦心していると、男が笑って小刀を貸してくれた。
「美味しい」