女郎蜘蛛の末路・蜘蛛廻り編
4 大村綾子の場合
綾子が指定された部屋へ報告に戻ると、女が裸で寝ていた。正確に言えば、あの男が寝座にしている女の部屋なのだから、この女が寝ているのも不思議ではないし、そもそもそれが至極当然のことだった。
女のことは知っている。染谷紅子だ。確かあの男のセックスフレンドか何かだった筈だ。どうやら大体の事情に通じているらしく、綾子が入ってきても顔色一つ変えなかった。
「あんた、終わったんだ……まあいいわ、ちょっと付き合いなさい」
そういって、紅子は全裸のまま、エプロンを着た。
「ご飯、まだよね? 冷蔵庫の中のモノが腐りそうだから片付けていって。ああ、その前に風呂ね。あんた、凄い匂いがするわよ」
そう言って、綾子を風呂に追いやった。
首筋に水滴が落ちて、身体が震える。いつも触られているのに、少し刺激の質が変わるだけでこれほど違うのか、と綾子は薄く笑った。
「なにしてんだろ……」
こんなにみじめな気持はあの日以来か。一人になると嫌なことばかり考える。いや、最近は嫌なことを考えなかった日はないか。
笑いが零れそうになる。
食事は二人分にしては少し多かった。この女の冷蔵庫は、いつも物が詰まっている。あの言葉に他意はなかったのだろう。
話すことのない女が二人、食事を摂るだけの静かな食卓だった。紅子はこちらに興味がないのだろう。テレビの方に目を向けている。
一方綾子の方は、多少なりとも興味はあった。あの男についてどういう感情を抱えているのか、なんであんな男と付き合ってられるのだろうか? そんな取りとめのない好奇心が心をざわつかせる。
綾子に見つめられていることに気付いたのだろうか、紅子は綾子へと目を向ける。
見るモノの底の底まで見透かしそうな鋭い視線だ。前髪を書きあげ、綾子のことをジィっと観察している。
「あんた……いや、いいのだわさ。気にしないで」
そういって、紅子は綾子への興味を失った。
――今日は、綾子はここで眠ることにした。
ソファというのはベッドなんかより熟睡できる。少なくとも、綾子にとってはそうだった。
朝日が目に当たり、綾子は目を覚ました。熟睡はできたが、疲れは残っている。
結局あの男は帰ってこなかったらしい。呼びつけておいて、勝手な男だと、綾子は内心で毒づいた。
時計を見ると、丁度日曜の朝のアニメが始まる頃だった。テレビを点ける。
「ふーん、そーいうのが好きなんだ」
染谷紅子だ。眠たげな瞳を綾子とテレビに向けている。
放っておいてほしいものだと、綾子は思う。
「……子供の頃に戻りたい?」
――ドキリとした。
「あたしはごめんだわ。今の方が楽しいしね」
そう言って、紅子は冷蔵庫の前に座る。
「でも、無理矢理大人になっちゃったあんたの場合は、違うんでしょうけどね」
事情に通じているうえ、人の内心を尽く読んで行く。綾子は戦える気がしなかった。
「大人になるって嫌なことと悪いことを積み重ねていくことよ。けれど、そういうことばかりじゃバランスが取れないから、楽しいことと良いことを学ぶの。これってなんて言うんだっけ?
――まあいいか。そのバランスを崩すと、普通は精神を病んだり、社会で生きて行けなくなったりするモノだけれど、たまに明らかに重量が偏っているのに傾かないシーソーがあったりするものよ。そーいう奴、あんたも知ってるでしょ?」
あの男のことだと、綾子はすぐにその男の顔を思い出してしまう。
「そーいうものの清算――過去に戻ることはできなくても、今を変えることはできる。私はそうやって生きてきた」
女は笑う。とても綺麗な笑顔で笑うのだった。
「あんたにもできる筈よ。そんなに難しいことじゃないんだから」
そういって、紅子は楽しそうにアニメへと目を向けるのだった。
出会った時からそうだった。この女は、染谷紅子は、一歩離れた所に立って、それらを観察している。そして、一番隠したいことを言い当てる。会話をすると、綾子はとてもこころがざわつくのだ。
――この女は一体、何者なのだろうか?
作品名:女郎蜘蛛の末路・蜘蛛廻り編 作家名:最中の中