和尚さんの法話 「地獄は存在する」
ただ罪の業によって魚になったり鳥になったり虫になったりしてるんでね。それが縁がよかっただんだん向上して、やがては人間になるんです。
人間になっても、また罪を犯して下りますけどね。
そういう罪のものを全部救われて、全部仏に成ったら、私は一番最後に仏に成りますと、お地蔵さんが誓いをたててあるんです。
だから、お釈迦さんや阿弥陀さんよりもお地蔵さんのほうが先輩なんです。
ところが請願が終わってないのでね。いつでも仏に成るだけの資格は持ってあるわけです。自分の請願が終わらないから未だに菩薩に止まってるんです。
ところが、仏と雖も出来ないことが、三種不成といって三つあるんです。
一、一切衆生は尽くし難し
一、業決定は転じ難し
一、縁無き衆生は度し難し
この三つは、これはもうどうしようもないと言うんです。
一切衆生というと、虫まで入ってきますわね、生き物全部ですからね。
仏性は有るけれども、無数なんですよね。無数にあって、もう数える事が出来ない。
それが、一人仏に成り、また一人仏に成り、この次は弥勒菩薩が仏に成ると。そしてまた次の菩薩さんが出てきて仏に成る。仏さんが増えていくわけですけれども、全部の衆生は尽きないというんですね。
蟻とか蚊とか、そんなのが人間になって、菩薩になって仏に成るというのは、結局出来ないと。
出来ないんだけれども、お地蔵さんは救うという誓いをたてたわけです。私は一切の衆生を救いますという誓いをたてたんです。ところがそれは出来ないことになってあるんです。
だからお地蔵さんは、永久に仏に成れない、菩薩のままで永久に仏に成らない菩薩だということになるんです。
この地蔵経のいろんなところに地獄を説くところがあるんですけれども、大概が地獄に落ちてお地蔵さんに救われるという話です。
兎に角、地獄が有るということを信じて頂きたいんです。
地獄へ落ちてる者にとっては、これは神通力で現してるものだと思えないんですね。
熱かったり痛かったり、本当に苦しむんですからね。
和尚さんの体験談に、鬼を見た話がありまして、鬼を見たということは、その人は地獄へ落ちてるということです。
或るお客さんが、和尚さんのお寺に来まして、その方は初めて来た人で何処の何方か知らない人なんですが、相談を受けに来たわけです。
そしたらその人の側に霊魂が出て来て、その霊魂の側に鬼が付いてたんです。三人というたらいいのか、三匹というのか、鬼が三人付いてたんです。
それで和尚さんは、その人は地獄へ落ちた人やなと思うたんです。
人相は悪いし。それで相談が終わって、そのお客さんに、ちょっとお伺いしますが、お宅のご先祖の中に顔立ちはこんなんで、髪型はこんなんで、年恰好はこんなんで、性格はこんなんで、失礼ですけど悪いと。近所のつまはじきにされたような人ではないかと思います。親戚の付き合いも悪いような人だと思います。そんなような感じの人ですけど、そんな思い当たる人はございませんか、と訪ねますと。和尚さんの話が終わるか終わらんかに、それは私の姑でございますと。言ったそうです。
和尚さんは、その人が姑さんかどうかは知らないわけですが、人相はこうで、年恰好はこうでと、見えたとうりに言うわけですから、それが皆会ってるわけですね。
それで鬼が付いてるんだから、この人は地獄へ落ちてるんだと、思ったわけです。
それでそのお客さんは、それがどうかしましたかと言うんです。
和尚さんは、地獄へ落ちてるな、と言おうとしたんだけど、言うのは気の毒に思って言わなかった。
で、いい所へは行ってませんと、言ったんです。
だからとうりいっぺんの事をしてたって到底救われませんね、と言うと、その人も私もそう思いますと、そう言いました。
だからその姑さんは地獄へ落ちてるに違いないですね、鬼が付いてるんだから。
それでその霊は、大正とか、昭和の初めとか古い時代の霊なんですが、その時代に殺人というようなことは珍しかった。ましてや女の人が人を殺すというようなことは、まあ無かった。
昔は、人殺しといいましたけど人が殺されると新聞に出ますね、それを和尚さんのお父さんがそれを読んでくれたそうです。
ああ、また人が殺されたんやなあと思ったけど、そんな記事はめったになかった。
女の人が殺人をするというような記憶はないそうです。
だからその霊は女の霊やからね。ところが鬼がついてるんだから地獄へ落ちてるんだと思うんだけど、殺人まで犯してなかろうと思うんですけど、お客さんに聞いてないからどうか分からないですけどね。たぶん、殺してないだろうと思う。
殺人まで犯してないけど地獄へ落ちるんだったら、今の人はやっぱり地獄行きですね。
そしてもう一人は坊さんです。何処の何方か知らんのですが、和尚さんの寺へ来た人に坊さんの霊が付いてたんです。
その坊さんの周囲が真っ暗なんですよ。これは黒暗地獄へ落ちてる人やなと思ったんですね。
黒暗地獄という地獄があるんです。真っ暗なんですよね。
その坊さんというのは、明治の終わりか大正の初めの頃に死んだ坊さんですから、これもお客さんに聞いてないから厳密なことは言えませんけど、おそらく人まで殺してないだろうと思うんです、坊さんやしね。
しかしその、黒暗地獄へ落ちてると、その周りは真っ暗なんですからね。これが三日や四日ならなんとか辛抱も出来ると思うんですが、ところが明治から大正の初めでしょ、もう百年ですよね、今まで。
これからまだどれだけ続くか分からない。こんな真っ暗なところで長くいるのは辛いんじゃないですか。真っ暗な世界に誰も居らんのですから、それは辛いですよね。
それで和尚さんは、お客さんに聞いたんです。ご先祖の中に坊さんは居りますかと。
それは私の主人の父親でございます。というたから、奥さんはお寺の人ですかと、聞いたんですね。
いやいや私は寺と違います。私の主人の親は坊さんでございました。
その坊さんの日頃の行いはどうでしたかと聞いたら、それはもうとんでもない坊さんだったと言うわけです。
あれが坊さんか、と。坊さんがあんなことをしていいのか、と。世間の噂の種になってた人だったというわけです。
女の人をたくさんつくって、子供さんがたくさん出来て。その家の主人は、お恥ずかしい話でございますが、その中の一人です、と。
ですから、こういう体験が事実でございますからね、兎に角地獄はあるんです。
極楽も有りますよ。
ついでに極楽もお話しますと、これも以前にお話したことがあると思うのですが、初めての方もおられますので。
和尚さんのお寺はご祈祷もしますので、或るときに家族の病気の平癒にと言うてご祈祷をしたんですね。
地蔵本願経を読んで、そして般若心経を太鼓を叩いて祈願するんです。
そしてそのご祈祷をしてる最中に、阿弥陀様と善導大師と法然上人のご三尊が現れたんです。
このご三尊の形式は浄土宗なんですね。
善導大師が中国の唐の時代に念仏を体制なさった偉い方なんですね。その坊さんの書いたものが日本へ渡ってきて。で、法然上人が比叡山で難行苦行の自力の修行をしてたんです。
その頃は皆、日本の坊さんは比叡山へ上がったんですね。
作品名:和尚さんの法話 「地獄は存在する」 作家名:みわ