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若槻 幸仁
若槻 幸仁
novelistID. 48932
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ラプラスの瞳 序章ノ一

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 しかし、百年以上も前に、完全なラプラスの悪魔を生み出すことは不可能でも、ある限られた範囲をシュミレートする知性を生み出すのは可能だとする可能性が示唆された。
 全世界のネットを介して、ある論文が発表されたのだ。
『リ・ジェネレーション・オブ・ラプラス』という名の論文・・・・。
 そこには、人間の頭に隠された演算領域があることを示されていた。
 仮想演算領域……。
 実体の無い架空の演算領域が、人間の脳にあるという。
 量子力学の観点から言えば、物質のある瞬間での状態を全て解析するのは不可能であり、それを不確定性原理と呼ぶ。
 しかし、それは、観測者に実体があるからであり、架空の演算領域、つまり、実体の無い観測者ならばそれが可能であるということになる。例えば、観測者が認識する数値、つまり公式の答えを虚数のようなものだと仮定し、それを超越存在値と命名する。その超越存在値を量子力学の不確定性原理の公式に当てはめる。それによって、無理やり、その公式を解き、力学的状態と力を知ることが出来る。だが、それで出るのは超越存在値を加味した答えで、具体的な数値ではない。だが、仮想演算領域は、その超越存在値を入力した瞬間、何らかのプロセスを介し、それを具体的な数値に変えて、演算を行なうのだ。
 これで、量子力学の観点から見た、ラプラスの悪魔を存在し得ないとする理論の一つが崩された。
 もう一つ、情報科学の観点だ。例えば、一秒先の未来を読むのに、一秒掛かっていては、未来を読んだことにはならない。だが、仮想演算領域は、時間軸を踏み越える力を持っている。そもそも、実体の無い架空の演算領域には、時間の制約はないのである。
 それでも、人間の演算能力を考えれば、その演算には無理が生じてくる。そこで、限られた座標と未来に絞って、演算を行い、未来を把握するのだ。
 これは、完全な世界のシュミレートにはほど遠いが、十分な利益を生み出したのだ。
それは、例えば戦闘・・・・。
「以上が、ラプラスシステムが実現に至った経緯だ」
 授業である。ひとしきり説明を終えると、葉桜は「さて」と、呟き・・・・。
「後ろのそろそろと入って来る三人組、今の話を要約してみろ、代表者一名を選んでな」
 三人はギクッと身体を強張らせたが、顔を見合わせると、柄叉が前に進み出て、
「後ろに三人の生徒がいて、そろそろと入ってきました」
 とんちんかんなことを言い出した。
「違う、その前だ。授業の内容だ。というか、よしんばそのことを聞いていたとしても、要約になっていない!」
「すいません、今来たばっかりで、分からないです」
 柄叉は悪びれた様子も無く言うのだった。
「ええい! ……もう良い、座れ」
 葉桜は頭を押さえ、ため息をつくと、諦めたような口調で三人に言う。
 すると、丁度良く、天がそれを決めていたかのようなタイミングでチャイムが響き渡る。
「……授業は終了だ。平井、ちょっと来い」
 柄叉は手招きされ、それに従い、小走りで葉桜の下へと向かった。


 応接室である。そこでソファに座り、机を隔てながら、葉桜は話を切り出した。
「転科の件の話だ。転科する気は無いのか?」
「何度も言っているはずです。俺は、俺には、この生き方しか考えられない・・・・」
「何を考えている? お前の今の力では、いつか、付いていけなくなる。これは自明の理だ・・・・」
 少しきつい口調になったのをわずかに悔い、葉桜は目を瞑ったが、
「それでも……、そうしなきゃならないんですよ……」
「何?」
 柄叉が消え入りそうな声で言うと、怪訝な声で、葉桜が眉根を寄せ、疑問を発する。
「とにかく、俺には無理です。これ以外の生き方を模索することなんて……」
 そう言って、柄叉は立ち上がり、もうそれ以上何も言わずに歩き出した。
 柄叉が去ると。葉桜は俯き、呟いた。
「馬鹿、馬鹿者……」
 誰にも聞かれないような声で……。


「何の話だったの?」
「くだらない話だ」
 柄叉はそう嘯いた。
「ふーん」
 直刃は、興味無さそうな素振りを見せながらも、心の中で歯噛みしていた。
 いつも、柄叉は自分の抱え込んでいるものを他人に見せない。何か、深刻な話をしていたのは一目瞭然なのに……。
(僕には、話してくれないんだね……)
 沈んだ表情を見せる直刃……。柄叉は、その顔色を見て、心配そうな顔をすると、
「大丈夫か? 直刃? 顔色悪いぞ、変なものでも食ったみたいだ」
「な、ちが、いや、ふ、ふん! そんなことは無いよ、別に、君に心配してもらわなくたって・・・・。別に・・・・」
 ほんのりと頬が赤くなる直刃・・・・。そっぽを向いて、ちらりと柄叉の顔を見る。
 不思議な雰囲気を醸す灰色の瞳、決して端整な顔立ちではないが人が良さそうで柔和な顔、直刃よりもいくらか高い背丈……。
 それを認識し、真剣な表情で、自分を心配してくれる柄叉の表情、直刃は、自分が何ともいえない感情に心を支配されているのに気付いた。
 しかし、そんな思いは柄叉にばれるわけには行かない。
 直刃は、すぐに俯いた。
「どうした? 本当に調子悪いのか?」
 もう一度、心配そうにする柄叉。
 それ以上はいたたまれなくなって、直刃は、すぐに目を逸らし、宙を見上げると、
「そ、そうだ! 今日の放課後、メモリーバンクに行ってみない? 久しぶりに、三十年前のチェスの名手、エレン=ワークスと柄叉が戦ってるとこを見たいな」
「ん、そうだな。俺も、一試合したいな」
「うん、うん! 行こう! 二人で!」
「いや、さやも誘おうぜ?」
「うん、そだね」
 何となく、直刃がテンションを落としたのに首を傾げつつも、柄叉は続ける。  
「みんなで行った方が楽しいからな」
「うん、そだね」
 直刃は肩を落としていた。


 放課後である。
「じゃあ、行こうぜ、二人とも」
 柄叉が直刃とさやに向けて言うのだった。
 二人が頷くと、柄叉は率先して歩き出した。その手にAECを持つのを忘れない。
 直刃とさやが小走りでその後に続き、教室をそそくさと後にする。
 
 メモリーバンクシステム、偉大な功績を残した人間や、財閥の金持ちなどを対象とし、その人格パターンを、ペーパーテストで調べ、更に脳をスキャニングし、その構造を、コンピューターに記録する。それによって、会話などの、日常的なコミュニケーションはもちろん、研究の助言などを受けることすら出来るシステムである。
 だが、あくまでコンピューターが脳のデータをスキャニングされた人間の思考パターンを基に受け答えをしているだけなので、向こうから何かをすることは無く、こちらが働きかけなければ、何も出来ないのだ。
 つまり、能動的な行動をすることは出来ないが、受動的な行動は出来るということだ。
 そのシステムは、メモリーバンクという施設で、使用することが出来る。
 だが、特殊なコードが無ければ、個人情報を扱うこのシステムを使用することは出来ず。ましてや、一般人である柄叉や直刃が世界的なチェスの名手と対局することは通常出来ないのである。
 しかし……、
「おお、柄叉ちゃんじゃない! 相変わらずいい男っぷりだねえ、二人も可愛い子連れちゃってえ」