友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。
「貴女とシエルはまだほんの少ししか一緒にいません。でも、その短い時間でシエルは貴女の中に入り込んだでしょう?それはあの子の持っている力が、あの子が貴女のことを愛している気持ちが、貴女を少しずつ変えようとしているからだとは考えられませんか?」
「シエルが私を…愛している?」
耳を疑った。シエルの気持ちは忠誠心から来るものだと思っていた。でも店主の言い方は凜子が思っているものじゃない。
「シエルは貴女を愛していますよ。私の予想は外れたことないですから」
喉の奥で楽しそうに笑って、指輪をちらりと見た。その顔はいたずらっ子のようだ。
それから、凜子の顔を見ると、店主は一つ息を吐き、言葉を続けた。
「だから、もっとシエルに心を開く努力をしてください。頭の良い貴女なら分かりますよね。良いことに対してすぐに結果は出ないものです。それに何より、貴女にはシエルが必要です、その証拠に指輪は貴女から離れないでしょう?言葉では必要ないと言っても、心がシエルを求めているんです。シエルに愛されて、愛してみてください。そうすれば世界は変わります」
シエルが必要。心を開く努力。
シエルに愛されて、シエルを愛する。
店主の言葉がグルグルと凜子の中をめぐる。
今まで自分が求めて諦めたものをシエルは持っている。あの満開の笑顔の中にたくさん。
くすんだ色をしている指輪をそっと指でなぞる。冷たい金属のはずの指輪が温かい。
それはシエルの温かさなのか?
シエル…離れたくない。そばにいて欲しい。大切で、大好き。
体の奥から思いがじわじわと湧きあがって来て、それと同時に凜子の瞳から涙が流れた。
声も出さずに涙をこぼした凜子に店主はそっとハンカチを差し出した。
「もう、自分の答えが分かりましたね」
凜子は黙って頷いた。
「一緒に、いたいです。…シエルが好きです」
やっと、手に入れた、凜子はそう思った。
脳裏に焼き付いていた憎悪も罵声も、薄れていく。小さな小さなシエルが消してくれる。
怯えきっていた自分に向き合うと、答えは単純だった。愛したかったし愛されたかった。
それだけだ。
「シエル…ひどいこと言ってごめんなさい。許してくれる…?」
指輪に向かって話しかける。
「もちろん、許しますよね?シエル」
店主の言葉と同時に、指輪は閃光に近い光を発した。
「…!!」
凜子が目を閉じて数秒もするとそれは治まり、何事もなかったかのような店内に戻った。
でも、ひとつだけ違うことがある。
指輪は元の輝きを取戻し、目の前にはシエルがいる。
「シエル、聞いていましたか?」
店主の問いかけにシエルはコクンと頷いた。そして凜子を見上げる。その瞳は不安げに揺れてる。
「姫、本当に、おそばにいてもいいんですか?」
「そばにいてくれるの?」
「僕は、いたいです」
「じゃあ…」
凜子はシエルをそっと掬い上げるように手の上に乗せた。
「私のそばにいてください」
その言葉にシエルは一気に顔を綻ばせて、凜子の大好きな笑顔になった。
9.新しい二人
「これで、私も一安心ですね」
店主はお茶を一口飲んでそう言った。
「安心?」
シエルが首を傾げると、ニヤッと笑って店主は言葉を放った。
「お前を焼かなくてよくなりました」
「ひぃっ!」
シエルの白い顔が一気に青くなる。
「…冗談ですよ」
「絶対…冗談じゃないですよ、その顔」
「おや?私の顔に見惚れましたか?」
「違う意味で…」
「それはありがとうございます」
物凄い爽やかな笑顔の店主は、思い出したかのように言う。
「そうそう、シエルの気持ちも代弁してあげたから、それも感謝してくださいね」
気持ち?
凜子もシエルも一瞬考える。それから、シエルはボッと音が出そうな勢いで顔を真っ赤に染めた。
「あ…あ…あれ…あああぁぁあぁぁあぁぁっ!!!!!」
頭を抱えて転げまわるシエルに、店主は口を押えて笑いを堪え、凜子はじわじわと顔が赤くなるのを止められなかった。
「ななな、なんで…僕の気持ちがばれたんですか!?いつ!?どのタイミングでっ!?」
烈火のごとく詰め寄るシエルを軽くあしらって男は鼻で笑う。
「私を誰だと思っているんですか?お前の考え位お見通しです」
そしてまた、すましてお茶を飲んだ。
恥ずかしさのあまり、シエルがまともに凜子を見てくれないので、凜子も気まずくて顔を背けた。その様子を面白そうに眺めていた店主が凜子に問う。
「シエルの使用方法は決まりましたか?」
「は?使用方法?」
「最初にも言いましたが、貴女のお望みのままに、この子を使ってやって下さい。メイドでも、恋人でも、家族でも下僕でも。因みに私は玩具か下僕がお勧めですが…」
「なんてことを言うんですか!!!」
店主はどうしてもシエルをいじりたくて仕方ないようだ。憤慨するシエルの首根っこを摑まえてぶら下げ、「なかなか素敵でしょう?」と微笑む。
凜子は素直に自分の気持ちを言葉にしてみようと思った。
誰かに気持ちを伝えるなんて長い間してなかったからできるのだろうか。そんなくだらないことが頭をよぎる。それでも、声が小さくなりながら、そっと言葉にしてみた。
「私は………が、良いです」
「はい?」
「シエルと…恋人や家族になりたい……です」
真っ赤になって俯く凜子に、シエルは目を見開き、店主はほおっと感心したように声を上げた。
「今まで、こんなにシエルを思ってくれた方はいませんでした。良かったですね」
先ほどまでの無体な振る舞いなどなかったように男は優しくシエルに微笑み、その柔らかい髪を撫でた。
「それと、私は今日はすこぶる上機嫌です。だから贈り物をしましょう」
スッと立ち上がった店主は、シエルを手のひらに乗せ、少し高く腕を上げる。
そして、目を閉じて神経を集中させるように深呼吸をする。
凜子もシエルも、事の成り行きを見守るしかなかった。
店主の長い睫毛がふわっと動き、目が開かれる。唇がわずかに動き、何かを呟いた。
「わっ!!」
瞬間、シエルがビクッと体を強張らせた。
「なに、これ」
「シエル?」
凜子の目の前でシエルは光の塊となって空に浮いた。
男の呟く言葉がシエルを変化させていく、やがてシエルは…。
「あ、あれ…」
大きくなっていた。
「あの、これはどういうことですか?」
贈り物?凜子は首を傾げて店主とシエルを交互に見た。
大きいシエルはいつもと同じに見える。姿かたち、全く変わっていない。勿論シエルも同感だと言うように首を傾げている。
「私の贈り物は、人間のシエルです」
……………………。
……………。
……。
「えええええぇぇぇっ!!!」
ニコニコと笑う店主の前で、凜子とシエルは店の外にまで聞こえるんじゃないかという位の声を上げた。
「僕が、人間に?嘘…。人間…?」
自分の手や体を見下ろしてシエルは何度も同じ言葉を繰り返している。本人には何も自覚はないらしい。本人に自覚がないなら、凜子などもっとない。
「もうシエルはお役御免という訳です。だいたい、これ以上私の店で売れないお前を管理するのも嫌ですしね」
言葉とは裏腹に、店主のシエルを見る目は優しい。
作品名:友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。 作家名:なぎ