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友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。

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 昨日、あれからシエルは何も言わずに泣きながら指輪の中に引きこもってしまった。小さな体が震える様子に凜子も何も言えずに、そのまま朝を迎えた。
「良かった。確認するのをうっかりして閉ざしてしまったので少し焦りました。シエルには少し中にいてもらいましょう。私は貴女と話がしたいです」
 首を竦めて店主は笑った。それから、店主はゆったりと椅子に座り凛子を見た。
「さて、何から話しましょうか?」
「は?」
「あ、そうそう。その前にお茶を入れましょうね。おいしいお菓子もありますよ」
 本当に話をする気があるのか、店主は鼻歌混じりにお茶を入れてくれた。
 店主の入れてくれたお茶の香りが店の中に広がる。木の香りと混ざったそれを凜子大きく吸い込んだ。
 凜子が一口お茶を飲むと、店主は優しく微笑み再び椅子に座る。
「最初に、私が言ったことを覚えてますか?」
「最初?」
「はい。この店のものは、買い手の方の心によって選ばれて行きます」
 あ……確かにそんなことを言ってた。
 凛子は指輪をつけた日のことを思い出す。それを察した店主が満足げに頷いた。
「私の言いたいことが分かりますか?あなたは自分の意思でそれ、つまりシエルを選んだのです」
 私の意思?
「この聖堂には、様々なものがあります。歴史あるものに宿る力です。シエルのような妖精、もののけの類い、神から加護を授かったもの…それと後は、情念のこもったものもありますね。血生臭い記憶を持つものとか。良くも悪くも人間の欲を満たすもの達です」
 まるでおとぎ話か何かを聞いている気分にさせられる。でも、この不思議な雰囲気を持つ男が言葉にすると当たり前のような気にさせられるから怖い。
「そんなものの中から、貴女はシエルを選びました。もう長い間誰にも見向きもされなかったあの子を選んだことは、私も正直驚きましたけど」
 思い出している店主は本当に楽しそうに笑った。
「あ、あの…」
「はい?」
「シエルは…一体何なんですか?」
 自分の意志で選んだシエル。でも、なぜ自分がシエルを選んだかさっぱり分からない。
 しかし店主はその顔に爽やかな笑顔を浮かべ、「さて、何でしょうねぇ」と言ったきり、お茶を飲んだり語りかけてくる骨董品に返事をしたりする。
 凜子は考える。
 シエルの持っているもの。シエルのことを。
 柔らかいプラチナブロンドの髪。
 確かに綺麗だとは思うけど、それが欲しいわけじゃない。第一、指輪を付ける前はシエルの姿を見てなかった。
 青磁色の瞳と、白い肌、愛らしい容姿。
 これも違う。
 じゃあ、羽?
 子供じゃないんだから、飛びたいとも思わない。
 小さくなったり大きくなったりすること?
 メイド?
 友人?
 恋人?
 下僕?
 どれも違う。そんなことじゃない。
 思考の渦に落ちていきそうな凜子を見つめていた店主は、クスクス笑いながら「ヒントです」と言った。
「そんなに難しく考えないでください。そうですね…貴女はシエルの何が好きですか?」
「シエルの好きな所、ですか?」
 シエル。
 もう一度、凜子はシエルを思い出す。小さな体と羽、一緒に生活してみて感じたこと。
 何でも一生懸命で、時々ドジッ子で、凜子がからかうと顔を真っ赤にして怒ったり、甘えてきたり。でも実は凜子が甘えてたり。
 シエルといると楽しいことしかなかった。シエルが笑うと嬉しかった。
 笑うと……。
 私が好きなところ。シエルの…。
 あ、と凜子は小さく声を出した。
「………分かりましたか?」
「笑顔…」
 あの花が咲いたような笑顔が好きだ。いつでも、自分だけに見える、自分しか見ることのできない笑顔。
「それだけですか?」
「え?」
「あの子の笑顔は可愛いでしょう?私もあれの笑顔が大好きです。まぁ、もっとも私はあの子をからかってしまって怒らせるし、私に対しては本当の笑顔は見せてくれませんが」
「本当の、笑…顔」
 凜子がつぶやくように繰り返すと、店主は大きく頷く。
「もう、お分かりでしょう?貴女はシエルの本当の笑顔、その中に何があるのか」
 店主の目が細められる、穏やかに優しく、諭すように。
「あ、私は一つ貴女に言い忘れてました」
「え」
「シエルの特技はご主人様に従順なこと、これはシエルをお渡しするときに言いましたね。あともう一つ。…シエルは愛情と信頼の妖精です」
 これが、貴女がシエルを求めた理由ですよ。
 店主は今日一番の笑顔でそう言った。


   8.答え


「シエルは愛情と信頼の妖精です」
 笑顔を湛えたまま、店主は静かに語る。
「昔、人間の欲は本当に小さなものでした。慎ましくて静かに、自分の家族や周りのものを愛し、ともにいることを幸せに感じる。その頃は、シエルのような妖精はたくさんいました。でも、純粋でささやかな欲とともにこれらは死に絶え、代わりに生まれたのは汚い欲。私の店に来るお客様は財を求め名声を求め、人を貶める欲。そんな方ばかりになってしまいました」
 淡々と語るその瞳は、悲しみとか諦めとか、呆れとか、そんな感情を滲ませる。
「だから、シエルは売れ残り、長い間ここにいたのですよ。ね?シエル」
 凜子の指にある、光をなくした指輪を眺めて店主は語りかける。
 指輪からは何の反応もない。シエルは今店主の手によって中に閉じ込められているからだ。
「だから貴女がシエルを選んだ時は驚きました」
「そうなんですか…?」
「はい。この方は傷ついていらっしゃる。誰よりも信頼を否定して愛情の存在を否定してるのに、心の中ではそれらを渇望している。渇望しすぎて自分では気づかない…それで、無意識にあなたは指輪を手に取った」
 凜子の心の殻を、店主はそっと剥がしていく。決して痛みは感じさせないように、柔らかい手つきで、守るように。
「辛い思いをなされたのでしょう?まだお若いのに、誰も信じられなくなるほどの思いをしてしまって沢山泣いたのではないでしょうか。だから貴女は、私の店に来たのですよ。辛くて悲しいことから、一歩前に進むことを望んで、でもできなくて迷路の中を迷っていたんです。私は貴女の傷を癒してさし上げることはできません。でも、それをお手伝いすることはできます。ここにある品とあなたを結ぶことが、私のできることです」
 シエルと貴女を結ぶこと。
 店主の声が心に直接聞こえた気がした。
「あの、シエルもですが、あなたも一体…」
「私ですか?売れない骨董屋の主人ですよ。これ以上は企業秘密です」
 唇に人差し指を添えて、店主はニコッと笑った。
「ま、冗談はさておき、貴女にはシエルは必要ないですか?」
 ふと、真顔で聞かれて凜子は返事に困る。
 店主の表情は決して責めているものではない。でも、ここで嘘はついてはいけない、つくな。そう言っている気がした。
「シエルは貴女の望むものを持っています。貴女がまた、歩き出せるように本当に笑えるように、シエルならしてくれます。そのためならシエルはきっと何でもするでしょう。それともシエルのことを信じることができませんか?」
「……………はい」
 凜子は素直に答えた。
「私は、信じることが出来ないということと、必要ないということは違うと思いますよ」
「え…?」