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 どこからみても、立派な男性になっていくシエルを、凛子は呆然と見ていた。
「これでどうですか?」
 可愛かった声も、大人っぽくなって低く、艶さえ含んだようなものになっている。
 しかし、なぜか着物を着ている。どう見ても、外国人観光客が着物を着てみました的な雰囲気が面白くて、凛子はクスクス笑ってしまう。
「何か変ですか?」
「だって、着物って…」
「あ…聖堂のご主人がいつもこの格好で…つい。それじゃあこうします」
 再びシエルが光に包まれる。
 次に現れたのはカッチリしたスーツ姿だ。
「この間、お店に来たお客様がこんな格好をしてました。いかがですか?」
 凛子は目を奪われて何も言えない。
 これはこれで格好良すぎるよ。まるでモデルだ。
「姫?」
 ベッドに腰かけている凛子の顔をのぞきこむ。青磁色の瞳が至近距離になり凛子は我に返った。
「あ、うん…いい、と思うよ」
「本当ですか?良かったぁ。姫に喜んでもらえたら僕も嬉しいです」
 弾けるような笑顔は、小さいときのシエルと同じだった。でも、やっぱり大きなシエルは綺麗すぎて落ち着かない。凛子はとりあえずシエルに元に戻ってもらうことにした。
「大きい僕はダメでしたか?」
 少ししゅんとしてシエルは元に戻った。
「そういう訳じゃないけど、今は大きくなる必要ないでしょう?」
「そうですか?大きい方が何かと便利だと思うんですが…いつでもなれますから言って下さいね」
「う、うん。ありがとう。今日は仕事も休みだし、とりあえず朝ごはん食べようか」
 凜子は大きく伸びをしてベッドから下りた。窓の外は良い天気だ。
 とりあえず、掃除して布団干して、それから買い物にでも行こう。
 キッチンに向かいながら今日の計画を立てる。シエルはその後ろをフワフワと追いかけて来る。
 冷蔵庫にあるもので適当に食事を作り始める。自炊もこの一年ほどでかなり上達した。
「姫は手際がいいですねぇ」
 シエルは感心したような声を出した。
「私なんて普通だよ。それにしても、なんで姫って呼ぶの?」
 姫なんて、正直恥ずかしい。
「僕の前のご主人様が、女性には姫と呼べと言ってました」
「前のご主人様?それって、どんな人?」
 って言うか、いつの時代?
「貴族のお嬢様でした。赤毛の綺麗な、すごくプライドの高い…僕、よく怒られました」
 恥ずかしそうに頬を赤く染めてシエルは笑う。
「怒られた?」
「はい、僕は要領が悪くて、ご主人様の望むことがなかなかできなくて…でも、最後は優しかったですよ」
「シエルと、そのお姫様は、どうして離れたの?」
 凜子の言葉に、シエルの顔が曇る。影が落とされたシエルの顔も綺麗だ。
「姫は、病気で余命が残りわずかでした。だから、僕にしたいことをさせてくれと願いをかけました。僕は姫が望むことを全て叶えて差し上げたくて…本当は病気を治して差し上げたっ方のですが、妖精は人間の命を操ることはできません」
 昔を懐かしむシエルは少し涙ぐんで笑った。
「僕たち妖精は人間のみなさんよりもずっと長生きですから、どうしてもお別れの時は来ます。それは仕方ないことなんです」
「そうなんだ」
 凜子はシエルににっこり笑う。
「でも、私はまだ死んだりしないから、シエルとは長い付き合いになりそうね」
 凜子は自然と言葉が出ていた。この小さくて不思議な生き物と一緒にいることを、自分でも受け入れてしまったのか?正直びっくりする。
「ひ、姫えぇぇぇっ!」
 シエルはくしゃくしゃの顔になって凜子に飛びついた。ワンワン泣きながら凜子の頬に自分の頬を摺り寄せた。
「シエル、ちょっと!くすぐったいよ」
 凜子はシエルの柔らかい髪の毛と滑らかな頬の感触に思わず笑った。
 なんか、久しぶりに笑った気がする。誰かと気を張らずに話したのも、最近はなかったな。
 小さな妖精ではあるが、凜子にとってはこの町に来て初めて気を抜いて話ができる相手だった。
「じゃあ、これからゆっくり、仲良くなろうね。よろしくシエル」
 凜子の言葉に、シエルは花がほころぶようにかわいらしい笑顔を見せた。
 


   3.心の中の霧


 凜子とシエルの奇妙な生活が一週間ほど過ぎた。
 凜子以外にシエルが見える人間はいないらしく、また、家以外の場所ではシエルは指輪の中でおとなしくしていることが多かった。
 シエルは本当によく働いてくれる。小さな体で食器を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、やっていることはハウスキーパーそのままなのだが…。
「僕はもっと姫の役に立つことがしたいです」
 シエルは凜子に毎日のようにそう言うが、凜子は十分役立ってもらっていると返すだけだった。
 実際、凜子にたいした願いはない。毎日をただ何となく過ごしているのだから。
「姫、今日の晩御飯は何にします?」
 仕事帰りに、シエルはそっと凜子に問いかける。
「そうだねぇ、シエルは何が食べたい?」
「僕は姫の食べたいものなら何でもいいですよ」
「なんでもいいが一番困るのよ。あ、私のお願聞いてくれるなら、今日の献立を考えて」
「そんなことで良いんですか?姫は本当に欲のない方ですね」
「そう?じゃあシエルのこと困らせてみようかな」
「そ、それはちょっと…」
 そんななんでもない会話をしながら歩く道は、一日会社で気を張っている凜子にとっては何よりも癒しになっている。
「仲良くやっているようですね」
 突然、声が聞こえて凜子とシエルは辺りを見回した。
 いつの間にかあの路地に入ってしまっていたようだ。目の前に聖堂がある。そして店の前に店主が立っていた。
「こんばんは」
 相変わらず、古い街並みに溶け込んでしまいそうな雰囲気と和服がよく似合う。店主は優しい笑顔を浮かべて凜子たちを見つめていた。
「こんばんは…」
 全く気配もなかったことに凜子は驚きながらも頭を下げた。
「シエルは、迷惑をかけてはいませんか?」
「はい、最初はびっくりしましたが、今は楽しくやってます」
 凜子がにっこり笑うと、店主は目を細めて楽しそうに笑った。
「良い顔をなさってますね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。ところでシエル」
「はい」
 店主に名前を呼ばれて、シエルはピッと姿勢を正した。
「主人の言うことをよく聞くのですよ。でないと、私がお前を引き取りに行かないといけなくなります。その後は…………分かりますね?」
 店主の表情が深い闇と陰惨さを纏い、微笑んだ。その姿にシエルは真っ青になって震えあがった。
「だ、大丈夫ですよ」
 凜子は慌てて二人の間に入ろうとすると、再び優しい笑顔になった店主は、
「ふふふ。少し脅かしすぎましたね、すみません。出来の悪い子ほどかわいいと言うじゃありませんか。私はシエルが可愛くて仕方ないんです。では、お気をつけてお帰り下さい」
 そう言って店の中に入ってしまった。
「なんか…不思議な人だね」
 まぁ、シエルのいたお店なんだし、不思議なことこの上ないのは当然か。
「僕も、主人のことはよく分からないです」
 シエルはまだ青ざめている。無理もない、凜子すらも怖いと感じたのだから。
「大丈夫だよ、シエルは私と一緒にいるんだから」
「姫…ありがとうございます」