和尚さんの法話 「前世と来世」
寝台へ正座をして拝むわけです。
日蓮宗の信者さんだったそうです。
で、なんみょほーれんげっきょ。。。と拝むんですね。
それで、汝26歳は不思議な悟りを開いておるな、と言うたそうです。
で、和尚さんは、悟りは開いておりません。悟りを求めて寺を回ってるんですからと。
いや、私が言うのはそうじゃない、あなたは神秘的な体験をしておるぞ、とこういうわけです。
それで和尚さんは、私は霊の声が聞こえますと。
和尚さんが22歳の頃に東京で或る易者さんに観てもらったんだそうですが、あなたは24歳になったら不思議な精神的な大きな革命が起こると言われたそうです。
その霊の声が聞こえるようになったのは、24歳だった。
あなたはその霊の声の主は何方と思ってるというわけです。
分かりません。
これは、地蔵菩薩だぞ。
汝は地蔵菩薩に縁があるだろ、と言われたんです。
和尚さんの寺には、聖徳太子の作といわれるお地蔵様の仏像があるお寺なんです。
そのお地蔵さんのお寺に育ってきてるんですからお花を供えたり、お茶やご飯をお供えしたりして、親がしなさいというからしてきたわけです。
ですので縁はありますね。
それで小さい頃から、なにか困ったことがあったら、誰にも教えられないのに、南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩と自然に称えていたということです。
で、これは地蔵菩薩であるぞ、と言われて、初めて声の主がお地蔵様であったのかと分かったそうです。
和尚さんは、満州へ最初に行ったけどそのときも声の主は何処へ行ってもついてきて和尚さんを守ってくれたそうです。
その声の主が、お地蔵様だったのかと分かってありがたいなあと、感謝の気持ちがこみ上げてきて涙が溢れてとまらなかったそうです。
そのときにお地蔵様の信仰に入ったんだそうです。
それからその人の家へ度々行くようになって、なんで信仰に入ったかという話しをしてくれたそうです。
その行者さんは、18歳でお嫁に来て、20歳くらいからだんだんと身体の具合が悪くなってきて、一人では歩けないようになってきたというのです。
それでいろんな人に、信仰をしなさいと言われてましたけど、信仰なんということは全く信じて無かった。
それで無理にでもお参りに連れて行く人があって、それは罪があるんだと、前世の罪があるからそういう病気になるんだというわけです。
なにが私が罪があるんですか、私は何も悪いことはしていませんと、いうわけです。
この世では悪いことをしてないかもしれませんけど、前世でね、してあるんです。
前世なんてそんなものはありますかと。
そういうことで日を送ってたわけです。
ところが、或るときに法華経の話しを聞いたらしいんです。
なんみょほうれんげっきょの話しを聞いてるうちに、なにか心を打たれるものがあって信仰に入ろうという気持ちになってきた。
そしてだんだんとその気持ちが高まってきて、行をしようという気持ちになったそうです。
でも、寝たきりですから行にも限りがありますね、それで味の無いものを食べたそうです。
味付けしていない、水だけで炊いたものを食べて、そしてなんみょほうれんげっきょを称えたんだと。
そうして寝台へ寝たきりで、なんみょほうれんげっきょと称えてたら、なぜか知らない間に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、南無阿弥陀仏に変わってるんですね、気がついたら、南無阿弥陀仏と称えてたというのです。
これは試されてるのかどうかなと、なんみょほうれんげっきょと言うてるのに南無阿弥陀仏と称えてる、と思ってたら、枕元に手甲きゃはんの白装束の人が現れて杖をついて、背中に信仰してる仏様を奉るお厨子を背中にしょってるんですね、そういう人の霊が現れた。
そして、あんたに南無阿弥陀仏と言わせてるのは私だと言うわけです。
然し、おまえの心を試そうとか乱そうというのではないんだ。
私はこの姿で、300年前に諸国を行脚してた六部です。
私は浄土に帰依してた。
背中に観音様を背負うて歩いてた。
そしてこの辺へ来て、家へ宿ったところが、その家の者が悪人で私は少しばかりのお金を持っていたのを眼が眩んで私を殺してしまったんだ。
そして身体を切り刻んで土に埋められてしまった。
私は仏様に仕える身だから殺されてもいいが、そのとき私は背中に十一面観音様の仏像を背負うてた。
その仏像が骨と一緒に300年間土に埋まったままになってる。
それを、おまえによってもう一遍掘り出して地上へ出してもらいたい。
その時期が来たんだ、それをおまえによってしてもらいたい。
おまえの家からどの方向へどれくらい行った所を、そこをどれくらい掘ったら出てくるから、その観音様を奉ってもらいたい。
と、こう言われたそうです。
その話しを主人に言うて、そこを掘ってもらいたいというと。
おまえのやってることは、気違いだと言うんですね。
然し、おまえは寝ても覚めても寝たままやしなにも楽しむこともなければ、なんみょほうれんげっきょと称えてばかりいるし、わしはそういうのは嫌いだというわけです。
そんなことに凝り固まってきたら皆、気違いになるんだと。
もう辛抱できんから止めてくれ、というわけです。
それで奥さんは、それならば兎に角、私の聞いた所へ行って掘ってみて下さい。
そして何も出てこなかったら、なるほど私は気違いかもわかりません。
兎に角、一遍そこを掘ってみて下さい、出てきたらあなた、どうなさいますか。
若し掘って出てきたらわしは信仰に入る、と言ったんです。
ところが、その場所は昼間に掘ってたら人に笑われるような所だったので、人目につかないように夜掘ったそうです。
そしてそこから仏像が出てきたんです。
その観音様が、ここにお奉りしてるのがその観音様ですと。
それから主人はびっくりして信仰をするようになったということです。
そして寒いのに海へ入って主人も行をしたというのです。
そんな行の足りた奥さんですが、なんでそんな病気になったのかというと、六部が現れて私は300年前にここで殺されたといいましたね。
その殺したのが、この行者さんだなと、この話しを聞いてるとそう思ったそうです。
聞きませんけどね、それくらい行の足りた人だから知ってると思うのです。
自分が前世でそういう人を殺した報いによってこの身体になったということは和尚さんは聞いてないけれども、おそらくは知ってるだろうと思った。
この人がその六部さんを殺したんだなと。
然し、その六部さんは自分を殺した人だけど、救ってやろうと思って現れて観音様を掘り出して信仰するように言うたんですよね。
もうその人は亡くなったそうです。
ですから、そういう病気をしてるということは、なにかの業があるはずなんですよね。
前世でそういう人を殺した人やから、そういう病気なって寝付いてしまったんだなと。
本人は言わないけどれども知ってるだろうなと、今でも和尚さんはそう思ってるそうです。
だから今のように簡単に人を殺したり詐欺をしたりすると、死んでまずあの世で報いを受けます。
地獄へ行くとか、餓鬼へ行くとかそういう報いを受けて、今度また人間界へ生まれてきたって、ろくなことはない。
作品名:和尚さんの法話 「前世と来世」 作家名:みわ