和尚さんの法話 「前世と来世」
でも、和尚さん、こうして線香を持ってあっちの寺、こっちの寺へ行くけどあの世は無いという和尚さんもいますよ、というわけです。
そりゃあるやろな、あの世が無いという和尚さんのほうが多いと思いますよ。
然し、それは間違いですよ。
然し、なかにはあの世はある、霊魂はあるという和尚さんが全く無いということもないだろう、一人や二人はあるだろう。
あ、それはありますのやと。
その話しをしてくれましたのは、比叡山の阿闍梨さんと言ったそうです。
その阿闍梨さんの所で、和尚さん、あの世はあるんですかと、線香売りが聞いたら、そりゃあると言うた。
あるけど、私も若いうちはそういうのは信じられなかったと。
然し、比叡山のふもとの坂本という在所にこういうことがあったんだと言うて話しをしてくれたそうです。
これも岐阜なんですが、岐阜の或る若い奥さんが、或る夜に夢を見て、尼さんが夢に出てきて私は京都の比叡山のふもとの坂本という在所に住んでた尼です。
10年前に死んだんですと。
今度、あなたの子に生まれますので宜しく頼みます、という夢を見たんですね。
坂本という地名は知ってるけど、そこに尼寺があるとか、尼さんが死んだというようなことは全く知らない。
そして機会があったらその坂本という所へ行って、一遍調べてみたいと思ってたんです。
そしてその夢を見てから1年たって女の子が生まれたんです。
女の子やから、やっぱり夢のとうり尼さんの生まれ変わりだろうかということで、そして京都へ来る機会があって、その坂本へ行って調べたら尼寺があって、そこで夢に見たとうりのこんな顔立ちの、こんな年格好の人でしたかと聞いたら、それは前の尼さんですと、今の尼さんがおっしゃった。
尼さんというのは在家から尼さんになって来る人が多くて、寺の娘さんが尼さんになるというのは少ないそうです。
男はだいたい寺の坊さんになるのが多いけど尼さんは在家の人が多いそうです。
その亡くなった尼さんは、坂本にあるお医者さんの娘さんが尼さんになったということです。
それで、そのお医者さんの家へ訪ねて行って、夢の話しをしたんです。
そしてこの子はその尼さんの生まれ変わりだと思いますと。
するとそのお家もその話しを信じたんですね。
それだったら、家を出た人の産まれ変わりだなと信じた。
それからは全くのあかの他人だった家が密接な親戚以上の付き合いになったんです。
そして年月がたって、そのお医者さんの家に男の子があって、結局その尼さんの生まれ変わりという子と、お医者さんの子と結婚したんです。
だから尼さんの生まれ変わりの子は自分の生まれた家へ帰ったわけですね。
この話しを阿闍梨さんがしましたと線香売りが言うんですね。
それは人間の生まれ変わりのいい話ではないの、と和尚さんが言いますと、いやーそれが信じられないんですと。
信じられんというけど、話しのつじつまがちゃんと合ってるじゃないの。
ところが、それが信じられませんというんですね。
あの阿闍梨さんは、決して嘘をつく人ではないのは人柄で分かるんです。本当のことを言う和尚さんだと。
だったらその話しは本当のことなんだから、生まれ変わりという証明がちゃんとできるじゃないかと言うのに、いやーそれが信じられませんというんです。
話しは話しとして聞いているんだけれども、だから霊魂があるということまで気持ちが乗らんらしい。
これもお話したことがありますが、和尚さんの寺の在所に、或る男の人があって、結婚をすることになったんです。
その息子さんの母親が夢を見て、夢に女の人が出てきて、ふつつかな娘でございますが宜しくお願い致します。と挨拶をしたそうです。
ふつつかな娘だというんだから、息子の相手の人のお母さんはもう亡くなってるそうだから、お母さんだなと思った。
ですが実際に会ったことがないですね。
ところがそんな夢を見た。
それで結婚して、そのお嫁さんが来たので自分の見た夢の話しをして、あなたのお母さんはこんな年頃の、こんな顔立ちのお人でしたんですかと聞いたら、あーそれは私の母親でございますと。
そんな話しがあったそうです。
とにかく、畜生も人間に生まれるし人間も行いが悪いと畜生に生まれる。
最近はそんな畜生に生まれるような人がいっぱいいるんじゃないでしょうか。テレビや新聞を見てますとそう思いますね。
これも参考にお話しますが、和尚さんが地下鉄に乗ってたんですが、前の席が空いてて、次の駅で止まって、子供が人を掻き分けて空いた席にだーっと座ったんです。
和尚さんは、子供やのにあつかましい子供やなと思ったんですね。
よく見ますと、子供じゃなかったんです。
小さい大人でした。
その人を見てるとその人の横に柿木がぱーっと見えてきたんです。
そしてその柿の木に首を吊った人が見えてきたんですって。
そういう姿が見えた。
これは証明のしようがないけど、和尚さんはそのときに思ったのは、その人は前世で或る人が助けを求めてきたのに助けなかった。
それでその人は助けてくれなかったので生きようが無くなって首を吊った。
か、用者無く攻め立てたのでその人が首を吊って死なせてしまった。
直接手をかけて殺したんじゃないんだけれども、原因はその人が助けてほしいというのに助けないから自殺へ追い込んだ。
そういうことをした報いで、そんな姿に生まれたんだなと、思ったそうです。
街を歩いていたら生まれながらに親に車へ乗せてもらってるような子供も居りますしね。
これは赤ちゃんではなくて、大人です。
こういうのは偶然と違うんですよ。
必ず前世に罪を積んであるんです。
和尚さんは戦争で、最後は仙台の陸軍仙台飛行学校に居て、そこで終戦になったそうです。
見習い士官になって、合間に寺を回って、戦争で何時死ぬか分からんと思うので恥ずかしい死にかたをしたくないと思って、誰か修行の足りた人は居ないかと思って、空襲警報が解除されてる間に禅宗の寺を訪ねて回ったそうです。
ところが、年は和尚さんより上の和尚さんが出てくるけど、和尚さんは大学で仏教を修めてるから話しが合わない。
ちっとも参考にならんのですね。
戦争中は、兵隊さんは大事にされて、お国のために命も捧げてというので大事にしてくれますね。
農家があって、道を歩いていたら、兵隊さん、中へ入って、と言うて芋を食べさせてくれたり、ご飯を食べさせてくれたり大事にしてくれたそうです。
それでその家と親密になってきて、或るときに、此の辺りに行の足りた人は居りませんかと聞いたら、こういうところに、こういう人が居りますと教えてくれたので、そこを訪ねていったんです。
それでその家へ行ったら、行者さんですが、病気で起き上がれないような全体のリュウマチの人だったんです。
指とか足だけじゃない、身体全体のリュウマチなんですね。
寝たきりで人の手を借りないと歩けないというような状態の人で、寝台へ寝たきりでした。
それを見て和尚さんは、この人が行の足りた人なのかと、一瞬がっかりした。
私はこれからどうなるのですか、それを観ていただきたいと思ってきました。
するとその行者さんは、動けないので、ここへ来て、後ろのお灯明とお線香を立てて下さいと。
私は拝みますからと。
作品名:和尚さんの法話 「前世と来世」 作家名:みわ