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風そよ吹く心に

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それからどんな話し合いになったのかは、トキコにはわからなかった。時折、やってきては、お義父さんと畑に出かけていった。たまに スーツを着こんでやってくることもあった。街では、会社勤めをしているようだとカナエから聞いた。
トキコとはほとんど話はしないものの、トキコにと街で買った菓子などをお義母さんに渡していくこともあった。

トキコとカナエは、一緒に検診や母親学級に出かけた。父親学級にカナエの夫は熱心に参加していたし、何故かそれを兄である男は尋ね聞いていた。先に安定期に入ったトキコは、カナエの代わりにお義母さんの手伝いもした。
そんな毎日は、トキコにとっては愉しいことばかりに感じた。

年の暮れもそろそろかという頃、トキコは実家へと出かけることにした。突然現れた娘が大きな腹をしていたのなら、どんな親でも驚くに違いない。そんな心配もカナエとの笑い話に和らいだ気持ちでいられた。だが、実家の玄関を前にすると、脚が竦んだ。「あ…」まだ胎動をはっきり感じるには早い時期ではあったものの、そんなトキコを応援するかのように胎動を感じた気がした。

インターフォンを押した。インターフォン越しに母親の声がした。赤いランプが点灯している。母親には、トキコが来たと分かったのだろう。トキコが答える前に玄関の扉が開き、母親が駆け下りてきた。数ヶ月も経っていないのに、ずいぶん会っていない気がした。
母親は、すぐに娘・トキコの異変に気付いた。せり出した腹は、隠せる大きさではなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい。さ、とりあえず家に入りましょう」
母親も女である。妊娠している娘への気遣いがあった。
リビングでふたりは、何から話そうか、尋ねようかと立ったまま暫く見合っていた。
「元気だった? 心配かけてごめんなさい」
「その子は、彼の子? 知ってるの?」
「知らない。わたしの子。」
「そんなこと言っても、簡単じゃないわよ」
「うん、覚悟してる……つもり」
「まあ、腰下ろしなさい。今更、何だかんだと別れた理由を聞いても始まらないけど、ふたりできちんと話し合って決めたことなのね」
「うん」
「そう。トキコおかえり。いつ生まれるの? 此処には帰って来ないの?」
「来年の五月の予定。帰るかどうかは、まだ決めてない」
「お世話できないのかしら」
「うふ、ありがとう。お世話になった家にもね、同じ頃生まれるの」
「其処に 挨拶とお礼に伺いたいわ」
「また、案内する。お母さんよりもおふくろって感じの優しい方よ」
「トッコが幸せそうで、安心した」
母親は、うっすらと涙を浮べた。それを見てトキコも胸に込み上げた。
「今日は、ゆっくりしていけるんでしょ。お父さんにも連絡しなくちゃね」
「わたし、明日お勤めがあるのよ」
「まあ、そんなに慌ただしいの? じゃあ晩御飯くらい食べていきなさい。ね?」
トキコは、久々に会う母をがっかりさせたくなかった。
「うん、そうする」

その晩、トキコは、別れた理由よりも 今ある生活の話ばかり話した。
帰宅した父親も、抱えてきた小言は、娘の明るい笑顔に溶けて消えてしまったようだ。
和やかな空気があった。両親のとまった空気にトキコの風が流れを作る。
「旨いビールだ」と娘の注ぐ酒に酔う父。「これも美味しいわよ」と自慢げに手料理を振る舞う母。そんな幸せを夫に作ってあげられなかった自分をトキコは振り返った。
最終電車にならないようにと駅まで見送ってくれた両親に電車の中からずっと手を振った。

『今から帰ります』とカナエにメールを送った。着いた駅でトキコを待っていたのは、お義母さんの馬鹿息子だった。
「どうして?」
何も答えず、車のドアを開けた。半時間ほどの夜道を言葉もないまま まっすぐ家へと送り届けた。
「ありがとう。おやすみなさい」
家に帰って、カナエにメールした。『俺が迎えに行くって走ってった』と返信があった。
トキコは疲れもあって、その夜、風呂を上がるとすぐに寝付いた。
作品名:風そよ吹く心に 作家名:甜茶