風そよ吹く心に
翌朝は、早かった。日が地面から光の線を天に向けて放ちかけた頃だ。
お義母さんの旦那さんだろう日焼けした髭面の男性が、トラックの運転席に居た。
「おはようございます」
「あぁ、あんたかい。夕べは眠れたかね」
「おかげさまで、ありがとうございます。今日は宜しくお願いします」
「トキコさん おはよう。じゃあ、お義母さん行って来ますね」
そのトラックに カナエたち若夫婦も乗り込んだ。
トキコも車に近づくと「トキコさん」とお義母さんに呼び止められた。
「こっちを手伝って欲しいの。さっこっち、こっち。じゃあ、いってらっしゃい」
トラックが、角を曲がっていった。
台所で大きな糠壷の蓋を開けながら、お義母さんはトキコに頼んだ。
「この中にきゅうりと茄子が漬かってるから 出して」
「はい」
壷を覗き込み 手を入れかけた時だった。トキコは、吐き気を感じた。
「トキコさん? やっぱりそうみたいね」
「慣れなくてすみません」
「違うでしょ。赤ちゃん いるんでしょ?」
トキコの驚きは、トキコの周りをぐるぐると景色がまわるようにさえ感じるほどだった。
「そんなこと、わたし…」
「どんな事情で此処にいるのかは知らないけれど、授かった命はあなただけのものじゃないわね。医者って言ってもねぇ…この辺じゃ」
トキコは、急に自分の置かれた状況が、次々と頭を埋めていくのをひとつひとつ整理してくだけで、指先に糠をつけたまま、台所で突っ立っていた。ひとつ理解するたびに ひと粒の涙となって零れ落ちた。だらりとさせた手の甲で鼻の頭を押さえても涙を止めることはできない。
「ほら、しっかりなさい。お母さんでしょ」
お義母さんは、トキコの背に手を当てて笑ってみせた。
「はい」トキコは、考える前に昨日からの恩を返すことに気持ちを変えようと微笑んだ。
「きっと、今日の糠漬けはしょっぱいわね」
その後、トキコはお義母さんと片付けをしたり、頼まれて留守番したり、昼食も共にした。
日の当たる広縁で、さやえんどうの筋をちぎっていると、庭先からお義母さんが呼んだ。
「こっちに来てくれる」
はい、とトキコは広縁から靴を履いて呼ばれた方へと向かった。お義母さんは、道をつかつかと歩いていき、ひと棟離れた建物へと案内した。
「あたしね、とっても勘がいいのよ。もしトキコさんがすぐに帰るところがないのなら此処使いなさい。まあ、縁起がいいかはわからんけど、飛び出してった馬鹿息子が使ってたところだから、住めるとは思うから、ね。ただし、きちんと住むところを見つけるまでよ」
家の中に入って眺めた。敷居の角にまだ湿った雑巾があった。トキコは、自分を留守番させていた間に お義母さんが支度してくれたのだろうと胸がつまった。
「どう感謝してよいか…… でも、ご厚意に甘えたいと思います」
ここ最近、ひとにこんなに頭を下げたことがあっただろうかというほど、深く、暫く頭が上げられなかった。