夏の扉
「そんなとき、白い服を着た男があらわれました。彼は見たこともない機械をいっぱい持っていました。そして毛抜きよりも小さな、虫眼鏡でも見えないくらい小さなピンセットで、トマトの種から糸を一本、抜きだしました。機械はそう、ビスケットの型抜きでした。白い服を着た男は、立派に実ったトマトと同じ、」
「わかったわ、やめて」
肩を落として真琴はつぶやいた。
「知ってるんでしょう、あの子たちのでどころ」
「……そういう意味だったのね。知ってるわ。でも、それがどうして?」
真琴の額がグラスのふちに触れそうだ。それ以上うなだれないで。グラスが倒れちゃう。明日香は意識の端でそんなことを考えていた。
「わたしも、同じだからよ」
真琴がふせていた顔をあげた。
「どういうこと?」
「わたしも、あの子たちと同じなのよ。双子。施設にいたことはなかったけど。ううん、ここじゃなくて、そういう『施設』ね。そのへんはツイてたのかもしれないけど、でも、いっしょよ、あの子たちと。わたしもビスケットなの。とびきりおいしい。べつにそれがここに入れられた原因じゃないけれどね」
「……なんて言っていいのか、わからない」
顔をあげた真琴の頬が、グラスを通してゆがんで見えた。それが場違いなくらい滑稽に映った。
「べつになにも言わなくていいわ。本当のことだもの。……わたしは望まれて生まれてきたわ。両親はわたしが欲しかった。心底、わたしのことが欲しかった。ううん、ちがうわね。わたしみたいな女の子が欲しかったのよ。お店でビスケットを選ぶみたいに。簡単なのね、お金さえ出せば。<機構>は奨励していないけど、禁止されていないんだから、認めてるのも同じ。そして、わたしが選ばれたの。両親の味覚にかなったのね、わたしっていうビスケットが」
「明日香ちゃん、もう、いいよ」
「なにがいいの? わたしが温室の野菜を食べないのも、あの子たちを嫌っているのも、理由はそれよ。同じだから。ぜんぶ同じ。違いなんてない。つまらないの。そう。、わたし、コピーなのよ。きっとどこかに、わたしとまったく同じ遺伝子をもった女の子がいっぱいいるわ。オリジナルが誰かももうわからない。ベストセラーらしいから。でも、大量生産品には、たいてい何パーセントか不良品が混じっているのね。気がつけばわたしはここにいた。どうして狂っちゃったのかわかんない。わたしがコピーだから声が聞こえたのかも知れない。そもそもが欠陥商品で、きっと世界中の『わたし』が壊れちゃったのかも知れない。でももうそんなことは関係ないわ。
この<施設>って、不良品の掃き溜めね。わたしは大量生産品の失敗作。鳴海さんは見えなくてもいいことが見えちゃう不良品。真琴はなんでも先回りしちゃう欠陥品。あの子たちは、大量生産のあげく、飽きて捨てられちゃったおもちゃ。ひどいものよね。こんな世界に、誰が出て行きたいと思うの?」
真琴には返す言葉が用意できなかった。明日香の自虐的な言葉を返すことができなかった。
「でも、鳴海さんは出て行った」
やっと見つけた言葉は、ただの事実。
「新しくはじかれた欠陥品に連れられて?」
最初のころ、ひとり浮いていた怜。嵐の中に駆け出した鳴海を連れ戻した怜。そうか、彼も欠陥品だったのか。永遠に引き伸ばされた時間が流れる<施設>にいて、真琴は自分たちが「欠陥品」であることをときに忘れる。忘れようとする。
「もう、いいよ」
真琴はレモネードをぐっと飲んだ。子どもたちが育てたレモンだ。おいしかった。変に酸っぱくもなく、熟したレモンは、実は甘い。本当によくできたレモンだ。
「明日香ちゃんは、鳴海さんが好きなんでしょう?」
三つめのクラッシュアイスを砕こうとした明日香の動きが、止まる。
「とりあえず嫌ってみるっていうけど、好きな人だっているんでしょう?」
「どういうことよ」
「わかるよ。明日香ちゃん、鳴海さんのことが好きなんだって」
「好きって、なに」
「そのままの意味だよ。ちがう?」
明日香はすぐに返事ができない。真琴の話は飛躍していた。
「見ていればわかるわ。明日香ちゃん、鳴海さんにはきついこと言わないもの。最近、ときどき鳴海さんの部屋に遊びに行っているんでしょ。消灯時間過ぎてから」
「……監視してるの?」
「ちがうよ。わかるのよ。だって、いつもは聴こえる気象通報が聴こえないことがあるもの。明日香ちゃん、気象通報が始まる前に寝ちゃうことって少ないでしょ? 考えればわかるわ。談話室は明かりが点かないし、だとしたら行く場所なんて知れてるでしょ。鳴海さんの部屋」
「有田さんの部屋かもしれないよ」
「明日香ちゃん、いつから有田さんと仲良くなったの?」
たたみかけるような真琴。
「わかったわ、やめよう」
頭が痛い。ひとまず明日香はそれを氷のせいにした。
「言いすぎた。どうかしてた、わたし」
「簡単にそんなこと言うなんて、らしくない」
「言いすぎたのは確かだもの。嫌いじゃないわ、苦手なの、あの子たちのこと。これでいい?」
話を切りあげたくなった。話をするのが面倒になってきた。もうきょうはカーテンの話もどうでもいい。部屋に引っ込もうか。かといってひとり理科年表や天文年鑑を読むのもつまらない。明日香ははたと気がついた。もう、ここにも居場所がない。正確には、行く場所がない。
「簡単に嫌わないで」
「わかったよ」
「んん、明日香ちゃん、きっとわかってないよね」
真琴がいつもの上目遣いになった。なんだかほっとして、明日香は目をふせた。グラスが冷たい。
「さあ、たぶんわかってないと思う」
明日香が言うと、真琴は聞き分けのない子どもを前にした母親のような顔をして、嘆息をひとつ。
「……そう言えば、有田さんは?」
明日香はしばらく思考の端にぶら下がっていた疑問を口にした。
「有田さん?」
「わたしより、真琴のほうが仲がいいでしょ」
「さあ、たぶん鳴海さんがいちばん仲がいいと思う。有田さんとは」
「ときどきなんか話してるもんね」
「有田さんが一方的にしゃべってるような気もするけど」
「同感」
「で、有田さんがどうしたの?」
真琴のレモネードがようやく減った。
「きょう、姿が見えないから」
明日香が言うと、真琴はぐるりと一周、談話室を見渡した。
「部屋にいるんじゃないかな」
「いつもだいたい、お昼過ぎたら談話室にいるよね」
「うん」
「どうかしたのかな」
どうしていまごろ老婦人のことが気になるのだろう。いままで気にとめたことなどほとんどなかったのに。明日香のなかで、老婦人は風景の一部だった。たとえば部屋になじんだカレンダーを、暦が変わって取りはずしたとき、ふっと壁が遠くなったような、そういう感覚だ。老婦人は<施設>にとっては取りはずしのできないカレンダーに似ていた。
「きのうは、いたっけ」
老婦人がいつも座るテーブルは空席だ。見通しがいい、窓がよく見える。
「午後はいなかったような気がする」
真琴がいやに確信を持った言い方をした。
「午後? 夕飯のときは、いなかった?」
「いなかった」
「へえ。どうしたのかな。風邪でも引いたのかな」



