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夏の扉

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「いまはほら、わたしや明日香ちゃんが話しかければ応えてくれるし、食事だってここで食べていくし、食事の後もしばらくここに残っていたりするじゃない。でも、昔は、一週間も二週間も顔を見ないことだってあったなって」
「そうだったかな」
「うん。そうだよ。だって、わたし、鳴海さんと仲良くなりたかったから」
「仲良くなりたかったって?」
「なんとなく。いっつも遠くを見たり絵を描いたりして、すごく寂しそうで。だけど、誰も寄せつけない雰囲気があるでしょ。だから。仲良くなれればいいなって思ってた」
「ここは学校じゃないんだよ」
「学校みたいなものだと思ってた。いまでもそう思ってるけど。で、わたしね、鳴海さんが下の待合室でひとりでいるとき、思いきって話しかけたのね。なんて話しかけたのかは憶えてないけど」
「へえ」
「そうしたら、言われちゃった。『ほっといて』だったか、なんかそんなこと」
「『終わりが見える』って?」
「ううん、そのことはもうずいぶんあとで聞いたの。そのときは、ただ、なんか『わたしにかまわないで』みたいなことを言われて、わたしショックで、そのまま部屋に戻って寝ちゃった」
「寝ちゃった?」
「ショックだったんだもの」
「そうか、真琴もまだ入ったばっかだったもんね」
「うん」
 切れすぎる剃刀。しかも刃は内側を向いているから、他人ではなく自分を切り裂いてしまう。
「春の終わりころだっけ。鳴海さん、嵐の日に飛び出していったでしょう。憶えてる?」
「それは、憶えてる。白石さんが通いはじめたころでしょ」
「うん。あれ、きっと白石さんが鳴海さんと仲良くなろうとしたのね。たぶん」
「そうなの?」
「さあ。くわしいことはわかんないけど。あの日、わたし音楽室でオルガン弾いてたの。子どもたちが歌って、わたしが弾いて。廊下から、鳴海さんがのぞいてるの、見えた。となりに白石さんがいた。そのすぐあとだもん。鳴海さんが外へ飛び出していったの。きっと、見えちゃったんだと思う」
「『終わり』が?」
「きっと」
「鳴海さんにくわしく訊いたことないけど、どういうことなのかな。『終わり』が『見える』って。真琴は知ってる?」
 真琴は明日香のグラスに指を伸ばし、曇った表面をつっとなぞった。雫が流れる。
「知らない」
「訊いてないの?」
「訊けないよ。なんか。やっぱり」
「ふうん」
 明日香はグラスを取り上げ、ぐっとひとくち氷水を飲んだ。味のない、水。限りなく蒸留水に近い、なんの変哲もない味。このあたりの地下水は塩分を多量に含んでいてとても飲めない。かぎりある電力で、蒸留しているだけだ。だから、味がしない。
「白石さんに連れて行かれちゃったね」
 グラスの中で氷が音をたてた。真琴の上目遣いが、明日香を向いていた。きょうの彼女の目は、おどおどとしたいつもの瞳ではなく、どこか優しさに満ちていた。
「帰ってくるんでしょ。夕方には」
「外泊の準備はしてなかったみたいだから」
「……行きたかったんでしょう?」
「誰が……?」
「明日香ちゃんが」
「どこへ?」
「外へ」
 外へ。真琴の肩越し、窓の向こうの夏。誰かがはずしたのか、タッセルが床に落ちている。ほどけたカーテンは揺れようともしない。風がない。
「前にも言ったでしょう。わたしは、行かないわ」
「海を見たかったんでしょう」
「誰が?」
 こんどは目で答える真琴。
「ただの水溜りでしょ。べつに見たくないわ」
 勢いをつけてグラスの水を飲み干した。きりきりと頭が痛い。ふと、記憶の扉がすっと開く。夏の思い出? アイスキャンデーをかじった昼下がりの、懐かしい頭痛。
「夏休み……」
 気がつくとつぶやいていた。
「夏休みだもんね」
 だから鳴海は行ってしまった。怜が誘ったのだ。(海に行こうよ)。
 季節感のかけらもない<施設>の談話室でふたり、せいぜいが氷水のグラスを空けるだけ。春もない、秋もない、冬もない。喉が渇く。
「もう一杯、欲しいな。真琴はいらない? 持って来るよ」
「水でいいの? 冷蔵庫にレモネードが入ってたよ」
「水でいいのよ。レモンっていったって、どうせ、ここの屋上で作ったやつでしょう? 水のほうがいいわ」
 席を立つと、真琴があきれたように首をふった。頑なすぎただろうか。でも、本音だ。子どもたちが手がけたここの植物は、できることなら触れたくなかった。
(わたしも、同じだから)
 たった数瞬、真琴に無言で話しかけてみた。けれど真琴はきょろりとした目を邪気もなく向けてきただけで、明日香の言葉は届かなかったらしい。
「じゃあ明日香ちゃん、わたし、レモネードね」
「冷蔵庫の中ね」
「すぐわかるところに入ってたよ」
「わかった」
 レモネードの場所はいい。席を立ってから気づいた。明日香はグラスがいったいどこにしまってあるのかを、知らない。


   四四、ひまわり

 鳴海はまぶしさにめまいがした。黄色、一面の黄色。隣で怜が嘆息を漏らしていた。
「こんなところあったんだ」
「おや、環境調査員さんよ、ここを知ってるんじゃなかったのか」
 ひまわり畑の入り口で、大きな花弁と背比べをするようにして立つ男が、怜をからかうような口調で笑った。
「来たことはなかった……地図でしか知らなかった。ここにひまわり畑があるってことしか」
 男はひどく満足げにこちらに背を向け、畑の真ん中へと分け入っていく。それにしても広い。丘の頂点まで、ひまわりの花は筆で塗りこんだように黄色く溶け込んで、そこに突き刺した風車……白い風車が一、ニ、三……八基はあるだろうか。空の青とひまわりの鮮やかすぎる黄色のコントラストが目に痛い。丘一面に咲き誇るひまわりは距離感を狂わせ、はたして風車がどれくらいの大きさなのかがわからない。怜がふらりと夢遊病者の足取りでひまわりにはさまれた通路を行く。背の高いひまわりはみないっせいに空を向いているのだけれど、おなじ方角を向いているものは少なかった。あんがいてんでな方を向いて、重そうな花を夏の風に揺らせていた。男はふたりを置いてずんずん進んでいく。気ままに。
 足元の土は乾いて硬くしまっていた。鳴海もまた、白昼夢を見ている気分だった。どこか身構えている自分に気づき、悲しくなった。けれど、見えなかった。不思議と『終わり』が見えてこなかった。ひまわりはみごとに咲いているが、けれど、感情を感じなかった。小さいころ、満開の桜を見上げて感じた底なしの寂しさを、いまここでは感じない。どうしてなのか、鳴海はこっそり気づいていた。この畑は見るものがいない。怜の話が本当なら、一面の花々はやがて焼却され、ガラス詰にでもされて地中深く埋められてしまうのだろう。ただ咲くだけに咲いている。そのことじたいが悲しかったから、その先の『終わり』が見えてこなかった。きっともう、すでにひまわりは『終わって』いるのだ。
「どうだい、捨てたもんじゃないよな」
 男が叫んでいた。いまにも走り出しそうな満面の笑みで、怜を呼んでいた。
「早く来いよ、こっちからの眺めがいいんだ」
作品名:夏の扉 作家名:能勢恭介