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夏の扉

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「病人には見えませんか。これでも、<機構>の健康保健のお世話になっているんですけどね」
「身体をこわしたってのは、嘘だろう」
「なんでです」
「勘だよ、勘。俺はあんたのとなりに乗っている、かわいい女の子が関係あると思うね。どうだい、お嬢さんよ」
 無遠慮だが、敵意のない瞳が鳴海を向いた。
「海を、見たかったから」
 つぶやいた声は男に届いただろうか。それにしても排気音がけたたましい。鳴海は流れる森の緑を瞳に受けとめて、そっと言った。
「海を?」
「彼女、海を見たことがないって、そう言っていたから」
「それで、あんたが連れ出したってことか」
「ええ。ずっと<施設>にいるよりは、いいかと思ったので」
 言ってから、怜は言葉が多すぎたことに気づいた。初対面の相手に、少なくとも<施設>の話はすべきではなかった。しかも、得体の知れない男に。
「<施設>?」
 男はしかし、さほど興味をそそられた様子もない。とりあえず聞き返してみた、そういう雰囲気。
「僕が通っている病院というかなんというか」
 怜はサイドミラーをのぞきつつ、鳴海の横顔を確かめた。あいかわらずの白い肌。表情が硬い。
「病院ね。連れ出したってことは、あんたら入院しているのか」
「いえ、僕は、外来で」
「お嬢さんか」
 鳴海はうなずきもしなければ、否定もしなかった。
「そろそろだぞ」
 男は無精ひげに似合わないしなやかな指を突きだすと、ウィンドシールドの向こうを指した。
「ひまわり畑?」
「ああ、そうだよ。車じゃ行けない。そこに停めるんだな」
 蔦がからんだ電柱が一本。路肩に怜は車を寄せ、停めた。エンジン、停止。とたんにセミの声が耳を打つ。怜が先に車を降り、続いて鳴海、荷物をかついで男が降りる。まだ森の真ん中、木の葉をとおして陽射しがアスファルトに細かな模様を描いていた。
「ここから登る。十分もかからないよ」
 バッグを肩にかけて男はさっさと森へわけいってしまった。羽虫が残されたふたりのまわりをぶんぶん飛び回り、湿気を帯びた森の匂いが強い。鳴海はレンズのような目をちられと怜に向け、瞳で訊いてくる。行かないの?
「行こうか」
 怜は腰の銃をそっと確かめる。男に悪意がなさそうなのは感じていた。けれど、うさんくささだけはぷんぷん漂ってくる。
「こないのか?」
 樹木のトンネル、セミの合唱。男が呼ぶ。怜は首筋にとまった羽虫を手ではらい、またも獣道に足を踏みいれた。あの男、あんがい人間ではないのかもしれない。そうだ、彼から発散される匂いは、街ではかぐことのできない匂いだ。怜は鳴海を目で呼んだ。行こう。
 鳴海が足元を確かめるように、そう、いつか<施設>の中庭でしていたように、靴で土を蹴っていた。砂ではない、土を。
「暑いね」
 苦笑をまぜて怜が言う。
「平気」
 笑わない目、けれど温かいものが奥に見えた気がした。
「おい、置いていくぞ」
 男がなおもふたりを呼んだ。男の声は張りあげているわけでもないのに、セミの大合唱に負けず、よくとおる。


   四三、絵日記

 せっかく家を建てる場所がきまったのに、基礎工事も始まらない。
 ぼってりと雲が湧く空は、油絵の具でべっとりと塗ったような青さで、談話室はエアコンが稼動していた。白いテーブルをはさんで、真琴が氷水をちびちびと飲んでいる。気象通報を聴くまでもなく、晴れ、無風。屋上の風切り音もきょうはおとなしい。昼食を終えて、明日香はなんとなく談話室に残っていた。きょうはカウンセリングもない。氷を噛み砕く真琴は、学生の頃記録映像で見た木の実をかじるリスのようだった。冬眠にはまだ遠い。いまは、真夏だ。
 ふたりの指定席。窓から遠いふたりがけのテーブル。ドラセナツリーはきっとよくできた作りもの。屋上の温室で本物が栽培されているのは知っている。真琴から聞いた。けれど明日香は思った。造花でいい。そのほうがわたしには似合っている。子どもたちが育てる野菜を食べられないのは、けっして子どもたちのことを嫌っているからではなかった。もちろん彼ら、彼女たちの青いくらいの白目と、くっきり境界が引いてある瞳とまともに視線をあわせられないのは、明日香が実際子どもたちを嫌っているからだ。好きではない。あの子たちはなにを考えているのかわからない。しかし、それと野菜を食べられない理由はつながらない。
 あのトマトもセロリも、談話室で枯れることのないドラセナツリーもユッカプラントも、おなじだ。作りものだからだ。人は生き物を粘度細工のように、いともたやすく造りかえる技術を手にしていた。土壌のない畑で、一本の木から数千個のトマトを生み出すこともできる。型抜きでクッキーを焼くように、まったくおなじ遺伝子をもった家畜を量産することもできる。仮に明日香が腕を失ったとしても、目をつぶしたとしても、<機構>は新品の純正部品を用意してくれる。失ったはずの自分の腕や目と、そっくりおなじものを。
 そこまで考えて、明日香は目を閉じた。目の前の真琴が邪気のない顔をして、氷が融けるのを待っていたからだ。
「何を考えてるの?」
 真琴の声がずいぶんと近くから聞こえる。差し向かいで座っているのだからあたりまえなのに、明日香はふと自分が遠くにひとりで座っているような気分になっていた。
「明日香ちゃん」
 目をあけると、真琴はグラスの中の氷をくるくる回していた。音もたてずに。
「何も考えてないわ」
「明日香ちゃんは飲まない?」
「いらない。水は」
「そう」
 両手で顔をぬぐった。脂が浮いているようで不快だった。顔を洗いたい。
「有田さん、きょうは出てこないよね」
 真琴が氷を砕きながら言う。まるであめ玉でもかじるように。
「暑いから、部屋にいるんでしょ」
「気象通報では、きょうの最高気温、何度だって言ってたの?」
「……知らない」
「え、どうして?」
 きょうは、気象通報をまだ聴いていないから。
「アンテナの調子が悪いのよ」
「ふうん」
 真琴は怪訝そうに首をかしげ、席を立った。何杯目の氷水だろうと明日香は目で追ったが、真琴はグラスをそのまま給湯室に置いてきたようだ。帰りは手ぶらだった。
「もう飲まないの」
「うん。冷たいものばかり飲んでても、身体に悪いでしょう」
「めずらしい」
「明日香ちゃんがしゃべらないのも、めずらしいでしょ。カーテンは選んでくれた?」
「え?」
「もう。居間の窓にカーテンをかけるから、生地を選んできてねって言ったでしょう」
「ああ、『家』の話」
 明日香はなんとなく、今度は自分が氷水を飲みたいと思っていた。
「きょうは変だね。ちゃんと寝ていないんじゃない?」
「そんなことはないよ。寝てるよ」
「まぶたが腫れてる」
 言われて、明日香は指先でまぶたに触れた。すぐ下の眼球を感じて、すこし気持ちが悪かった。
「真琴はさあ、いつも何時ごろ寝てるの?」
「ええと、うん、何時だろう。わたし、時計を持ってないから。わかんない。明日香ちゃんは?」
「十時の気象通報を聴いたら、寝てる」
「いつも?」
「たいてい」
 ゆうべはアナウンサーがウラジオストックの気温を告げる前に眠ってしまった。薄手のタオルケットをかぶって、自分の汗の匂いをかぎながら。
作品名:夏の扉 作家名:能勢恭介