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夏の扉

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「素直だね。その調子でどこか食べ物屋まで乗せていってくれないか」
「知らないんですよ」
「地元だろう」
「地元って。こんなご時世に地元も何もあったものじゃないと思うんですけど。街まで戻れば、知らないこともないですよ」
「それは遠い。それに、あんたらに悪い。せっかくのデートをね、つぶしちゃ失礼だ」
 怜は吹きだした。デートとは、背筋がかゆくなる言葉だ。そんなつもりはなかった。ただ、海を見にきただけだ。
「道路沿いで、果物だとか野菜は売ってたな」
 ひとりごとのように、男。怜は窓を開け放った。
「それでいいじゃないですか」
「あんたらはいいのかよ」
「僕はかまいませんよ。鳴海さんは」
「わたしは、べつに、お腹はすいてないから」
「じゃあ、適当に走ってくれよ。ああ、もう少し坂を下ったら、右だ。右に行ってくれ」
「右ですか」
「ひまわり畑に連れて行く約束だろう。途中で飯を食える場所があれば、それでいい。なかったら、俺はひまわりの種をかじることにするよ」
 男はそう言って後席の荷物に身体をあずけてしまった。
「ひまわりの種か。しばらく食ってないな。悪くない」
 風、そして排いはいはいいは気音にまぎれて、ぼそりと男がつぶやいた。
 樹木の緑はもう黒味がかっていた。濃く、季節が定着し落ちついた色だ。樹木のあいだを縫うように、白く照り返すアスファルトがつづく。オレンジ色のセンターラインはところどころがはげていた。通る車のない、道。怜はステアリングをゆったりと握ってふと思った。はじめて港湾道路のプラットホームに降り立ってから、三ヶ月以上がたとうとしている。長い休暇だ。以前、同僚と作業車に乗って海岸線を目指していたころとは、驚くほど気分がちがう。視線の端にちらちらと見え隠れする水平線が、いまは懐かしさをともなっていた。そして怜は気づいた。自分が、海に敵意を抱いていたことに。
 そうだ、敵意だ。
 けれど、海水位の上昇をまねいたのは、自分たち自身だ。だとすると、怜が抱いた敵意は、すなわち自分自身に対する敵意ということになる。
 そうなのか。
 半袖の腕が陽射しに暑い。
 ルームミラーの中で男がけだるそうに首筋を掻いていた。
「どこまで行っても、森なのね」
 シートベルトに頭をもたれて、鳴海がつぶやいた。男が指示した道は、両側がうっそうとした森だった。
「樹、樹、樹。街に住んでると、目に痛いよ」
「街には、樹がはえていないの?」
「はえてるさ。申し訳程度にね」
「いい匂い」
「樹の匂い? ちょっと、ハッカみたいだ」
 セミの声が聞こえる。森の道で、エンジン音はすっかりセミの声にかき消されていた。
「もうしばらく行くと、分かれ道がある。そこを左だ」
 男の声が眠そうだ。目を閉じていたから、怜はてっきり男は眠っているものと思っていた。
「起きてたんですか」
「寝てたよ。気持ちよくて」
「道案内はどうしたんですか」
「してるじゃないか」
「寝てたんでしょう」
「起きてたよ」
 後席ですっかり男はもうなじんでしまっていた。街を出たときからいっしょに乗ってきたかのような、そんな顔をしていた。
「あんたたち、別々に暮らしているのか」
 男の言葉に、セミの合唱が重なる。
「別々って」
「きょうだいとはいかなくても、いっしょに暮らしているのかと思ってた」
「なんでそう思ったんです」
「似ているからさ。なんとなく、雰囲気がね」
「似てる?」
「最初はそう思ったのさ。なにをそんな、無駄に考えこんでるんだって顔をして、フェンスの向こうからやってきたのさ。あんたらは」
「そんな顔をしてましたかね」
「さあね」
 ルームミラーの中で男は涼しい顔をして目を閉じた。人を食ったような物言いだが、怜は彼がじつは言葉に飢えているように思えた。よく似た人間を怜は知っている。滑走路の端でいつ来るともしれない客を待っていた、あの元飛行気乗り。
「おとなしいんだな、あんた」
 男は鳴海に向けて呼びかけた。けれど鳴海は男の呼びかけに気づかなかった。数える気にもならないほどの樹、樹、樹。彼女は森を見ていた。人の気配がまったくしないのに、かえって寂しさを感じない。森はにぎやかだった。
「お姉さん」
 男がからかうような口調で鳴海を呼び、ようやく鳴海は横顔を向けた。
「無口なんだな、すまんね、うるさい奴とご一緒で」
「いえ」
 男は無精ひげをぽりぽりと音をたてて掻き、そのあとは黙り込んだ。実際どこか眠そうで、しばらく車内が無言ならばそのうちいびきが聞こえてきそうな顔をしていた。
「訊いてもいいですか」
 前を向いたまま、視線をルームミラーに走らせて、怜が言う。
「俺か?」
「ええ」
「なんだい」
「ずっと、そういう暮らしをしているんですか」
「そういうって、どういうことだい」
「渡りっていいましたっけ」
「ああ。もう半年、かな。それがどうした」
「<機構>は行政区をまたぐ移動を制限していると聞いてたから」
「そうなのか」
「知りませんよ、僕は海を渡ったことがない」
 男は鼻を鳴らし、そして身を運転席に乗り出した。
「<機構>は首都が水没して、その騒動を静めるのに躍起だった。そう言えば納得するかい」
「本当のところ、どうなんです」
 男はいちどは質問をはぐらかさないと気がすまないたちらしい。
「べつに制限なんてくわえられちゃいないさ。飛行機や鉄道に頼らなければ。てきとうにぶらぶら歩きまわったって、誰も怪しみやしないよ」
「そんなもんですか」
「そんなもんだな。気楽なもんだよ」
「でも、半年も旅を続けてるんですか」
「たった半年さ」
「その前はなにをやっていたんですか」
「なんだと思う」
「少なくとも<機構>の人間には見えない」
「正解だな。俺は<機構>の人間じゃない。でも、あんただって<機構>の人間には見えないね」
 シートに手をかけ、ミラーの中で男の顔が揺れている。
「そうですか」
「ああ」
「いままでどの辺をまわってきたんです」
 怜が訊くと、男はふたたび背をシートにあずけた。よく動く。
「東京を出て、ぶらぶらここまできたさ。半年かけて」
「東京に住んでるんですか」
「沈んじまったけど、あそこはまだ東京なんだろうな。三鷹だ。俺の家があるのは。わかるかい」
「地名だけ」
「だろうな」
 鳴海はだまったまま。切れ長な目は閉じているのか開いているのか、怜には判別しかねた。
「ずっと東京を出たことがなかった。だからさ。なんとなく、北海道に行ってみたくなったのさ」
「優雅ですね」
「こんな時代にか? あんただって、こんな平日の真昼間に、かわいい女の子を連れてドライブじゃないか。いい身分だよ」
「いい身分ですか。あいにく休職中の身分ですよ」
「環境調査員さんよ、休職中っていうけど、いったいなにをやらかした?」
 海を離れ、車は森の中を走り続けていた。しかしたいしたスピードを出しているわけではない。変化に乏しい車窓に、怜は距離感がわからなくなる。いまいったいどの辺だろう。
「べつに、べつになにもしていないですよ。ちょっと身体をこわしただけで」
「身体をね。こんな時代だ、何でもありだな」
「どういう意味です」
「深い意味はないよ。でもまあ、あんたは病人には見えないな」
作品名:夏の扉 作家名:能勢恭介