小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

夏の扉

INDEX|76ページ/125ページ|

次のページ前のページ
 

 ちらりと男は目を細めて、ひどく悲しそうな声音で言った。鳴海ははっとして、日に焼けた男の顔を見上げた。
「夏休み?」
 思わず聞き返していた。
「そうさ、いまは夏休みさ。なのにどこへ行っても人がいない。とくに海にはね。山へ行けばまだ人もいるんだけど、海にはいない。いても俺やあんたらみたいな物好きばかりさ。もう海で遊ぼうなんて考えるやつがいないのかね」
「いろいろなものが沈んで、危なくなったから」
「そうなんだろうな、兄さんの言うとおりだ」
 きょうだいではないと言ったのに、男は怜を「兄さん」と呼んだ。
「遠くから見れば、なんにも変わりがないのに」
 男は昔の海を知っているような口ぶりだった。歳は自分たちとそうかわらないように見えるのに。
「発電所が沈んだりしてますからね」
「福島では、海まで行けなかった。封鎖されててね。ああ、このあたりにも発電所があったんだっけな」
「まだ離れてますけどね」
「海は見られなかったけど、おもしろいものは見てきたよ」
 おもしろいものを見たというわりに、感情のこもらない口調。
「なにを見たんですか?」
 怜が訊ね、鳴海は応えを待つ。
「ひまわり」
「ひまわり?」
 鳴海は稲村のデスクの空き瓶を思い出す。
「そう。一面のひまわり畑さ。丘の向こうまで、びっしりだ。立ち入り制限区域のずっと向こうまで、一面、びっしり。あれは見事だったな。沈んだ発電所のまわりを、もうびっしりとひまわりが植えてあるんだ。<機構>もなかなか味なことをするもんだと、俺はちょっと感心したよ、そのときはね」
 男はいったんそこでセリフを止めた。
「……放射能ですか」
 怜がひときわ低い声で言った。放射能?
「そうだ、放射能だ。あんたよく知っているな」
「ひまわりと放射能、どう関係があるの?」
 鳴海は小声で怜に訊く。
「ひまわりは土壌の放射能を吸収するんだ。ある程度」
 小声で答える怜。
「そう。あとで知ったよ。あのひまわりはぜんぶ、秋になったら刈り取られて、放射性廃棄物として処理されるんだそうだ。悲しいもんだよね。でも、あのひまわり畑は本当に見事だった。きれいだったよ。自分がまだ花を見て感動できるってね、それにも驚いたけどね。あれはでも、いや、きれいだった」
 腕を組み、目を細めて遠くへ視線を走らせる。
「ひまわり……」
 稲村のデスクに生けられていたひまわりを、鳴海は思った。子どもの手のひらほどの大きさしかなかった、黄色い花を。
「ここへ来るときもいっぱい咲いてたぞ。あんたら見なかったのか?」
「このあたりでですか」
「いや、苫小牧からこっちへ来る途中だ。べつに近所っていうわけじゃないよ。いや、そう遠くもないはずだがね」
「発電所の事故以来、<機構>はあちこちにひまわり畑を作ってるんです。仕事柄、何か所かは知ってるつもりだけれど、このあたりにあったかどうかは、憶えていない」
「仕事……、あんた<機構>の人間なのか」
 うっすら伸びた無精ひげをつまみながら、男がさっとしゃがみこんで言った。とたんに目が鋭くなっていた。
「人間……、環境調査員もやっぱり<機構>の人間なんですかね」
「環境調査員?」
「ええ、まあ。休職中ですけど」
「環境調査員が煙草を喫っているとはね。びっくりだ」
「べつに禁止されてませんから」
「なるほど。で、環境調査員さんよ、どうだい、俺はまたひまわり畑が見たくなってきたよ。道案内はするから、つれて行ってもらえないだろうかね」
 煙草の火をねだったときのような屈託ない表情は、磊落な男の風貌とは不釣り合いに見えて、困惑を隠そうともしない怜の横顔といっしょに、鳴海はどことなくおかしかった。けれど鳴海はそんな光景を「おかしい」と感じている自分には、気づいていなかった。
「どのあたりですか」
「それはOKってことだな」
「場所を訊いてるいるんですよ、遠かったら、残念ながらご一緒するわけにはいかないでしょう」
「近くだな」
「近くってどの辺です」
「遠くないってことさ」
「だから、どの辺ですか」
「俺は歩いてここまで来たんだぜ、歩いてもそう遠くないところさ。場所か? 海岸線だよ、風車がいっぱい立ってた」
「風車、白い?」
「そう」
「ああ、それならわかる。たしかに、そう遠くはないけど、べつに近くもないですよ。歩いたら半日はかかる」
「半日か、俺はそんなに歩いた記憶はないんだがな」
 すっかり男のペースに乗せられた怜は、ポケットの中をもぞもぞと探っていた。車の鍵か。
「よし、環境調査員さんよ、決まりだな。あんたもいいのかい?」
 男は白い歯を鳴海に向けた。だまってうなずいた。
「いいのかい?」
 怜が訊いた。責任転嫁ね。鳴海はそう思ったがうなずいた。
「わかりましたよ」
 立ち上がり、怜はいちど髪に手櫛を入れ、小さく息をついた。太陽がまた小さな雲に隠れた。鳴海は雲の向こうの太陽を探した。「向日葵」のように、太陽を追った。

 怜がエンジンに火を入れると、男は頓狂な嬌声をあげた。いったいこの男は何歳なのだろう。鳴海はあいかわらず助手席、男は後席、鳴海の後ろ。荷物一式もいっしょにつみこみ、男はそれにもたれるよう座っていた。もともと後席は長時間人が乗れるようには設計されていない。男はいくぶん窮屈そうだ。身体をひねって居場所を確保している様がルームミラーを通して見える。怜はけれど男にかまわずステアリングを切り、道路に出た。
 鳴海は助手席で来るときと同じように窓を向いていた。今は運転席側に海、助手席側は樹木の少ない丘。男は車を街の方向に向けるように言った。
「どこです?」
 怜が訊く。
「なにが」
 後席でぞんざいな口調の男。排気音がやかましい。だからか、男は半身身を乗り出していた。
「ひまわり畑です」
 行くあてもないドライブはひとりなら気楽だが、得体のしれない男を乗せてとなると話が違ってくる。しだいにペダルに載せた足から力が抜けていく。
「もうすぐさ、もうすぐ。そんなに離れちゃいないよ」
「どっちへ行けばいいんです?」
「しばらくまっすぐだ」
「もうすぐって言ったじゃないですか」
「そう急くなよ、まだ昼をすぎたばかりだ。どこかで飯でも食べようじゃないか」
「ひまわりを見に行くんじゃなかったんですか」
「行くさ。その前に食事だよ。彼女だってお腹がすいたころじゃないのかな?」
 男は片肘を助手席のシートについて、鳴海をのぞきこんだ。なれなれしいふるまいなのに、男のしぐさにはいやらしさがかけらもなかった。
「どう、鳴海さん」
 怜が呼びかけると、鳴海はうたた寝からさめたような顔をした。
「……?」
「食事はどうかってさ」
「べつに、お腹はすいてないわ」
「つれないな。俺もおすすめの店を知っているわけじゃないからね。兄さん、どんなんだい、どこかないのか。じつはきのうから何も食べていないんだ」
 男はすっかり前席に半身をのりだし、人懐っこそうな笑みをふたりに向けた。
「ひまわり畑で種でもかじればいいじゃないですか」
「おいおい、放射性廃棄物を食えっていうのかよ、あんたもなかなか人のよさそうな顔をしてひどいことを言うじゃないか」
「言いすぎでした」
作品名:夏の扉 作家名:能勢恭介