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夏の扉

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「行くよね、有田さんのお見舞い」
 鳴海の表情は硬かった。まるで、初めて待合室で顔をあわせたときのような。鳴海の扉はまた、内向きに閉じてしまったのだろうか。
 怜は、鳴海の扉をふたたび開ける鍵など、持ってはいなかった。

 これではまるで拉致だ。視界の片隅の、ガラスに頭をもたれる鳴海の横顔がよく見えない。膝の上のコスモスの花束が、エンジンの振動にあわせて揺れていた。エンジンの振動にあわせて、鳴海の膝も震えていた。
 空は快晴。今朝の霧など嘘のようだ。強制執行がかけられた荒地を突っ切る港湾道路は一直線、遠く新市街は霞みがかかったように夏の空気に沈んでいたから、道路が空まで続いているようにも見えた。それにしても、暑い。
 老婦人が入院している病院は、<施設>からはちょうど真西の方角に当たる。南中した太陽は、助手席の鳴海ばかりを狙っている。シフトレバーにのせた怜の左手も暑い。
「元気ですか」
 怜の口をついて出た言葉は、あまりにも突拍子もなく、そして手紙の書き出しのような短いセリフは、言葉を発した怜自身、誰に向けたのかよくわからなかった。
「わたしが、ですか」
 車内にはたったふたりしかいない。だから、片方が発した言葉は、ほぼ無条件にその相手に向けられたものなのだ。
「たぶん」
「いつもと、おなじ」
「それはよかった」
 窓にもたれたまま、鳴海はちらりとこちらを向いたようだ。
「無理に誘ったつもりはないんだけど」
 怜が言うと、そこではじめて窓にもたれていた頭を上げた。
「ずいぶん、強引でしたよ。……昔、措置入院させられたときみたいだった」
「措置入院? そんなことがあったのかい?」
「精神保健衛生法に基づく措置入院。だったかな」
 助手席の鳴海は力なく微笑んでいた。
「そんな人たちばかりがあそこに集まってるのよ。……有田さん、あそこから出られてよかったんじゃないかなって、そう思います」
「本当にそう思っているのかい?」
「どうしてですか」
「そう思っているのなら、あの日、どうして……その」
 スロットルペダルを踏み込む足が少し浮く。
「あんなに取り乱したんだ?」
 道の両脇はポプラ並木。ささくれ立ったアスファルトに、かすれた白いラインが途切れ途切れにつづく。
「……さあ」
 また鳴海は窓へもたれかかる。
 壊れた信号機、水があふれる用水路、巨木と化した並木道、捨てられた家。その向こうに新市街、そして裾野に広がる旧市街地が見える。老婦人の病院は、新市街と旧市街の境界線にあたる、斜面に立っているはずだ。怜はそれっきり口をつぐんだ。鳴海もまた、膝にコスモスをのせたまま、だまっていた。

 受付でIDの提示を求められた。終日エントランスを開放している<施設>とはえらい違いだ。けれどリーダーを通し、身分を確認する作業は十秒とかからない。受付の係員にとってそれはルーティンワーク以外の何者でもなかった。だから<機構>のメンバーが顔色の悪い少女を連れていたとして、なによりここは病院だから、係員は何も言わなかった。だまって通路の奥へ導かれた。
 その施設はエントランスを抜けると、なんとも居心地の悪い渡り廊下を渡らされる。斜面に建てられているゆえ、エントランスから病棟まではゆるやかなスロープが続いていて、ガラス張りの天蓋(あの温室のようにガラスであるとの確証はまったくないが)は廊下全体を覆っていた。両脇は森だった。館内は冷房がほどよく効いていた。エアコンの効きすぎで寒いくらいの<施設>とは違う。
 コスモスの花束を抱えて、鳴海は終始無言で怜のあとを歩いた。スロープが頂上に到達し、いやに自然光がまぶしい本館のホールに入っても、一言も口を利かなかった。怜はスロープとホールをさえぎるらしい肉厚の防護扉を一回指ではじくと、ナースステーションに向かった。エントランス壁面に案内図が掲示されていて、それで怜はこの建物はコの字型の<施設>とは違い、ナースステーションがある本館を中心に、花びらが開いたような放射状の配置になっていることを知った。ステーションに詰めている看護婦に怜がなにごとか尋ねている際も、鳴海は防護壁に寄りかかって、中空を見つめていた。タイル張りの床が陽射しを反射して、鳴海の顔をいっそう白く照らしていた。
 怜がステーションでの質問を終え、鳴海のそばに戻ったときもまだ、彼女は中空を見つめていた。まるで無数に浮かぶ塵のひとつひとつを数えているかのように。
「行こう」
 ホールはにぎわっていた。がらんとした<施設>のエントランスとはくらべるまでもない雰囲気で、けれどすれ違う人々はみな顔色が悪かった。ひとめ、どこかに病を抱えているのがわかる彼らの姿は、それだけで<施設>とは異質だった。その中に鳴海が溶け込んでいくのもまた、怜は居心地が悪かった。
 この病院は精神障害者のためだけの施設ではない。あらゆる病に対応させた、<機構>が各地に建てている医療機関で、だから発電所の後遺症がいまだ残っているらしい老婦人もここに収容されたに違いない。入所者たちのプロファイルはすべてコンピュータで管理されていた。電力の供給は、<機構>の施設の中でも優遇されているらしい。それはそうだ、世界各地で病に倒れる人間の数は、新たに生まれる人間の数を圧倒している。<機構>にとって、海水位の上昇以上に、人口の激減は最重要課題だった。歯止めが効かないのだ。病原菌やウィルスによる疾患ではない、自殺による人口の減少が。
 わざとらしいほどに病棟の照明は明るい。それに色温度の高い照明がまったくない。自然光を積極的に取り入れているほかは、いわゆる電球色の照明が大半を占めている。ここまで気を使わなければならないほどに、人間は脆弱だったろうか。怜はなぜか<施設>の談話室を思い出していた。照明はすべて青白い蛍光灯だった。そこかしこに設置された観葉植物はみなイミテーションだった。屋上には<機構>の研究所でもなかなかお目にかかれないほどに徹底管理された温室が設置され、風車が回り続ける前世紀の色が濃すぎるあの<施設>を。そこから連れ出した少女は、怜のあとを足音もたてずについて来る。それにしても、鳴海の肌の色と、この建物の内壁の色が同期する。白すぎる。
 老婦人の病室は、花弁状(というよりは雪の結晶に近い)に開いた病棟の突端に部屋を与えられていた。一五六号室、北側の斜面。ドアはみな開け放たれていて、中の様子が伺える。テレビの音、音楽、鮮明な画像、ノイズのない旋律。怜のあとをついて歩く鳴海の耳に、明日香のラジオのひどいノイズが流れ出す。
 やがてふたりは突端の部屋に到達する。個室だった。受付の係員が老婦人に二人の来訪を知らせていたのだろうか。老婦人はベッド脇の椅子に腰かけ、ナイトテーブルにマグカップを載せて、ふたりを迎えた。
「こんにちは」
 老婦人の挨拶に、怜はすぐには返事ができなかった。ひさしぶりに肉親に出会ったような気分だった。鳴海は部屋に入ってこない。
「おひさしぶりね、環境調査員さん」
作品名:夏の扉 作家名:能勢恭介