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夏の扉

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「自分が外から部屋の窓を見ているとは思わないのかい? 真夏の昼間にね、こう、道を歩きながら、風にカーテンがなびいているのさ。誰かいるのかな、そう思って部屋をのぞいてみようとするんだけど、あいにくカーテンはレースだ。明るいところから暗いところは見えない」
「白石さんはそう思うわけですね」
 鳴海は中庭を向いたままで、目の前を流れていく怜の煙草の煙を追っていた。
「いや」
 否定の返事に、鳴海は怜を向いた。
「思わないよ。言ったじゃないか。僕は、自分がどちら側にいるのかがわからないってね……。だめだな」
 怜のセリフの尻尾にくっついた言葉が、鳴海の耳にぶつかって肩から背中へ転がり落ちていった。
「だめ?」
「だめだな。平行線だ。まるで市電のレールみたいだ。終点は、海の底だよ。この話題はね、きっと君と僕のあいだでは上演禁止なんだ。終わりが見えないから」
「終わりが見えない?」
「君に引っかけていったわけじゃない。曲解したのならあやまるよ。そのままの意味なんだ。どっちが外でどっちが部屋の中かなんて、どうでもいいことだった。
 僕が君を待っていたのは、ああ、そうそう、待っていたんだけど、君を待っていた理由はね」
 怜はそこで言葉を切り、やけに大げさな瞬きを一度だけした。スローシャッターだ。
「お見舞いに一緒に行こう」
 中庭を向いて怜は言った。ふたりとも前を向いたまま。誰に向かってしゃべっているのか、たがいのひとりごとをたがいが拾っているだけのような、奇妙な寂寥が漂っていた。
「お見舞い?」
「有田さんのさ」
「有田さん」
 怜はシートから背を離し、両肘を両膝にのせ、頬杖をついた。
「復職が決まったんだ」
「え?」
「僕は環境調査員だ。いまも、これからもね。仕事に戻るんだ。来月から」
「……話がよくわからないけど」
「<機構>、統合社会管制機構は、ほぼすべての医療機関を管理している。いや、監視というべきなのかな。たぶんここの<施設>も例外ではないと思うんだけれど、不思議とここは<機構>独特の雰囲気がないんだ。ちょっとびっくりするほど閉鎖的で、前時代的だ。じつはね、稲村先生や、おそらく君や西さんが思っているほど、<機構>は閉鎖的な機関じゃないんだよ。末端構成員の僕にはくわしいことはよくわからないけどね、上層部のドロドロとか、そういうのはね。けれど、情報を一手に管理する能力はずば抜けて高い。そうでなければ、環境の激変をこのレベルで抑えきれているはずがないさ。シベリアが大穀倉地帯になってしまったっていうのにね。前世紀のスピードで二酸化炭素濃度が増加していれば、今ごろ僕も君も、海の底で泡を吹きながら会話をしてただろうさ。
 話がそれたね。そう、お見舞いの話だ」
 怜は煙草を一本抜いた。身体が欲して喫うわけではない。話の間を持たせるのに、煙草は非常に有効な小道具なのだ。とりわけ、自分のような大根役者には。怜は春の日、ここに座り、芝生でステップを踏む鳴海を、舞台を見るようにしていたことを思い出す。
「<機構>の構成員は全員が端末機を持っているんだ。万能ではないけれど、物を調べたりするのには便利なんだ。図書館に行くよりはずっとね。……今は持っていないよ。で、僕は調べてみたんだ。有田さんがどこに収容されているのかをね。すぐに見つかったよ。それで気づいたんだ。この<施設>はずいぶんと閉鎖的だってね。たとえば医療機関などの入所者リストは、僕のように<機構>の人間であって、そして公的な<パーミッション>があれば意外に簡単に読むことができるんだけど、ここのリストは読むことができなかった。たぶんリストそのものが存在していなかったんだと思う。それで前時代的だ思ったのさ。リストが存在していたとしても、それがもし紙媒体だとしたら、端末から読むことなんてできないからね」
 鳴海は相槌も打たず、ただ中庭をながめていた。隣に座っているのは誰だろう。聞いたことがある声だが、知っている人間のはずだが……。
「有田さんは、<機構>直轄の病院にいたよ。新市街じゃなく、旧市街のね。直接話をしたわけではないからよく知らないが、……元気みたいだ」
 元気みたいだ。
 そのセリフだけ、鳴海の知っている怜の声だった。力みのない、弛緩した声だった。いきなりのトーンダウン。きょうの怜はなにかがおかしい。それに付き合って座っているわたしも、おかしい。
「行こう」
 いつのまにか怜は煙草を消していた。どこまで喫ったのだろう。
「え?」
「お見舞いさ。一緒に行こう。だからきょうは電車で来なかったんだ」
 のりだした身を半身、鳴海に向けて怜は目を細めてみせた。
「鳴海さんを連れて行こうと思ったんだ」
 薄く煙がたなびく待合室で、ふたりは向かい合った。おたがいの半身だけを向けて。
「これから一時間、稲村先生と面談だよね。そのあとでいい。昼食のあとでもいい。行こう、有田さんに会いに」
「鳴海さん」
 怜の言葉をさえぎったのは、意外に鋭い稲村の声だった。
「時間ですよ、わたしの部屋に来てください」
 鳴海にとっては助け舟だった。稲村は廊下の角に立ち、両手を白衣のポケットに突っこんでいた。
「鳴海さん」
 稲村と怜の声が重なった。鳴海はどちらを向いていいか、一瞬逡巡する。
「行こう、鳴海さん。海を見に行くわけじゃない、ただの見舞いだ。何の問題もないよ。だから、稲村先生とのカウンセリングのあとでいいから、待っているから、行こう」
 怜は早口に言った。
「鳴海さん」
 稲村が呼ぶ。意図していないのに、早く席を立ち、稲村とのカウンセリングを受けなければならないのに、怜の声が腕を引いた。そして、<施設>を無言で出て行った老婦人の顔が瞬きのたびに眼前を漂う。不意に鳴海の脳裏にフラッシュ・バックするのは、あの白い部屋。怜は部屋の外からドアをノックしている。鳴海の名を呼び続けながら。断続的な排気音は、怜の自動車のエンジンだ。世界は外に向かって続いているのだ。彼は鳴海を呼び続けた。有田さんが君を待っているよ、早く行こう。
「待ってますよ、僕はここで」
 鳴海は怜の言葉をそっと受けとめて、席を立った。彼の言葉には応えることなく、また稲村の呼びかけに積極的な応対もすることなく、ふらりと長椅子を立った。ここは、どこだろう。覚醒しているのに、夢から覚めていないような、頼りない気分だった。
 鳴海には稲村の診察室が、ひどく遠く感じた。


   五一、花束

 鳴海が診察室に去ってすぐ、待合室におなじみのキータイプの音が響きはじめた。音のありかを向くと、受付カウンターの向こうに、上下する黒髪が見える。<施設>に通いはじめてからずいぶんたつ。怜は長椅子に座りなおし、中庭を眺めた。すっかり霧は晴れ、陽射しは強くまっすぐに、青い芝生を照らしていた。まぶしかった。芝の青を照り返し、夏の太陽は蛍光灯の灯らない待合室の壁や天井を、緑色に染めていた。風が芝を流れれば、きらめく葉の一枚一枚がまるで水面の小波のように、細かな模様を天井に映す。首をめぐらせ、怜は待合室の様子をひとつひとつ記憶に焼きつけた。壁に入ったひびの一本一本までを。
 この風景を、自分はいつ頃まで覚えていられるのだろう。
作品名:夏の扉 作家名:能勢恭介