小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

トモの世界

INDEX|1ページ/126ページ|

次のページ
 
   一、


 私は壁にもたれて、桜の花を思い浮かべていた。
 それは学生時代に都野崎(とのざき)市の紀元記念公園で丹野(たんの)美(み)春(はる)と眺めた夜桜の風景だった。いま私が思い浮かべる風景としてはあまりに場違いだと思ったが、同時に、イメージしている風景をたとえば一枚の絵にしたとき、そのすべての印象を言葉で説明するにはどうしたらいいだろうなどと考えたりした。目を閉じる必要もなく、私の脳裏には明確な映像として、記念公園の池に映る高層建築の夜景とライトアップされた夜桜が浮かぶのだけれど、それを傍らで警戒の姿勢を取り続けている南波(なんば)少尉に百パーセント正確に伝えるのは無理だろうなと思った。そう、私たちは映像を言語に置き換えて第三者に説明するすべを持たない。
 友軍部隊の射撃音が聞こえなくなって、半日。聞こえるのは獰猛なトンボのように大きい蚊の羽音。味方の足音も息づかいもなにも聞こえない。敵に占拠された発電所奪還作戦のため、私たちが北方戦域の最前線に空挺降下して一週間が過ぎていた。暦はすでに六月に入っていたが、北洋州の北の果て、北方会議同盟(ルーシ)連邦とわが帝国が国境を接する北緯五十度に近いこの地域で、吹きつけてくる風に暖かさを感じなかった。味方の気配がまったくしないのも暖かさを感じさせない要因の一つだろう。
 私たちは完全に孤立していた。
 敵部隊に包囲され、私たちはかつては病院だったとおぼしき建物に逃げ込んでいた。友軍の頼もしい戦闘ヘリコプターは撃墜され、もはや味方と呼べるのは、窓ガラスがすべて割れたこの部屋のやや離れた場所で、背を丸めるようにして装備品の再チェックをかけている南波少尉だけになってしまった。南波は傍目には落ち着いて見えた。私ももちろん平静だ。二人ともそういう訓練と調律(チューニング)を受けているのだから。
「『言葉』に必ずしも『音』は必要ないんだよな」
 私が何気なく言うと、南波は反対側へ低い姿勢のまま歩いて行った。興味などない、何も話すべきことはない、そう背中が語っているように見えた。
 五階建ての建物の五階。エレベータは動かず、地上へは建物外壁に取り付けられた螺旋階段で下りるしかない。けれど敵の狙撃手がここぞとばかりに狙っているのは言うまでもない。南波は大腿部のホルスターに挿した帝国陸軍の制式拳銃メルクア・ポラリスMG-7A 九ミリ口径セミオートマティックに右手を添えたまま、しかしゆっくりと歩いて行く。
「迎えはまだ来ないのか、」
 私が言葉を投げつける。
「入地(いりち)准尉、」
「なんだ」
「お前があそこのロケットランチャーを潰してこい。あと、向こうの対空機関砲(トリプルA)だ。あれも潰してこい。そしたら、迎えが来てくれる」
 迎えを呼んだとしてやってくるのは陸軍でどこでも見かける七七式汎用ヘリコプターだ。速射能力に優れたドアガンを装備しているが、対空兵装は皆無。敵の対空ミサイルから機体を守るべきチャフもフレアも積んでいない。ようするに空飛ぶバスみたいなものだ。航空優勢が確保されて、地上も制圧されていないとおいそれと離陸もできない。南波少尉のヘルメットに装着してある戦闘情報表示システム(CIDS)によれば、こちら現地の敵脅威判定レベルは三。戦場のど真ん中、まさに敵味方で銃弾が飛び交う場所の脅威判定レベルが最高の五。戦闘状態にない平時をゼロと判断するので、レベル三は交戦中を意味する。危険すぎて丸腰に近い汎用ヘリを呼ぶなど不可能だ。
「航空優勢は確保しているはずだったのに……」
「空はな。地面は違う。だから、近接航空支援(CAS)を要請するんだ、これからな」
 南波は疲れを見せない。
「南波、さっきの話なんだけど」
 私が言うと、南波は面倒そうに首を一度振り、しかしこう言った。
「『言葉』に『音』が必要かどうかって話か」
 私は肩から胸にかけて提げてある負い紐に指をかける。私の右手もまたヘッツァー4716自動小銃のグリップを軽く握っている。光学照準器と三〇発入りの弾倉、そしてフラッシュライトにフォアグリップをゴテゴテと上部レシーバーのレールにくっつけた総重量は四キロを超えてしまう。上下レシーバの一部は樹脂製だが大部分はプレスを多用した金属でできている。懸命に軽量化の努力をしているのはよくわかるが、しかし重い。しかも、私のチェストハーネスには、予備弾倉がぎっしり詰め込まれている。軽くするには、弾薬を消費するしかない。撃てば軽くなる。しかし撃てない。弾薬はいつでも節約せざるを得ない運命にあった。
「よし……空軍の支援戦闘機が近接航空支援をやってくれる。そのすきにここを出る」
 南波が低く言う。双眼タイプの時代遅れの暗視装置のような形をしたものがヘルメットにアタッチメントを介して取り付けられている。南波はそれを降ろした状態で言った。それは東洋電機工業製九六式LLRR-五二五-KLS戦闘情報表示システム、いわゆるCIDSと呼ばれる装置で、陸海空全軍の兵士の必需品と云えた。CIDSDSは誰が呼び始めたか「シーディス」と発音する。本当にそう読めるかどうかは別して。基本的に兵士全員が装備し、部隊によって機能や形が違う。歩兵に限らず、戦車兵もヘリコプターの射撃手(ガナー)や戦闘機パイロットも使用する。
「八九式支援戦闘機がいつ来るって?」
「二〇分もあれば飛んでくるさ」
 おそらく戦闘空中哨戒中の八九式支援戦闘機がやってくる。双発軽量のターボファンエンジンを装備し、五トンを超える兵器搭載力がある。地上制圧用の自己鍛造爆弾GBU-8は、全地球測位システム(GPS)と、あらかじめ投下母機にプログラムされた地形データ、そして衛星リンクで送られる目標そのものの画像データを見て、判断し、自分の形を適切に変化させて目標に突入するお利口(スマート)だがかわいそうな兵器だ。八九式支援戦闘機の最小行動単位は二機。作戦時は最低四機の一フライトでやってくる。対空戦闘を担う八一式要撃戦闘機を護衛につけて。
「さっきの質問に答えていないな」
 私が言うと、南波が手招きする。しかし私は不用意に窓に近づかない。狙撃を恐れているのだ。空沼川が見渡せるが、縫高町鉄道橋は落ちずにそのまま残っている。距離、八〇〇メートル少々。もし五〇口径の対物(アンチマテリアル)ライフルで狙われたら、ひとたまりもない。
「言葉がどうしたって?」
 南波がぶっきらぼうに言う。
「収斂進化は、わかるよな?」
 私がなんとなく言う。
「わかる」
 南波が投げやりに答える。
「答えてみろ」
 私が問う。南波はさらに投げやりに答える。
「目的が同じだと、別系統の祖先を持っていても、似たような形になるって話だろう。敵の戦闘機とこっちの戦闘機の最新型はどっちも似たような形をしているからな」
「そんなところだね」
「何でそんなことを訊く」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介