Delete
「未来はあなたのすぐ隣に。城崎電機。」
少女は顔を上げる。
すでに画面は新しく始まったドラマのコマーシャルに切り替わっていた。すぐ目の前に置いてある黒いリモコンを持ち上げ、人差し指で電源ボタンを押しこむ。画面は真っ黒になり、それきりテレビは静かになった。
少女は、膝の上で開いているノートに再び視線を落とす。見開きの一ページの内、左側半分にはプリントアウトした地図、右側には手書きの間取り図が描かれている。彼女の視線に物理的な力があれば、きっとノートは蜂の巣だ。じいっと見つめるその先に、本当は何を見ているのかは誰にもわからない。
――ピリリリリリ
くぐもった、着信音が響く。彼女はまた意識を引き戻され、顔を上げた。
――カバンの中かな?
ノートをたたんで膝からおろし、後ろのソファに置いた。四つんばいで音も立てずに、床に置いてあった通学鞄に這い寄る。流行りの曲でも、好きな曲でもない。初期設定のままの、名もない音楽とともにぶるぶる身を震わせているそいつを手探りで鞄の中から持ち上げる。
いまどき珍しい二つ折りの携帯電話を開いた。
ぴ。
「もしもし、ああ、お父さん。うん、うん。いいのよ、うん。」
単身赴任の父親の声を聴いたのは、十日ぶりだった。学校はどうか、ご飯は食べているか、お金は足りるか。父親の電話はいつも基本的な質問攻めからはじまり、時々は用件を告げ忘れて切れることもある。学習した少女は、忘れないうちに父親の問いかけを強引に止め、用事は何、と聞いた。電話口で、低い、男の声が笑ったような気がする。
『千春(ちはる)、そろそろ、帰れるかもしれない。』
え。
千春から出たのは、ただ、驚きの声だった。
『詳しいことはまだ決まらないんだ。わかったらまた連絡する。嬉しくて嬉しくて、電話したんだ。』
「……そっか。」
『なんだ、千春は嬉しくなさそうだな。男連れ込んだりしてるんじゃないだろうな』
「なっ!」
あはははは。
電話の向こうで大笑いし始めた父親の声の大きさに驚いて、千春は不快そうに眉根を寄せ、携帯電話を耳から離す。
父親の笑い声が収まると、受話器の向こうから、知らない声が父親を呼んだのが聞こえた。
『まぁ、またな。』
「あ、うん。」
ぴ。
つー、つー、つー。
千春は、通話が終わった携帯電話の画面を凝視する。
ゆっくりしている暇はなさそうだ。
立ち上がって、コルクボードにかかっているカレンダーを見つめる。手元のカラーボックスに置いてあるペン立てから赤い水性マーカーを取り上げた。キャップをとる。
「明日。」
明日にぐるっと赤い丸を付けた。
「明日。」
大丈夫、準備はできている。
ついに、踏み出せなかった一歩を。
騒ぎ出す心臓をなだめるように胸に手を当てて、深く息を吸って、吐いた。