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「私は、あの、最初で最後の“Project-h00”の責任者です。」
「あの、ポンコツのな」
吐き捨てるように、繁親は言う。
「挙動のテストもしなかった、未完成の試作品を、責任者の私抜きで勝手に実装したのはあなただ。」
きちんと接続できたかすら怪しい、と剣が呟く。繁親は、言い返すことはできない。剣のチームは、繁親の強硬姿勢にほとんどが反対して、ほとんどが辞めて行った。彼らがついて来たのは繁親ではなく剣だと口々に言い捨てて城崎を出て行ったのだ。
「私は、あのパーツ、遠隔操作できますよ。城崎の環境のおかげで、通信網だけは万全にできましたからね。」
「なっ……」
絶句。
何が仕込まれているか、わかったもんじゃない、と今更ながらに思い知らされる。そんな小細工を仕掛けていたころ、剣は繁親の腹心だったはずだ。
「まぁ、操作できるといってもONかOFFか、だけですけど。」
「OFFも何も、あのポンコツはちっとも稼動していない。そんな脅しは、」
「へぇ。それじゃあどうしてあなたはいまだにそのポンコツをパソコンに搭載して、律儀に私の言いつけを守っているんでしょうねぇ」
繁親の目が、見開かれた。
「まるで私の身の回りを監視しているような物言いだな。奈津子との接触は許可していないはずだぞ。誰だ、一体。誰がお前に、ここでの話をしているんだ」
「誰も、何も。ご自身でスパイを送り込まれたじゃないですか。私を監視していたのはあなたの方だ」
手なずけたのか。
繁親は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「彼女を叱らないでやってくださいよ。私はただ、彼女が城崎に出入りしているって聞いて、世間話程度に情報をもらっただけだ。彼女はきちんと仕事を果たしているでしょう。」
「世間話なんかで分かるか。パーツが稼働しているかどうかなど」
剣は、憐れむような視線を、繁親に向けた。
「分からないんですね。あなたがそんなことだから、発現するまで十年もかかったんでしょう。学習していますよ、あれは。」
嘘だ、と繁親は呟いた。
十二年前、初めてのパーツができたとき年単位で経過の観察が必要かもしれない、とは言っていた。だからあの時、三年も監視したのだ。気の長くない繁親が、こんなに長いスパンでプロジェクトの経過を見ることなどそうそう無い。そして、三年経って、何も起こらなかったことから、プロジェクトは立ち消えになった。物理的にもスペースを取らなかった“h00”パーツは、そのパソコンの配線をプロジェクトのために特別仕様にしたということもあり、一縷の望みをかけてそのままになっている。
だが、そんなことも今となっては知る者もいない。
「嘘じゃない。今、その行動のほとんどは、“ポンコツ”による学習の賜物です。」
「しかし、そんなデータは、」
「プロテクトをかけてありますから。」
本当にぬかりの無い男だ。ここまでくれば己の考えの足りなさにあきれ果てる他ない。
「あなたがデータばかり見ているから、いけないんですよ。そもそもデータにできないものを、作ろうとしていたんだ。」
もう何を言い返す気力も、繁親には残っていなかった。自らの望むものはすべて、ただこの男の手のひらにある。もう片方の手のひらの上で、自身はただ踊らされているのだ。反対側の手に渡りたければ、手を寄せてもらうほかない。剣には、両方握りつぶすことも容易だ。
「学習データにアクセスする方法、知りたいでしょう」
力なくうなずく。
剣は、ほんの少しだけ、唇をゆがめた。
形の上では笑っている。しかし繁親は、怒っている、と思った。目が、冷たい。
そこで、はっとした。
この目は昨日、自分に向けられたものと同じだ。
「そうか、そうだな。」
繁親は一人、アスファルトに黒々と落ちた自分自身の影に向かって言ってやった。お前はこんなに近くにいて、その片鱗に気づきもしなかったのか、と。
「ついて来い、剣。秋桜のスペアをやろう」
「私だけ、行っても」
繁親は車に足をかけた。
「あとから秋桜も呼ぶ」
繁親は座席に詰めて座り、隣に剣を呼んだ。柚が何も言わずに剣を待っている。剣は、初めてまじまじと彼女の姿を見た。
「分かるか。」
「ええ。話には聞いていましたがよくできていますね。」
剣は柚の頬に手を当て眼球の下の肉を引っ張った。現れた白目の部分をじっと見る。柚は、何も言わなかった。
手を放すと、二人は車に乗り込んできた。
「古いままなのは、どうしてですか。」
「お前がいなくなったからだろ。新しくしても仕方ない。正直諦めていたよ。まさか一人で、こんなことを続けているとはね。」
柚が、車のドアを閉めた。
「私はてっきり、こちらに実装するものだと思いました。まさか、その計画を後回しにしてまで、秋桜君に使うことにしただなんて、本当に驚きましたよ。」
目的のためには手段を択ばない男が、悲願を置いておいて、別の道に走るとは。
緩やかに、車が滑り出す。
「私だって、」
繁親が、目を細めた。
「私だって鬼じゃない。あれで話が済めば、何もかも元通りになるはずだった。剣だってここにいてくれただろう。剣がいれば、柚だって今頃、」
「やめましょう。」
言い返してやりたいが、黙っていた。すっかり秋桜に執着している人間がきれいごとを並べるのを聞きたくない。
車は、緩やかに最初のカーブを曲がる。
それきり、車内は静かになった。気を利かせたのか、運転手がカーラジオを消した。
剣はスモークガラスの向こうに目をやる。
誰もが、深い傷を負った。
誰もが、日常を諦めた。
だけど、今でも、剣はこう思っている。
――一番つらいのは、秋桜なのだと。