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繁親は、緊張していた。剣の出方が分からない。いたずらであればいい。深い意味もなく、繁親をからかって遊んだのだ。不本意だが、それで済むならそれでいい。水に流してやる。そうであってほしい。
「社長が、あの子らをどう扱っているのか見せていただきましたよ。」
「悪趣味な。喧嘩してしまったよ、おかげで。無為なことを。」
笑って、言った。うまく笑えたか、自信はない。出来るだけ、冗談の言い合いのように、軽口だけをたたいてこの場を終わらせてしまいたかった。懐にいれば心強いこの男は、ひとたび対峙すれば強大な障壁だ。敵なのだとしたら、うっかり口を開いたころには、繁親の首はすでにとんでいるかもしれない。名に違わぬ、鋭い、それによって。
飄々としてつかみどころがないところも相変わらずだ。何のためにここに来たのか、全く想像がつかない。全幅の信頼がおける戦友では、もうないはずである。十年も前に、その道を違えたのだから。それでも一向に敵意は見せない剣に、繁親は身動きが取れない。見えない糸が四方に張り巡らされ、どう動こうとも糸に身を切られるような錯覚に陥る。
そう、繁親を警戒させる、逸材だった。由規男の地位には、剣がいてもおかしくはなかった。この、偉大な風来坊が、それを望むかは別として。
「手紙、読んでくださったんですね。」
剣の声色が、低くなったのは明らかだった。
「さぁ、なんのことか。」
「だから、あの子らを監禁している。」
繁親は、こめかみに冷や汗が伝うのを感じる。
「人聞きの悪いことを言うな、剣。保護しているんだ、保護。」
 読めない。
 食えない。
分からない。
少しの間にも耐えられない。
「一体、何をしに来たんだ」
慌てて、自身で言葉をつなぐ。口を開けば開くほど、相手に好機を与えるかもしれない。それでも繁親は、黙っていられなかった。
返事はない。
焦る。
窺うように見た剣の黒い瞳にはゆらりと青い炎が見えた気がした。
呑まれてしまう。
あの、温度も知れない高い熱に溶かされるように焼かれてしまう。
「剣、」
「出来ましたよ。あなたがずっと欲しがっていたもの。」
それは、刺すように繁親の言葉をさえぎっておきながら、驚くほど穏やかな声だった。
「私が?」
そうだ、最初の手紙には確かにそんなことが書かれていた。さっさと捨ててしまったからにはもう確認の仕様がないが、そんな事が書かれていた気がする。しかし、心当たりがない。繁親がずっと望んでいたもの。二度と手に入らないものばかりが去来する。
剣が、警備服の上着の前のジッパーをおろし、胸元に手を突っ込んだ。内ポケットから、小さな白い箱を取り出すと、繁親の眼前に突きつけるように差し出す。つるつるの紙製の箱を両手で受け取る。片手でも持て余す大きさのそれをくるくると眺めてみると、とある一面に、赤い油性ペンで走り書きがあった。
“Project‐h”
 ぴたりと、動けなくなった。
 繁親は、慌てて箱を開ける。
銀色の、楕円球が収まっていた。
繁親は、はっと顔を上げる。剣の顔には何の表情も見えない。それからまた、手元に視線を戻す。
信じられない。これだけ繁親を翻弄しておいて。
ああ、味方だったのか。
「剣!お前!お前っ!」
大きな声が出た。胸のあたりに何か熱いものがぐっとこみあげてくる。もはや、言葉にならない。いや、言い表すことができない。踏ん張っていなければ泣き崩れるかもしれないと思うほどには、繁親は感極まった。
「社長。喜ぶのはまだ早い。理論上は完成です。でも。」
聞いていられなかった。今や、何物も、繁親の耳を貫くことはできない。
「社長!」
今度は剣が大きな声を出した。それから、繁親の手元から箱を取り上げる。
繁親はやっと我に返って、剣の手に追いすがった。剣はあっさりと繁親の手のひらに箱を置き直す。
「それは差し上げます。お好きに使ってください。ただ、私どもの方でもテストをしたいのです。ただ、ヒト型パソコンは城崎の専売特許ですから、」
「それは、ならん」
 びしり、と繁親は剣の言葉を遮り皆までは言わせない。
剣は味方だった。そして、希望はこのてのひらの中だ。もう何も動揺することはない。
剣の方も、このくらいでは動じない。想定内だ。
「何も、製造工程を明かせとは言っていませんよ。すでに形があるものを一台ください。いや、レンタルでもいい。不良品だってかまわない。」
 繁親は首を横に振った。
「お前は、すぐ暴く。」
「暴いたところで再現できる製造ラインはうちにはない。」
「ダメだ。」
 繁親は頑として首を縦に振らない。それだけ恐れているのだ。剣に、城崎の専売特許を奪われることを。一歩でもこちらに踏み入らせてしまえば、根こそぎ盗られてしまうのではないかと。
 剣が、不敵に笑った。
味方ではなくなったのだと、繁親にはわかった。

作品名:Delete 作家名:姫咲希乃