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「せっかく私が出向いたのになぁ」
後ろを黙ってついてくる女性に繁親は不満を訴えた。いや、独り言だと思われて、誰の相槌がなくても一向に構わないが、この女に限って繁親の発言を拾わないということはない。
「おっしゃる通りですよ。後できつく言っておきますから。」
冬美がぺこぺこと頭を下げる。特に言うこともないので、返事はしない。繁親は首だけを少し後ろに回して、冬美に微笑んで見せた。視界の端に映りこんだ、最後尾を行く由規男は欠伸をしている。こちらにも特にかける言葉はない。
「それじゃあ私は出勤するから、後のことは頼みますよ、冬美さん、由規男。」
 城崎邸の正門の前には、つややかに光る黒いセダンと、秘書の柚が待機している。冬美と由規男から離れ、繁親は車に向かう。さっさと玄関へ引っ込もうとする由規男とは対照的に、冬美はいつまでもその背中に頭を下げていた。
 庭の最後の飛び石を踏み越えて、門の外に出る。柚が一礼して、後部座席のドアに手をかけた。
門の外、車の横で、警備員が頭を下げていた。門を出るまでは死角になるところに立っていたので、その男が突如そこに現れたかのような錯覚に陥った。繁親は、片手をあげて、挨拶する。
 昨日の朝、手紙を渡してきた男か。
ドアを開けて待つ柚に、視線もやらずに礼を言いながら、そんなことを思う。車に乗ろうと、男から目を逸らす、一瞬前に、男は上体をあげ、口元を釣り上げた。制服の帽子を目深にかぶっており、つばの影が落ちて、口元しか見えないことがより一層、その笑みを印象付ける。
 繁親は、囚われた。
 車に向けようとした目線を、もう一度男に戻す。車に乗りかけた左足を、戻す。
男が二、三歩、小さい歩幅で繁親に近づいた。
「気づかれない、ものですね」
 知っている声だ。
どうして気づかずにいられたのだろう。
男が緩慢な動作で帽子を脱ぐのを、繁親はじっと見つめていた。いや、緩慢だと思ったのは、繁親の錯覚かも知れない。彼が声を発した、それからの瞬間はすべてがスローモーションのように感じた。
 繁親は、目を、見開いた。驚いた。ただ、驚いて、何も言えない。
 暁の夢のような男だった。紡ぐ言葉は希望を縁取り、魔法の両手でそれを形成する。そして彼自身は幻のように繁親のもとを去ったのだ。時々ゆらりと立ち上る蜃気楼を残して。
 共に夢を見て、共に未来を語った。互いの可能性を思い、背中を預けた、戦友のような男だった。この男がいれば、欲しい未来は必ずやってくると思っていた。二人でいれば、未来はこの手のひらにあると思っていた。
「お久しぶりです、社長。」
 歯を見せて笑ったその顔はしっかり、会わなかった十年分、年を取っている。もう四十代も半ばにであろうが、若々しく見えるのはどうやら相変わらずのようだ。
 ――ああ。
繁親は、合点がいく。
この男なのか、私に挑戦状をたたきつけてきたのは。
「剣(けん)。訪ねてくるなら、あんなまだるっこしいことをしなくても。」
子をいさめるように、繁親は言う。親しみと、わずかばかり非難の色をちらつかせて。
隣で柚が何か言いたそうにしているのを、片手だけ上げて牽制する。

作品名:Delete 作家名:姫咲希乃