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ざっ、ざっ。
音が、近づいてきた。伸び放題の草を踏みしめる音だ。時々、干からびた枝が折れる、乾いた音が混じる。
もう、そんな時間か。
信親は腕時計を確認した。
十二時二十五分。
ムラのあるぼんやりとした闇は一日を待たずして信親から時間の感覚を取り上げた。もう時間を認識する必要がないと、信親の許可も取らずに体が勝手に仕事を済ませたようだ。
幸いなことに、繁親が言うとおり電気と、それから水道は通っていて、現役である。おかげで秋桜の充電も、スマートフォンの充電もできた。自分が動いている方が、退屈しのぎになると秋桜は言ってくれたが、スリープさせている。万が一の時に秋桜の充電が切れてはいけない。何も持たない信親にとって、秋桜は重要な戦力である。大事まで温存しておかなければいけない。
足音がすぐそこまでやってきたのが分かった。複数人いるようだ。
こんなことで、わざわざお使いに出される使用人たちも気の毒だな、と他人事のように思う。
足音が止まった。代わりに、何か、短い言葉を交わす声が聞こえる。何を話しているのかはおろか、誰の声かも判別がつかなかった。
がたっ
立てつけの悪い引き戸に、手が触れたようだ。直後、かちゃりと鍵が明けられる。
物音で、秋桜が目を覚ました。信親は苦笑する。
「あき。大丈夫だよ。」
「もう昼?暇だろ。声かけてくれればいいのに。」
信親は、ほっとした。時々こうして、秋桜と言葉を交わすことができれば、それだけで十分だ。霞のように眼前を漂っては、気づくと体をすっぽりと包む寂寥も慌ててどこかへ立ち退いていく。
がこがこ、と大騒ぎしながら入口が開けられる。荒っぽい、無遠慮な開け方だった。信親の愁いに、土足で踏み込んでくるような、そんな開け方だった。
昨日入り浸っていた、入口のすぐ前の廊下からは、夜になる前に引き上げた。今は入口からは一番遠い部屋にいる。コンセントがあるためだ。
それでも、引き戸が開くと、外の明かりが入り込んでくるのを感じる。じわじわと薄闇が喰われて、光と闇の境界が侵されていく。
本当に昼なんだと、実感した。
「信親。昼飯を持ってきたぞ。」
次の瞬間聞こえてきた声に、信親と秋桜は図らずとも顔を見合わせた。
「どういう風の吹き回し?」
「さぁ?」
二人は首を傾げつつ、会いたくはないので声だけを返す。
「置いといて。」
返事はない。ため息が聞こえた。不満が詰め込まれたため息だった。かちゃかちゃと食器同士がぶつかる音がする。それから、再びがたがたとかみ合わない木が喧嘩をする音がして、退避していた淡い闇と静寂が、どこからともなく帰ってくる。
ちっ。
秋桜が舌打ちした。
――どこで覚えてきたんだろう。
「どの面下げて会いに来てやがる。」
低い声で、秋桜が独り言のように言う。
信親は、小さな破裂音を漏らし、肩を震わせた。
「ちょっと、のぶ!笑ってる場合?」
咎めるような強い口調にも、信親の笑い声を止める効果はない。ひとしきり笑った後、信親は目元を指で拭った。
「僕の代わりにあきが怒ってくれるから、僕はすることがないよ。」