小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

Delete

INDEX|29ページ/41ページ|

次のページ前のページ
 


こんこん。
平日、いつも同じ時間に、この扉は二度ノックされる。
――ああ、もうそんな時間なのか。
繁親は、扉の向こうへ大きな声を上げた。
「入れ。」
重厚な木製のドアを開けて入ってきたのは、繁親の秘書だった。毎朝彼女は城崎邸の繁親の自室に彼を迎えに来る。
「おはようございます、繁親様。」
「ああ、おはよう柚。」
入口で一礼してから、彼女はつかつかと繁親の机の前までやってきた。
「お迎えに上がりました。」
これもいつもの台詞。
「すまないね。準備がまだだ。」
「かしこまりました。廊下で」
「いや。」
彼女の申し出を、繁親は遮る。
「いいよ、ここにいなさい。すぐだ。」
 彼女は頷いた。にこりともしないその顔を、繁親は微笑んで見つめる。もう、懐かしさが去来することはなかった。
年の頃は二十代後半。小柄で、痩身のその体躯も、丸い形をした顔も、薄く茶色がかった髪の毛も、ゆるい天然パーマも、柔らかい声も、そのすべてが繁親の知っている彼女の姿であることに違いない。そう、違いないのだ。
机の上の資料をいくつか手早くまとめて、分厚い革の鞄に押し込む。鞄の口がもう入らないと言わんばかりに吐き出そうとして来るのを、無理やり閉じた。
「行こうか、柚。」
「かしこまりました。」
――君はこんなにしっかり者じゃあなかったな。
机の上の写真立てをかたんとうつ伏せに倒した。
柚が、繁親の鞄を自分が持つと行って聞かないのは毎度のことで、今日もそれを断った。二人で屋敷を出ると、門の前にはすでに黒いセダンが停まっている。朝の雨は止んでいた。陽光を浴びれば凶悪に光る車体の黒は、曇り空の甲斐あって今日は大人しい。
「繁親様。」
門を出ようというところで、呼び止められた。声のした方を向くと、警備員が繁親の方へ駆け寄ってくる。こういうことは、あまりない。普段はせいぜい挨拶を交わすくらいだ。
「すみません、お出かけの前に。こういう物が、朝一番に投函された様子で。」
彼が差し出してきたのは、白い封筒だった。小さい洋封筒に、城崎繁親様、と黒い文字で印刷されたシールが貼ってある。厚みはない。封筒の口は、折ってあるだけで、閉じられてはいなかった。
「ああ、ありがとう。」
出来るだけ柔和に礼を言うが、もちろん内心は穏やかではない。この怪しい手紙は、先週末の出来事を彷彿とさせた。こんなところで大騒ぎするわけにもいかないので、とりあえず車に乗り込み、封を開けた。滑らかに車が発進する。一枚だけ入っていた紙を取出し、広げたが、すぐにくしゃりと片手で握り込み、丸めてしまった。


大切なもの、いただきます。


たったそれだけが、活字で書かれていた。
反応しようにも、交渉相手が誰なのか見当もつかなければ、連絡先が示してあるわけでもない。いったい、繁親にどうしてほしいのかが分からなかった。
分からないから放っておけば、今度はこれだ。
ただのいたずらなのかもしれない。繁親を脅かして、どこかで笑っているのかもしれない。
ただ、言いようの無い不安だけがもやもやと漂ってきた。
「車を止めろ。」
自分で思うよりもずっと、低い声が出た。ルームミラー越しに見えた運転手の顔が引きつる。それから、隣に座る柚に声をかけた。
「信親と秋桜を学校から呼び戻せ。学校には私が倒れたとでも言え。」
「かしこまりました。」
もちろん彼女が、機嫌の悪い繁親に動じることはない。
一体誰なんだ。
出てこい。
私を釣るような真似をして。
車が止まる。
繁親はただ、見えない敵に腹を立て、霞のようなこの不安が現実に起こらないことを祈ることしかできない。

作品名:Delete 作家名:姫咲希乃