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帰宅するなり、母親につかまった。
昼からずっと玄関でうずくまって泣いていたようで、肌寒い外から逃げるようにして玄関に滑り込むと同時に、よく知った香りにがばりと包まれた。冬美は、泣き腫らして赤くなった目で信親をにらむように見つめると、背中に回した細い腕でぎゅうぎゅうと力任せに締め付けてくる。
「母さん、ちょっと、母さん、離してよ。」
苦しいよ、と咎めるように言ってみる。抵抗はしない。火に油を注ぐことになるのを、信親は知っている。
「あなたの身に何かあったら、私はどうすればいいの。」
「大げさだよ。靴も脱げないんだから。もう、離してってば。」
冬美は、やっと片腕を外した。
「あの女が連れ出したんでしょう、あの女が、許せないわ!人んちの子供だと思って!」
――ガチャン。
母親が何かものに八つ当たりした音だろうかと思った。
「俺が頼んだんだよ、母さん。」
背後から聞こえた、秋桜の声で、玄関のドアの音だったのか、とほっと胸をなでおろす。
「まぁ!秋桜まであの女に飼いならされていたなんて!」
「はは。」
飼いならされる、ね。この人は、息子を一体なんだと思っているのだろう。
力なく笑う。ちらりと横に目線をやれば、秋桜の目線とぶつかる。秋桜は肩をすくめて見せた。
「離してやれよ、母さん。」
「いやよいやよ。離したらまたどこかへ行ってしまうんでしょう。」
折角外れた片方の腕も、また戻ってきて、信親は再び身動きが取れなくなる。秋桜は少し考えて、こう言った。
「俺らじいちゃんに呼ばれてんだよ。」
効果覿面。冬美はぱっと手を放した。
「あらまぁ、そうなの。早く言いなさいよ。」
鼻をぐすぐすとすすりながら、冬美は立ち上がる。
「私は、もう休むわ。おやすみ。」
そして、階段を上がって姿を消してしまった。冬美は、繁親至上主義だ。冬美の足音が完全に遠のいてから、信親はやっと靴を脱ぎ、秋桜の肩をぽんぽんと叩く。
「ナイス、あき。」
おう、と秋桜は短く声を上げ、にぃっと口角をあげてみせた。
「やっぱり。」
「なにが、やっぱり?」
嘘をついたら褒められた。
「いや、べつに?」
なんだよー、と頬を膨らませる信親に、秋桜は訊ねた。
「奈津子さんはどうしたんだよ。」
「帰ったよ。もう、母さんたち帰ってくるしって。」
「そっか。楽しかったか、奈津子さんとデート。」
二人は信親の部屋に向かう。デート、という言葉に、あからさまに恥ずかしそうな反応を見せた信親だったが、急にはっとする。
「あきだったの、奈津子さんに外出許可取ってもらうように言ったの。」
さっき冬美に、そんなことを言っていた。
「え、ああ。そうだ。言ってなかった?」
「聞いてないよ!どうしてそんなことするのさ!」
「えっと……『余計な、お世話』?」
秋桜が慎重に言葉を選んで、慎重に発音した。ふふ、と息を漏らすように笑って、信親は左右に首を振る。
「ううん、あきにそんなことができるんだなって。嬉しかった。ありがとう。」
信親が笑ったのにつられて、秋桜も笑って見せた。
「ところで今回の研究室籠りはなんだったの?」
「先週まではアップデートだった。のぶが俺にそんなこと聞くの珍しいな。」
信親は自室のドアを押し開ける。
まあね、と笑った。
秋桜のことをどれだけ知らないか思い知って、それが悲しくなった。秋桜は信親を理解しようとして、いつもそばにいる。しかし、信親は秋桜の何を知っているだろうか。知りたくなかったのかもしれない。秋桜と自分が根本的に違うモノだという現実に向き合いたくなかったのだ。
「昨日と今日は?」
「背、伸ばしてもらった。二センチ。」
え。
信親は、秋桜と向い合せに立って秋桜の頭のてっぺんをじぃっと見つめる。そういえば、心なしか目線が……
「ええええええええ!」
なんでと詰め寄る信親に、秋桜はまぁまぁ、とその肩を押し戻す。
「背が高い方がモテる、って直哉が言ってたんだよ。」
「いや、それは直哉が小さすぎるだけの話でしょ。っていうかあき、モテたいわけ!?モテて、どうするわけ!?」
信親から言わせてもらえば、秋桜はほっといたってモテる。小学生のころからそうだ。そのたびに女の子を泣かせ続けて、その内女子生徒はすべて敵に回るのではないかと心配したが、幸か不幸か、秋桜の人気は衰えない。あまりにも頑なに断るため、今では家同士が決めた婚約者がいる、という噂が定石になっているらしい。それで、ファンクラブが発足した。
「直哉が、モテる男は尊敬するっていうから。」
「直哉に尊敬されたって、なんにもないって。」
あわあわとせわしなく体を揺らしながら、信親は秋桜の身長の変化に焦る。本当に二センチ伸びたなら、信親の身長を追い越してしまったことになる。
「なぁ、のぶ?」
心ここに非ず。
そわそわして、やっとの思いで秋桜の呼びかけに答える。
「なに??」
「モテるって、どういうこと?」
信親はがっくりと肩を落とした。
「……検索すればいいんじゃない。」