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ヒマだな。まだ、十時か。
信親は先ほどから何度も時計を確認している。絶対に、いつもより進むのが遅い。やることがないからといって部屋から出ることもできない。誰かに見つかってガミガミ言われるならまだしも、秋桜さんはどちらですか、なんて聞かれたら一巻の終わりだ。
信親は学習机で、本を読んでいた。前に一度読んだことのある本で、結末も覚えている。
惰性。
惰性でページをめくり続けている。
主人公の命運を決める文字列を、確認作業のように追う。
読むたびに物語の終着点が変わるわけでもないのに。
はぁ、とため息をついたところで、目の前に置いてあるノートパソコンの通信ランプが光った。接続したままのヘッドフォンから、わずかに着信音が聞こえる。
「え。」
秋桜からの通信の要請が来ている。
ヘッドフォンを付けて、許可した。画面には、信親の見慣れた授業風景が広がっている。
つまり、これは、秋桜の視界をリアルタイムで共有しているということだ。
『どうしたの』
信親はチャットを送信すると、秋桜の視界は手元に落ちた。
秋桜がノートをとるふりをして、チャットが始まる。日焼けを知らない白い手が、黒いシャープペンシルを取り、ノートに、どうしたの、と書いた。
続けてヒマでしょ、と書かれる。
『一緒に授業受けようぜ』
『ちょっとそれ、僕のノートでしょ』
『いや、これは俺のノート』
秋桜はノートをぱらぱらとめくって見せた。
朝、荷物を用意するときにチャット用のノートをきちんと持ったのかと思うとおかしくなって、信親は一人で笑った。
『音声も、要る?』
『いや、板書だけ見れればいい。』
『分かった。』
授業は、二時間目の現代文だった。
教科書もノートも秋桜が持って行ってしまっているので手元にない。
秋桜が開いている物を一緒に見るしかないが、結末を知っている本を読んでいるよりましだな、と思い直して信親はパソコンを見ていた。
その後も、三時間目の数学と四時間目の英語の時間もたまにチャットをしながら授業を共有した。
昼休みになると同時に、教室に皐月が飛び込んできた。彼女は、生徒会の役員で、信親と一緒に文化祭を担当している。
怒ったような顔をしたり、困ったような顔をしたりして、最後は泣きそうになりながら手を合わせて帰って行った。
秋桜は、皐月が出ていくと、昼食を一緒に取ろうという多くの誘いをやんわりと断りながら教室を出て、階段を下り、中庭を抜けて旧校舎の端に来た。
人気は全くない。
秋桜は食事をすることができるが、もちろんする必要はなかった。いつもは信親と一緒に弁当を作ってもらうが、今日はもちろん、持ってきていない。早々に抜けだしたようだった。
秋桜から直接通話がかかってくる。秋桜にも、信親の部屋のパソコンにも無料通話のアプリケーションが入っている。
いつも、学校にいるときは携帯電話を使うように言っているのだが、秋桜の携帯電話は今、信親のベッドサイドで電池を切らしている。
「池田皐月が謝りに来た。」
「ああ、謝りに来たのか。来たのは、見てたよ。」
「なんか、のぶの周りは騒がしいんだな。」
「どういうこと。」
「いや、もっとさ、友達を近づけない感じかと思ってた。」
「あきと一緒にしないでよ。」
信親は、笑った。
一体、秋桜は自分のことをどう思っているというのだ。
「こんなに通信してて、電池残量大丈夫なの。」
「あと四十三パーセント。」
「ダメだよ!放課後の通信がメインなのに。」
「まぁ、充電器もあるし、大丈夫だよ。」
「とにかく、午後の授業は体育と芸術だし、もう通信切りなよ。帰ってこられなくなるよ。僕だって迎えに出られないんだから。」
信親は、言うだけ言って一方的に通信を切った。
はぁ。
出るのはため息だ。
明日は土曜日、もちろん明後日は日曜日で、休日だっていうのに。
この部屋から一歩も出られないんだろうか。
いや。
僕はこの城崎の檻から一生出られないのかもしれない。