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食事の後片付けをしに、信親の部屋を訪れたのは奈津子だった。食事を運んできたときは、屋敷のことを普段から手伝ってくれている別の女性だったが、彼女は信親の分と秋桜の分をきちんと持ってきてくれた。
「秋桜さんも食べたんですね。」
奈津子がカチャカチャと食器をまとめながら言う。
「もし、食べなくて片づけも同じ人が来たら、何か言われるかなと思ったんですよ。」
「そうかも知れないわ。」
屋敷の世話をしてくれている人まで、秋桜がパソコンだと知っているわけではない。城崎電機の一部の人間はもちろん知っているし、家族も知っているが、お手伝いさんたちは会社の人間ではないし、ましてや家族でもない。
「持ってくるのも、私がやれば良かった。明日から、そうしますから。」
奈津子はふきんでテーブルをささっと拭く。
「すみません。」
「お願いします。」
信親と秋桜が頭を下げた。
「そのために来たんだもの。いいんですよ。」
奈津子が、また、少女のように微笑む。
「兄さんとお義姉さんが早く帰ってくればいいね。」
「まぁ、そうですね。」
信親が曖昧に笑った。
「いつ帰ってくるって聞きました?」
「二、三日って聞いたんだけど、正確なことは分かりません。急なことだったんでしょう?ばたばたしてるんじゃないかしら。」
「きっと、そうですね。」
秋桜が頷いた。奈津子はすべての食器をワゴンに乗せると、押し始めた。信親は早足で駆け寄って、部屋の扉を開いた。
「あら、ごめんなさい。ありがとう。」
「いえ。」
奈津子はいったん廊下に出ると、体の向きを変えてお辞儀をした。
「それじゃあ、おやすみなさい。」
秋桜も信親の隣までやってきて頭を下げた。
「おやすみなさい、奈津子さん。」
「おやすみなさい。」
奈津子がワゴンを押して行ってしまったのを見届けてから、信親は扉を閉めた。信親が隣を見ると、もうそこに秋桜の姿はなく、彼はソファにどっかりと座っている。
「あ。」
突然何かを思い出したように、秋桜が声を上げた。
「え、なに、秋桜。」
「じいちゃんの部屋のパソコンから通信だ。繋いでいいか?」
信親は頷いた。秋桜はまぶたを閉じてがっくりと俯く。
『城崎信親から着信です。応答しますか。』
「はい。」
『通信開始。』
秋桜が顔を上げる。
「おーい、信親ー。」
秋桜の口がぱくぱく動くが、発せられる声は繁親の物だ。
「なぁに?」
「明日は、学校を休んで家に居なさい。」
ええ、と信親は自分でも大げさに思えるほど大きな声を出した。
「ダメだよ。僕にもやらないと……」
「いいから。言うことを聞きなさい。お前の身の危険に関わることだ。いいね。」
繁親が信親の言うことを聞いてくれるわけがない。わかっている。今までだってずっとそうだった。だけど、信親はもう、高校生なのだ。繁親にとってはいつまでも孫だろうし、いつまでも子供の様な気でいるのかもしれないが、もう十六なのだ。
「おじいちゃん!」
「じゃあな、お休み。」
通信は一方的に切られた。
『通信が終了しました。』
秋桜がまた俯いて、すぐに顔を上げた。
「聞いてた?」
信親の問いに、秋桜は気まずそうな顔をして頷く。そんな顔もできるようになったのか、と褒めてやりたいところだが、今はそれどころではない。
「泣くなよ。」
「泣いてないよ。」
「前は、泣いたじゃないか。」
「いつの話してるの。あのころは、だってまだ小学生だし。それに」
「のぶ。」
秋桜がソファから立ち上がって、奈津子を見送ってからずっとそこにいる信親の隣に戻ってきた。
「じいちゃんは、お前がいなくなることが怖いんだよ。のぶのことが大事だからこうなる。」
「知ってるよ。でも、なんでこうなったか、じゃあ、あきは聞いたの?」
秋桜は首を横に振る。
「理由を聞いたって、何も解決しない。」
「でも、僕だって都合があるんだ。」
にやり。
秋桜は信親の目の前で不敵な笑みを浮かべた。信親は、この雰囲気に乗せられてはいけないような気がして、秋桜が目の前に迫る中、あからさまに視線を逸らした。
「そこでだ、信親くん。」
秋桜が、ゆっくり、芝居がかった口調で、言い聞かせるようにそういうと、さっと右手を挙げて信親がかけていた眼鏡を取り去った。
「ちょっと、見えない、あき。」
かすんだ視界に驚いて、目をこする。次にまぶたを開けた時に、信親は秋桜の行動を理解した。
「どうよ。」
信親の眼鏡をかけて、普段ピンでとめている前髪を下した秋桜は、得意気に中指で眼鏡を抑えて見せた。
「僕だ……」
信親はがっくりと肩を落とした。
「そうだろ。俺らは同じ顔だから、いけるって。声は……まぁ、ちょっと違うけど、変えられるさ、このくらい。」
信親は、肩を落としたまま、上目づかいでじっとりと秋桜を見つめる。
「それでさ、あきが家に居てくれるんでしょ。」
「ばか。お前が家に居るんだろ。」
「それじゃあ、解決しないじゃん!」
信親は、むきになって声を荒げる。まぁまぁ、となだめながら、秋桜が諭すように優しく言った。
「文化祭関連のお前の仕事片づけるだけなら、俺だってできる。俺が家に居たって、じいちゃんとか奈津子さんにつかまったらすぐばれるよ。」
信親は言葉につまって、口を尖らせた。
「大丈夫、大丈夫。俺を誰だと思ってんの。」
右の頬を膨らませながら、信親がいつもより低い声でぼそっと聞く。
「誰なんだよ。」
秋桜は、信親が膨らませた頬を人差し指で潰して、得意そうに返事した。
「日本で一番、高性能なパソコンだよ。」