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アノニマスアイデンティティ

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 監視カメラサーバーへのアクセス状況を調べる、と確かに自分とは別のパソコンから接続されている。
 監視システムは当然パスワードが設定されている。母は決して見ることがなく、父と自分しか知らないものだと啓次は思い込んでいた。まさか、この瞬間に兄も同じ映像を見ているとは……。
 暗い通路の中にひそみ、ガラスの端から顔を覗かせ、あきらかに少女の様子を窺っている秀太郎。そわそわと動くたびに彼のさらりとした栗色の長髪が踊った。あらためて見ると、少女と同じ髪の色。
「いつから見てたんだあいつは」
 啓次がモニターに向かってうなっているあいだに少女はレジの方に行く。徐々に画面の端へ行ってしまい、ついに見えなくなってしまった。だが、秀太郎がいる通路からであれば見えるはず。案の定、秀太郎は少女の動きにあわせて位置を変え、少女の様子を追っている。好きな子にちょっかいを出すクラスメイト、その積極さに嫉妬した高校一年生の思い出が蘇る。
 壁にかけてある五本のジーンズ。すべて力強いシルエットのヴィンテージジーンズ。啓次はこれを穿くと勇気が湧いてくる。いまも忘れはしない、タック入りの時代遅れのジーンズを穿いてクラスメイトと街を歩いていた高校一年のとき、矢庭に襲われた気恥ずかしさ。翌日、彼はひとりで中古の衣料品店にヴィンテージジーンズを買いにいった。何年も穿きこみ、色落ちが完成して味わい深くなると次のジーンズを買う。それを繰り返した。この五本のジーンズが、アルバイト、予備校、大学、就職を経た現在までの自分の成長を裏打ちしているはず。啓次は最も新しいジーンズを取って穿き、必要ならばいつでも飛び出さんと肚を括ってことの行く末を見守った。
 いま少女は会計をしているところなのだろうか。店内にある唯一のカメラは、防犯のためにレジ付近を映すようになっているが、コンビニの経営者が取り付けたものなので、当然啓次には見ることはできない。レジで何を会計しているのか、見たくて仕方がなかった。
 秀太郎がスマートフォンを取り出し、なにやら操作し始める。外のカメラの映像は、少女が自動ドアから出てきたところ。追って秀太郎もガラス扉を引いて外に出る。啓次は舌も裂ける勢いで舌打ちした。
「チッ! あの野郎、まさか配信するつもりじゃねーだろうな」
 まさかと思いつつライブ配信サイトを開く。すると生放送中の文字の下にスマートフォンのカメラを通して兄の顔が映っていた。慌ててヘッドフォンをかぶると、父譲りの美声が聞こえてくる。
「それではこれから追跡しますね」

 ニヨニヨ動画。秀太郎がいつも生放送をしているライブ配信サイト。それは、彼がこのビルに半年前に引っ越してきてからすぐに始めたものだった。
 啓次がそれを知ったのは、ある日自宅近くで兄にばったり会ったとき、コミュニティに登録しろよと言われたから。兄はライブ配信者、いわゆるライブ主になったばかりで、ライブ主の人気のバロメーターであるコミュニティ登録者数を一人でも多くしたかったらしい。ついでに友達も誘えと当たり前に命令された。

 ビルの外に出た秀太郎は声量を抑えてひそひそと話し始めた。さすがに元映画俳優志望、元ヴィジュアル系バンドメンバー、元劇団員だっただけのことはある。はっきりとした発音でよく聞き取れる。
「いやあ、こんな瞬間に出会えるとは思っていませんでした。いままさに万引きの瞬間をとらえ、わたくし原口秀太郎は彼女の迹を追って、その先に待ち受ける現実を見届けようとしているのです」
 安っぽいリポーターのようなコメント。
 兄のようにやたらと派手なことばかりする人間が街を汚くする。"自己顕示欲の塊"というレッテルを貼り付けられてもなお、街を闊歩するのだ。まさに虫唾が走る。啓次は吐き気をこらえながら思った。
 中学生の頃、兄に映画のオーディション応募用の写真を撮れと命令され、もっと格好良く撮れと小突かれたり、特に出来が悪いときは締め技をかけられたという忘れ去りたい記憶。あのときは、絞められる直前に食べた夕食を全部吐き出してしまった。
 兄はドキュメント番組の演出のつもりなのか、動かし続ける足元と、上半身の背景に風景が流れる様子を交互に映すことで、追跡のリアル感を出そうとしている。慌てて出てきたらしく、寒そうな部屋着のハーフパンツとサンダルの足元を見て、啓次は薄く笑いを洩らした。しかしそれも黒地に白の文字で大きく跳梁跋扈――しかも勘亭流――と書かれた劇団員Tシャツを見るまでだったが。
 次第に住宅街の方へと北上する秀太郎。兄の顔のアップが映ると、半ば興奮したような、面白いおもちゃを見つけたような少年のようないきいきとした顔。
「おい、お前ら、この状況どうすればいいと思う?」
 兄が話すと、画面には右から左に流れる大量のコメント。
 コメントは好感的なものでなく罵倒であっても、すべて彼の人気の表れ。いやむしろ罵倒のコメントのほうが愛されているといってよい。
 放送開始後、コミュニティ登録者数は劇団員時代とその前のヴィジュアル系バンド時代からのファンがいたため、すぐに二千人集まり、四ヶ月経つと一万人を越え、以降うなぎのぼりにいまや二万人に届こうかという規模であった。それは予想を遥かに超えるものだった。
 コミュニティ数ランキングを見ると、登録者数五万人以上なんていうのも何人かいたりする。例えばOLがゲームをするだけであったり、中年男がひたすら呑んで歌って踊るだけといった、どこが面白いのか解析困難なライブ主も多い。それに比べれば、兄の人数も驚愕に値しないとも思えたが、人気を得ようとしてもせいぜい数人か数十人しか集められないライブ主が何十何百といることを考えれば、それなりに実力は認めざるを得ない。
 この数字が折伏してかかる。
「なあなあ、どうだよこの状況」
 高揚してうわずる兄の声。啓次には初めて見る兄の姿だ。
 蜘蛛の巣状のネットワーク。中心にいる兄に向かってコメントが殺到する。ネットワークの密な状態のなかで変容していく兄……。
 啓次は連想する。イナゴの集団化? たしか集団化したその密接なコミュニケーションによって体に変化があらわれる、ということがあったはず。
 キーボードを叩いて検索すると、容易くそれらしい文章が見つかった。
『バッタが集団となって農地や草木を食い荒らすとき、個々に存在している状態、つまり孤独相とは異なる群生相という状態に変異する。これを相変異という。集団化によって他個体とのコミュニケーション頻度が高くなると、群生相に誘導されると考えられている。群生相時は、たとえば、翅が伸びる、体色が黒化する、といった特徴を帯びる。トノサマバッタなどの一部のバッタ類が相変異を起こす。飛蝗ともいう。日本でイナゴと呼ばれる種類では相変異は起きない』
「イナゴじゃなく飛蝗か。あいつは飛蝗だ」
 啓次はモニターに向かって呟いた。

 秀太郎は駅とは反対側の住宅街への道をひたすら進む。どのあたりを歩いているか啓次には把握できた。
 地元の人も見ているだろうに、という心配をよそに、兄が視聴者のコメントに答える。