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和尚さんの法話 「因果応報」

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お弟子にしてもらおうと思うて祇園精舎の方へ行くのですが、その身なりは土に埋められて着物も破れてぼろぼろなんですね。

ほとんど着物を着たというような姿をしていなかったのです。
そういう姿でお釈迦様を訪ねていくわけです。
そうすると、たまたま向こうからお釈迦様がお弟子さんを連れてやってくるのです。
もう着る物もぼろぼろになって身体が出てるし、恥ずかしいので手で乳を隠して、地べたへうずくもってしまうんですね。
で、お釈迦様が阿難に、「あの女性にお前の衣を着せてあげなさい」 と言うんです。
衣を着せてもらって、お釈迦様の足元に伏して、そして自分の罪を懺悔するのです。
「私はこの世に何の望みもございません。 どうぞ私を導いて頂きたい。仏門に入りたいので入れていただきたいと思います」
お釈迦様は、阿難に教団の尼の長老のところへ連れて行って、そして受戒をさせなさいと言いました。
そこでお釈迦様のお弟子になって、教えを聞いて修行をしたわけです。

こういう境遇に生まれたということは、よほどの罪があってそうなったけれども、それはそれとして、そんな人でも前世で何か徳を積んでたんでしょうね、修行をして女性で阿羅漢になったんですからね。
と、いうことで、私はこういう過程を辿って、お釈迦様のお弟子にしてもらいましたと、訪ねていった女性たちに話したのです。
この話を聞いていた人たちは、「どうして貴女のような尊い、阿羅漢になるほどの徳の高いお方がそういう不幸な目にあうのですか」
「これは前世の報いでこうなったのです。」 と、いうことで過去の話になるわけです。
自分はずーっと、昔の前世の話をするわけです。
長者があって、財宝は無数だというので、ですから大変な長者ですね。
ところが、夫婦の間には子供が無かったんです。
それで主人が愛人を作ったのです。 そしてその愛人の間に子供が出来たのです。
昔は日本でもそうですが、二号さんをおいてるんですね。その二号さんに子供が出来たんです。

そうすると、主人はどうしても子供が出来ると気持ちがそっちへいくわけですね。
それで気持ちは愛人のほうへいくわけですから、それが妬ましい。
主人と、愛人は生まれた子供といつも一緒に居て和気藹々としているんですね。
昔のインドだったらそれが当たり前だったのでしょうけれども、それを見ているとだんだんと妬ましくなってきたのです。
だからこのままだと財産は全部子供のものになるわけですから全部、愛人のものになってしまいますね。
歳からいうても、自分は先に死ぬし、自分が死んだらこの家屋敷、財宝などの全財産をこの子供が相続するだろうと。そういう気持ちも起こってくるわけです。
その財産を作ってきたのは自分ではないか。 主人と一緒に自分も一所懸命に働いて作ってきた財産なわけです。
その苦労が一体何になるのだ。
それで嫉妬の気持ちがわいてきて子供を殺してしまおうという気持ちになるのです。
今のうちに殺しておこうという殺意を抱いたのです。
そこで、生まれた子供の頭へ針を埋め込んで、外から見てもわからないようにして殺してしまうんです。
子供は泣いて、泣いて、だんだんと衰弱してきて死んでしまうんですね。
其の時に愛人が、これは本妻さんが殺したに違いないと、母親の感でそう思って、あんたが殺したんでしょと、言うわけです。
貴女はなんと、情の無い人間だと、それでも貴女は人間ですか。 私の子供を殺したんでしょうと言って、罵るのです。

もし、貴女の子供を私が殺したというのが、それが本当なら未来の、生まれても生まれても未来に夫になる人は皆毒蛇に殺されてしまうでしょう。
そして子供が生まれたなら、その子供は皆、狼に食われてしまうでしょう。
そして水に溺れて死ぬ子供もいるでしょう。

そういうすぐに死ぬような不運な子供が生まれてくるでしょう。
また自分の生んだ子供を食らうこともあるでしょう。
父母は火事で死ぬでしょう。
自分は生き埋めになることもあるでしょう。
私がそんなことをしているならば、私は来世はこんな目にあいますよ。
なにをそんなことを怖いのにするものですかと、うそを言うんですね。
よく言いますよね、盗人猛々しいといいますが、自分がしておきながら罪を隠すために、自分がやったのならちゃんと罰を受けるんだからと言うわけですね。
そんな罰は怖いのに、なんで私がそんなことをするものですかと、いうわけですね。
ところが現にしてあるのに。
なにを私がそんなことをするものですか。こう言うたんです。
その言うたことが全部報いとなって返ってきたのです。
その本妻というのが、今の私なんです。 前世で私はそういう不徳を積んできているわけです。
これが私の過去なんです。 こういう話なんですね。
自分に代わって誰かが罪を受けるということは無い。
自分が口で言い、自分が行った罪は自分が報いを受けるのであって、子孫や他の人が代わりに受けることは無い。全て自分が受けるのです。
これが私が前世で行った罪なんです、自分が行った罪を自分が今、この現世で受けているのです。
これを聞いた新米の尼さんが改めて発心して修業をしなおしたという話しです。

そしてもう一人、美人の尼さんがお釈迦様の弟子のなかに、微妙比丘尼という人が居って、この人も綺麗な尼さんでした。
微妙比丘尼品という一説がお経のなかにあるんですが、この品というのは、一章、二章というのと同じ意味ですね。
その微妙比丘尼と言う人は、お父さんが亡くなって、お母さんと二人で生活してるんですね。
そして、お婿さんをもらうわけです。
ところが、自分の母親が夫と通じてるということがわかったんです。
嫉妬も下かもわかりませんが、そうたいそうなことにもならんと、そのうち女の子が生まれまして、その女の子をおいて、書置きして、私は身を引きますから、あなた方は幸せに暮してください。そしてこの子はあなた方で育ててくださいと。書き置きして他国へ出てしまうんです。

そして他国へ出て、第二の結婚生活をするわけです。
その主人というのは行商人で、時々他国へ行って行商をして帰ってくるんです。
そして或るときに主人が行商に行って留守のときに主人の友達が訪ねてきて、そして主人の友達ということで、お酒を出してもてなしたわけです。
そして主人の友達がいい気持ちになって、奥さん、貴女は幸せと思うてるかわかりませんけど、貴方の主人は、他に好きな女の人を託てるんですよ。
奥さんには言うなと口止めされてたけど、お酒を飲んでいい気持ちになって言うてしまったんですね。
あの人はそんなことをしていたんですか。
それでもすぐには嫉妬をしないで、主人が帰ってきたときに、貴方はこんなことをしていたんですかと、主人の友達から聞いたことを言ったんですね。
そんな遠いところへ置いてあげるのが可哀相だから、その愛人さんをここへ連れてきてあげなさいと言うんです。
歳が近いなら自分の姉妹だと思うて接しますし、歳が若い人なら自分の娘だと思うて面倒をみてあげますから連れてきてあげなさいと。
そうかすまんなと言うことで連れてくるんです。
それで三人の生活を送るんですけれども、歳は自分の娘ほどの歳だったんですね。