和尚さんの法話 「因果応報」
そして主人はまた行商に出る。
或るときにその愛人さんの髪をすいてあげながら、貴女もこんな境遇になったのは、過去に言うに言われぬ理由があると思いますが、私は貴女の母だと思うて何でも打ち明けなさい。私はあなたの味方ですから。
と、本当に心からそう思ったんですね。
そしてそれにほだされて、実はというて、自分の生い立ちを語るわけです。
話しを聞いてると、自分が産んで置いてきた娘だったんです。
それで、むらむらっと怒りの気持ちが湧いてきて、なんで男というのは一人の女性を愛することができないのかと。
まえには、自分の母親に夫を奪われて、今度は娘に夫を奪われた。
このとき初めて、怒りの気持ちが起こって、闇の世界へ入ってしまうんです。
そして盛んに男を呪って、新婚の家庭を破壊するわけです。
新郎さんを誘惑して家庭を破壊するんです。
その頃に、お釈迦様が悟りを開いて仏教団が大きくなってきてたんです。
そして他の宗教から仏教団が大きくなってきたというので、妬まれるんですね、信者をとられるということでね。
それであの手この手で、嫌がらせをしてくるわけです。目連もそれで殺されてしまうんです。
他の宗教団が、蓮華色女を利用しようということで、蓮華色女は男を呪ってるから仏教教団をつぶしてしまおうということです。
そして仏教教団の弟子たちを誘惑して、仏教教団というのは、こんな淫らな教団だということを世間に知らせたら、また我々の時代が帰ってくる。
と、こういう相談をして蓮華色女に相談して、弟子たちを誘惑して仏教教団を破壊して欲しいと頼むんです。
それで蓮華色女は、承知しましたと。
蓮華色女が森の中に居たら、ちょうどそこに目連が通りかかったんです。
それで蓮華色女は、目連に甘いことを言うて身体をくねくねして誘惑をするわけです。
ところが目連は阿羅漢ですから、そんな誘惑には乗らない。
おまえはそういうふうに甘いことを言うて身をくねらせて誘惑しようとしているが、その姿は私から見たらくねくねとうねってる蛇のような姿じゃと。
その言葉を聞いた蓮華色女は、昔の記憶がよみがえってきて、はっとするんですね。
私はなんということをしているのだろうと。
そしてすぐに前身にかえりましてね、もうこの世には何も望むことは無いから、この人についていきましょうと、どうぞ私をお弟子にして下さい。仏門に入りたいと願うんです。
そして一緒にお釈迦様のところへ連れていって、尼さんになるわけです。
そしてお釈迦様のまえで、自分の懺悔でもなく、愚痴でもなく、過去の話をするわけです。
すると、お釈迦様は、過去におまえとよく似た女性が居るぞ。
やはり、おまえと同じように父親が早く死んだ。
そのときその母親が、娘を連れて再婚をした。
その娘が成長して、自分の義理の父親と恋仲になった。
さておまえ、この話しを人事と聞くではないぞ。
そのときについてった娘というのは、おまえだぞ。
おまえは、母に夫を奪われたと、娘に夫を奪われたと思ってるが、前世で母親の夫を奪ってるんだぞ。
だから自分の行いが自分のところに巡ってきてるんだぞ。
と、話しはこうなってるんです。
これで蓮華色女は本気になって信仰をした動機になってるわけです。
そういうふうに三世の因果といって、前世の因縁がこの世へ来て、この世の行いが来世へ行く。
「過去の因を知らんと欲せば現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」と、こういうお経があります。
自分が前世で、過去というのは前世ですね。前世でどういう原因を積んでいる、どういう業を積んでいるか知りたいと思うならば、その結果は現在に現れている。
だから自分は現在幸せか、不幸かと判断をすれば、過去の自分の原因がわかるということですね。
未来の果。今度自分が生まれてきたときに幸せになるか、不幸になるか、未来の結果を知りたいと思うなら、現在の因を見れば判るということです。
日頃どういう行いをしてるか、善い行いをしているか、悪い行いをしているかを見れば、これによって来世の自分のことがわかるというお経もあるわけです。
そういうことで仏教は、必ず自分の行ったことが自分に結果が出る。それが何時来るのか判らない。
何時来るのかわからないけれども、必ず来るのです。
先祖の因縁じゃないのです。自分の行いが自分に来るのです。
ですからテレビを見ていると、何で私がこんな目にあうのか、何を私が悪いことをしてるんだ、私は何もしていないのにと、女の人が泣いてテレビに出て言いますが、それはこういうことを分からんからですね。
過去にそういう原因を作ってあるから、今その報いが来ているということです。
ですから善いにつけ悪しきにつけ、その原因は必ず自分が行った結果が出てるんだということです。
自分の責任なんです。
他人の責任じゃないのです。
自業自得ですね。
これが仏教の原則ですね。
ですから先祖の因縁というのは仏教の教えじゃないということです。
だからあんな良い人が、なんであんな不幸な目にあうんだ。あんな悪い人が、なんでうまいこと行くんだというのは前世の行いの報いが出ているということです。
兎に角、全部自分の責任だということです。
自業自得ですね。
先祖の因縁でもないし、他人の責任でもない、全て自分の行いの結果だということです。
どうぞご参考にしていただけたら幸いでございます。
了
作品名:和尚さんの法話 「因果応報」 作家名:みわ