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和尚さんの法話 「因果応報」

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この人の百万円を出すのがどれほど辛いか、この人が一万円を出すのがどれほど辛いかと、見ると一万円を出す人のほうがはるかに辛い。
百万円を出す人はたとえ一千万円を出してもそう辛くは無いのだから、百万円では辛くないということですね。

ところが、一万円を出すのが辛い人はお金が無いのだから辛い。とこういうことですね。
そういうことですから、それだけ辛いことをして功徳を積んだんだから、貧者の一灯の方が長者の万灯よりも功徳は大きいということなんです。

それでその小さいお灯明を供えて、お釈迦様が祇園精舎へお帰りになって、お弟子たちは交代でその灯明が消えるまで寝ずの番をするわけです。
ところが不思議なことに、その大きな火は先に消えるのに小さい灯明はなかなか消えないのです。
それで弟子が不思議に思うて、お釈迦様に、「実は不思議な話がございます」と。
「たくさんの火が道端に供えられていますが、大きい灯明は消えるのに、小さい灯明が一つあるんですが、その灯明がまだあるのです。
その灯明がなかなか消えません」


するとお釈迦様は、「それはこの国にナンダという者が居るのだが、そのナンダは非常に貧乏な境遇の者で、その者が私に灯明を捧げようというので、一所懸命に働いて、それでも料金が足りないというので自分の髪まで切って売った」
と、ちゃんとお釈迦様は神通力でそういうことが判っているのですね。
そういう功徳を積んで供えた灯明だから、なかなかこれは消えないんだと、いうことです。
そんな心がけのいい人が、どうしてそんな貧乏をするのですかと弟子が聞くのです。
こういう話はよくありますね。あんないい人が、なんで苦労ばかりするのだろうと。

仏教ではお釈迦様だけがこの世へ出てきたんじゃないのです。
仏様が次から次からこの世へ出てきて仏教を広めて、そして仏教が廃ったらまた次の仏様が出てきて仏教を広める。
永遠の過去から永遠の未来へ無数の仏様がこの世へ出てきては、あの世へ行き、この世へ出てきてはあの世へ行きと、仏教というのは、そういう宗教なんです。
ですから、お釈迦様お一人が仏教と違うんです。
過去に無数の仏様が、次から次から仏様がこの世へ出てくる。
そして次にこの世へ出てくる仏様はもう決まっているのです。次は弥勒というお方です。
今は菩薩ですが、お釈迦様のようにこの世へ生まれてきて、そして最後の修行をして如来となって、そして弥勒の仏教が新たにこの世に広めて残っていくと、こういうふうになっているわけです。
これはお釈迦様によって予言されているのです。


ということで、このナンダの前世のお話をしますと。

過去に仏様方がこの世へお出ましになって、仏様方は皆、徳が高くて、お供養をさせてもらったら皆功徳になるというので、朝になって門を開けると、お供養を受けてもらおうとする、お布施をする人がいっぱい並んでるんです。
そして長い行列を並んでいるわけですが、多すぎるので、今日のお供養はここまでとして、後のお方はまた明日来て下さいと言って、時によっては弟子が断るのですね。
ある日のことに、ナンダも並んでたのですね。
そのときのナンダは、長者の妻とお経に書いてありますので、お金持ちの奥さんだったんですね。
その行列に並んでいたナンダの前の人までで、今日のお供養はここまでと言ってきられてしまったのです。
そのときのナンダはひじょうに裕福な家の奥様でしたが、その前に並んでいた人は、乞食のような姿をした人だったそうです。
ナンダは自分の前できられてしまったので、その乞食のような姿の人に 
「お前のような者が私の前に居るから、私は今日はお供養を受けてもらうことが出来なかったではないか」と、言ってののしったそうです。
其の時にののしった長者の妻というのが、今のナンダであると、いうのです。
前世で、仏様に供養をしようと思うて並んでたのに、乞食のような者が自分の前に並んでたから、お供養が出来なかったというので、悪口をいうてののしった。
その口の業がこの世で出て、貧乏で生まれてきたということです。
余計なことを言わずに、黙って明日来ればいいのに、この貧乏人がと、仏様に供養をしようとする人にののしった。
その報いで貧乏に生まれたのです。

だから怖いですよね。
口で言っただけで、それだけの報いを受けるのですから。

ですからお釈迦様は、前世で貧乏の者をののしったから、そのためにその報いを受けているのだと。
しかし仏様にお供養をしようという気持ちを持って並んでいたのだし、その翌日にもお供養をしに行ったの違いないだろう、
そういう功徳によって、今生私の弟子に成るんだと、お釈迦様が言った。
そしてナンダはお釈迦様の弟子になって、尼さんになるのです。
そういうお経もあるのです。

それからお釈迦様の教団に男女両方あった。
そしてその女性の方の中に、蓮華色比丘尼という綺麗な尼さんが居たそうです。
蓮の華のような清らかな女性という意味ですね。
日本で言えば、昔から美人を例える言葉がありますけれども、小野小町という人は綺麗だったそうですね。
その以後、綺麗な人を小町娘というような名前がありますね、美人の女性を小町娘と。

そういうことで蓮華色女と、そういうふうに人から言われる尼さんが一人居ました。
ところがその人も非情に苦労をするのですね。

その時代に、舎衛国に悪逆無慚な国王の太子があって、像に酒を飲ませて酔わせて、街中へ走らせて人を蹴散らせたり、踏み潰したり、鼻で飛ばしたりというのを見て喜んでいたそうです。
それで世の中が嫌になって、仏門に入りましょうと言って、教団に入ってきた人が男女ともに大勢いたそうです。
その中に裕福な家庭の奥さん連中も何人かそのなかへ入ってきてるのですね。
ところが修行というのはそう簡単にいきませんので、時々里が恋しくなって帰ろうかと、思うような気持ちになるのです。
然し、もっといろんな人の話も聞こうじゃないかと、いうことで五人ほどの人が集まって、先輩の尼僧さんに聞きに行くのです。
先輩の尼さんに、チュウラナンダ比丘尼という人が居って、その人に聞きに行きました。
「私は悩みが残っていて、なかなか心が纏まりませんので、どうぞお教え戴きたい。」
「あなた方はどうしてこんなところへ来たのですか。私こそ貧乏で貧乏で外に居たら苦労をするから、ここに居たら食べることにも困らないというので教団に入っているけど、あなた方は立派な家庭の奥様じゃないですか、何を好んでこんな教団へ入ってきたんですか、なにもこのようなところへ来ることもないでしょう。 早くお帰りになったらどうですか」と、そう言うのですね。
教団の中にもこういう尼さんも居ったわけです。
これはまあ、なんということだろうこんな人に聞いててもあかん、他の人にも聞いてみましょうということで、聞きに行くわけです。
それで蓮華色比丘尼のところへ聞きに行くわけです。

蓮華色比丘尼という方は女性ですが、阿羅漢になっている人です。
そこへ行って、「私は仏門に入らせて頂いているのですが、心が悩んでいた仕方ございません。どうぞお察し下さい」と言って、頼みます。