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和尚さんの法話 「因果応報」

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「我時に形露(あらわ)れ自ら掩(おお)う物無し。 即ち地に伏し、手を以て乳を覆う。 仏阿難につげ給う。 「汝、衣を持ちて彼の女人を覆え」 と。」
墓から出てきたままの姿ですので、もうぼろぼろの着物も破れて、肌も見えてるような姿で、肌を隠す物も無い。
女性ですから、お乳だけを手で隠して地面に伏したんですね。
お釈迦様が阿難に、衣をかけてあげなさいというので、阿難が着物を着せるわけです。

「我時に衣を得て即ち世尊の足下に伏し奉り具に罪厄を陳べ、 「願わくは愍(あわれ)みを垂れ給い、我に道を行ずる事を許し給え」 と。
微妙答えて曰く、 「汝等聞け、乃往過去に一人の長者有り、財宝無数にして子息有る無し。 更に小婦を取る。 夫甚だ愛念す。 小婦便ち娠(はら)む有り。 月満ちて男児を生む。 夫妻愛念す。
大婦自ら思えらく、 「今、此の児長大せば門戸を頌すべし。 田在諸物、悉(ことごと)く摂持すべし。 妬心即ち生じ速やかに殺すに如かずと」 乃ち鉄針を以て児の頭に刺し歿して表れざらしむ。 児次第に瘠痩(りょしょう)し句日の間に便ち命終る。」
これは微妙比丘尼の前世の話しですね。
或る大きな家があって、自分は其の家の奥さんだったと、ところが子供が出来なかった。
そこで主人が、もう一人の女性を愛したわけです。
そのおめかけさんには子供が出来たんですね。
それでその夫婦と子供が仲良くするわけですね。
この子供が大きくなると、家も財産も全部この子のものになってしまうだろう、という嫉妬の心が起こってきて、此の子を殺してしまわないといかんと思ったわけです。
それで、子供の頭の中へ針を埋め込んで、殺してしまうんです。
子供はだんだんと痩せてきて、病気を起こして、幾日かたって死んでしまう。

「小婦、疑うらく 「大婦我が児を妬み殺せり」 と。」
おめかけさんが本妻さんを疑ったんですね。
あなたは私の子供を殺したんでしょう。

「大婦曰く、 「我、若し汝の子を殺さば、我が世々の夫をし毒蛇の為に殺す所となり、児有らば水に漂い狼に食われ、身は生き埋めとなり、父母失火して死せん、何ぞ我を謗(そし)るや」 と。」
若しも、私があなたの子供を殺したんなら、何度産まれてきても私の主人は蛇に殺されるでしょう。
子供が有るならば、水に流され、狼に食われるでしょう。
私は生き埋めになるでしょう。
父母は火事のために死んでしまうでしょう。
何で私を謗んですか、私が何であなたの子供を殺すんですか。

「爾の時に当り罪報悉く是を受く。」
其の時に言うたことが全て巡ってきて、報いになった。

「相い代わる者無し。 其の時の大婦とは即ち我が身是れなり」 と。」
其の時の本妻さんとは、私のことなんです、私の前世なんです。

「諸比丘尼等亦問う。 「復た何の報有りてか如来を見奉りしや」 と、微妙答えて曰く、 「昔波羅国に一つの大山有り、其の中恒に辟支仏(ひゃくしぶつ)、声聞、神仙等有りて道を述ぶ。」
あなたはどんな縁があって、お釈迦様にお会い出来ることになったんですか。
辟支仏というのは、仏様まではいかないけど、阿羅漢よりは上なんですね。
仏様と阿羅漢の間に梓支仏という位の悟った人があるんですね。
声聞というのは、仏様とお弟子ですね。
神仙というのは、仙人とか、神さんということですね。
そう言う方々が山に住んでたというんです。

「時に縁覚城に入りて乞食す。」
その中に、縁覚、菩薩、仏というと、仏教から言うとひとつの位をいうわけで、悟った人たちをいうわけなんですが、その中の縁覚が町へ出て托鉢に出てたんですね。

「長者の婦有り、喜びて即ち供養す。」
長者の妻があって、その縁覚さんに供養をさせてもらった。

「縁覚食し終わり飛びて空に上がりて去る。」
神通力を持ってますから、飛んでいったんですね。

「婦時に之を見て即ち誓いを為して曰く 『我をして後世道を得ること是の如くならしめよ』 と。」
自分も将来は、此の人のように修行をして、後の時代に空でも飛べるようになりたいものだ、と心に思ったんですね。

「其の時の婦とは即ち我が身これなり。 是れに依りて今如来を見ることを得て心意開解し、羅漢道を得たり」 と。」
この微妙比丘にと言う人は女性ですが、阿羅漢になってるんですね。

「今は我が羅漢を得と雖も恒に熱鉄頂上より入り、足下に於て出づ。 晝夜(ちゅうや)に之を患う、殃福是の如し、杤敗有る事無し。」
― 賢具経 ―

昔、子供の頭に鉄の針を埋め込んだその報いがまだ残ってて、今は阿羅漢になっているけど、其の時の報いを受けて、頭のてっぺんから足の裏へ鉄の針が抜ける、という痛みを感じてるというのです。
この話しはまだ続くんですが、その一分部を抜き出したものなんです。
そういうことで、自分の行った業は自分に来るというのが仏教の教えです。
ですから、天皇陛下、皇后陛下は前世でよほどいいことをした人だということですね。
世のため、人のために身を犠牲にして尽くした人ではないでしょうか。
そして、ホームレスというのは、人のことはどうでもいい自分さえ良ければいいという勝手な生き方をした人がホームレスのような人になるのであって、社会が悪いのでもないし、政治が悪いのでもない。自分が悪いんですね。
そしてテレビを見てるとよくありますが、殺されるし、事故にも遭うというのは、それ相応の原因があるわけです。
自分が前世において、人を殺したとか、或いは人に傷をつけたとか、兎に角、何か悪いことをしてるわけです。
そういう人は必ず自分に結果が来るんですね、これはもう遁れなれないんですね。
だからテレビを見てると、親が何で子供が何の悪いことをしたのか、こんな子が殺されてと言って嘆きますね。
それは前世でそういうことをしてあるんですね。
なにか自分が、そういう目にあわんならんことをしてあるわけです。
だから自業自得といって、自分の行ったことは必ず自分が受けるということを信じて頂きたいわけです。

和尚さんの体験談ですが、和尚さんが、或るときに電車に乗ってたときに、或る駅に列車が止まって、そうしたところが一人の小さい子供がわーっと、人を掻き分けて入ってきて、和尚さんの前の席が空いてて、そこへどーんと座ったそうです。
和尚さんは、その子供を見て、なんと子供に似合わん子供だなあと思ってよく見ると、大人だったんです。小さい大人。
そして、その人を見ていると、その人の横に柿の木が、ぱっと現れて、その柿の木で首を吊ってる人が見えるんです。
あ、此の人が前世で、誰かを自殺に追い込んだんじゃないかなと思ったんだそうです。
自分が手をかけて殺さなくても、助けを求めてきたのに助けてあげなかったために、その人が自殺をするということがありますね。
或いは、誰かに損をかけて、その損が原因で自殺すると、いうようなことがあるでしょうね。
そういうことを前世でした人だなと思ったそうです。
兎に角、殺さないことですね、傷つけないこと。
人に親切にしてあげるということが大事ですね。