和尚さんの法話 「阿弥陀経」 2
「舎利仏西方世界に無量壽佛無量相佛無量憧佛大光佛大明佛寶相佛 浄光佛かくのごとき等の恒河沙数の諸仏まします おのおのその国を覆いて誠實の言を説きたまう 汝ら衆生まさに是の称賛不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし」
「舎利仏北方世界には焔肩佛最勝音佛難そ佛日生佛網明佛かくのごとき等の恒河沙数の諸仏まします おのおのその国を覆いて誠實の言を説きたまう 汝ら衆生まさに是の称賛不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし」
「舎利仏下方世界には師子佛名聞佛名光佛達摩佛法憧佛持法佛かくのごとき等の恒河沙数の諸仏まします おのおのその国を覆いて誠實の言を説きたまう 汝ら衆生まさに是の称賛不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし」
「舎利仏上方世界に梵音佛宿王佛香上佛香光佛大焔肩佛雑色寶華厳身佛 沙羅樹王佛寶華徳佛見一切義佛如須彌山佛 かくのごとき等の恒河沙数の諸仏まします おのおのその国を覆いて誠實の言を説きたまう 汝ら衆生まさに是の称賛不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべし」
「舎利仏汝が意(こころ)においていかに」
おまえはこれを聞いてどう思うかと聞いているんですね
「何が故に名つけて一切諸仏所護念経とする」
どうして一切諸仏が守ってくれるかと聞いているんですね
「舎利仏もし善男子善女人ありて是の諸仏諸説の名および経の名を聞かん者は是の諸々の善男子善女人みな一切諸仏に共に護念せられて みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得ん」
これは阿弥陀経のお経の名前ですね。
例えば我々が仮に地獄へ行って仏教のことは何かは知ってるかと聞かれて、何でもいいから知ってるとこを言ってみよと言われたとして、お経の名前を知ってるか?
と、聞かれると、阿弥陀経を知ってる、般若心経を知ってると、お経の名を言うただけで罪は許されるというように地獄の様子を説いたお経に出てくるんです。
阿耨多羅三藐三菩提とは成仏ということです
阿弥陀様とかお釈迦様とかは皆仏様ですから阿耨多羅三藐三菩提を得てるというのです。
この上なき悟りということで仏様のお悟りです。
阿羅漢の悟りがあり、菩薩の悟りがあり 如来の悟りがあるわけです。
如来はもうこの上がなくて修行が終わった状態なんです
自分も阿弥陀様のように、お釈迦様のように修行をして如来になりましょう、ということが阿耨多羅三藐三菩提です。
死んだ人によく成仏するようにと世間ではいますが、それは良いところに行ってくれるようにという意味ですが、成仏というのは仏になるということですので、死ねば仏になるというのじゃなくて、死んだ人に敬意を表して言ってる言葉ですね。
本当の成仏というのは如来様のことを言うわけです。
仏教は仏様が仏教を説いたわけですが、自分が仏になって みなは真面目に成って行けよというわけじゃなくて、みんな仏に成れると、いうことなんです。
自分も仏になったように 皆が仏に成れると説いてるんです。
それは仏性を持ってるからみんな成れるんだと説いてるんです。
仏教では人間だけが仏に成れると言うのでもなくて犬でも猫でも虫でも霊魂を持ってるものは、みんな仏に成れると説いてるんです。
今は業が深くて犬や猫や虫になってるけど、やがて縁あって、良くなったらまずは人間になって、仏法を聞いて、そうして向上して行くのです。
人間になっても なかなか向上は出来ないんですけど、まずは人間に成らないと仏教の教えを理解することが出来ないから。
今我々は幸いにして人間になってるんですけど、ただ人間になって終わるんじゃなくて未来は必ず成仏(仏と成る)するということですね。
仏教では自分が仏になっただけじゃなくて、みんなが仏に成るというのが仏教なんです。皆を仏にしようと、仏様方は誓願をたてて教えを説いてるんですね。
ですから自分も阿弥陀様やお釈迦様のような如来(仏)になるという気持ちを失わないということですね。
「是のゆえに舎利仏なんじら皆まさに我が語および諸仏の所説を信受すべし」極楽へ往生したいと願いなさいということですね。
「舎利仏もし人ありてすでに発願しいま発願しまさに発願して阿弥陀仏国に生ぜんと欲せん者は是の諸人等みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て彼の国土において若しはすでに生じ若しはいま生じ若しはまさに生ぜん」如来になりたいと思う気持ちを失わないということ
「是の故に舎利仏諸々の善男子善女人もし信ずることあらん者はまさに発願して彼の国土に生ずべし」
発願するというのがありますが
ひとつの誓願をかけるということ。誓いの願ですね。
仏教に関することで、私はこういうことを致しましょうという願を持つことです。
このお経には説いてませんけど阿弥陀様には四十八願がありますね。
三部経のなかの大無量寿経のなかに四十八の願というのがあります。
阿弥陀様も始めから如来様じゃありませんから過去にいろいろあったわけですね。
お経の始まりに阿弥陀様は国王としてこの世へ生まれた。
お釈迦様と同じように国王として産まれたんですね。
産まれても、産まれても仏教の修行をしてきてるんですよ、してきてるんですが、このお経の始まりには国王として産まれてきたとあります。そして一人の如来様(せいじ大王如来様)がこの世に お釈迦様のようにお出ましになってたんです。
そしてその仏様のお説教を国王が聞かれてそして、もうこんなことを してられんと!国王としてお生まれになってたんですが、仏の道に入らないといかんと思って国王の位を捨ててそしてお坊さんになって、法蔵菩薩という菩薩の位になったんですね、過去に修行を積んでるから、そして、その間更に五劫という間修行をなさったんです。
産まれたり死んだりしてね。五劫とう時間を修行なさって如来になるんですね!そのせいじ大王如来様のお説教を聞いて、私も如来になります、せいじ大王如来様のように如来になりますと。私は如来になったら、こういうことをしましょうと願をたてるんです。
そして極楽浄土という浄土を作りますと。
救われたいと願う者があったら救いますという誓願、四十八の願をたてるわけです。
阿弥陀様が国王となって、この世にお生まれになって、せいじ大王如来様のお説法を聞いてお坊さんになって、そのときに発願して四十八願というのをたてるんです。
こうこう こういう者は救うと、いうふうにね。
其の中に南無阿弥陀仏と唱える者があって、極楽へ往生したいと願う者があって、南無阿弥陀仏と唱える者があったら、わしは救うという誓いがひとつ入ってるんです。
それを本願というんです。
阿弥陀様は願をいろいろたててるけど本当は衆生を救うために説いてるんですね。
阿弥陀様の本願は衆生をね、救うと説いてるんです。
凡夫は修行をしても、なかなかおぼつかないんですね.。
法然上人もそうでしょう。
比叡山で一所懸命修行をしてたけど、これはなかなか我々凡夫にはとてもじゃないがこんな難行苦行をしなけりゃ救われないのかと!
そしてお念仏で救われるということに気が付いて、そして比叡山を降りて念仏一途に入られたんですね。
我々は念仏を唱えさえすれば往生できるんです。
阿弥陀様が救うと、おっしゃってるのだから。
作品名:和尚さんの法話 「阿弥陀経」 2 作家名:みわ