和尚さんの法話 「阿弥陀経」 1
今現在お釈迦様という仏様が説法を祇園精舎で阿弥陀経を説いているが
今その時点で極楽でも同じように阿弥陀様も説教していなさるということですね
ここで極楽の情況がが出てくるのですが
極楽というのはもの凄く広くて
仏様の身の丈も、ず~~っと大きくて高いのです
極楽だけじゃなくて 仏様の浄土というのは何もかもが広くて大きいのです
そういう国が出てきますが
舎利弗(しゃりほつ)彼土何故(ひどがこ)名為極楽(みょういごくらく)
国衆生(ごこくしゅじょう)無有衆苦(むうしゅく) 又舎利弗(うしゃりほつ)
舎利仏かの国は何がゆえに名付けて極楽とする
その国の衆生諸々は苦あることなく
ただ楽のみを好んで極楽という
極楽へ行くと皆 仏様のおかげで煩悩を無くしてくれますからね
煩悩が無いと苦しみが無いということです
ただ諸々の楽のみを説くのですね
極楽国土(ごくらくこくど)七重欄楯(しちじゅうらんじゅん)
七重羅網(しちじゅうらもう)七重行樹(しちじゅうぎょうじゅ)
かの御仏の国には七重の欄と、ありますがこれは回廊の手すりですね
そして七重羅網とは 七重の羅網とありますが
これは網だと思うのです
極楽にはいろんな木が生えていて 例えばその。。
クリスマスのツリーのように
木に網がかけてあるような、電気がいっぱい付いたような
そういう感じではないかと思うのです.....
そして七重の行樹とは並木ですよね、ずーっと並木があるのです
皆これ四宝をもって、周巾囲繞とありますが
四宝と言うのは金、銀、瑠璃、玻黎 そういう宝物で出来ています
だから極楽の木は植物じゃないんですよね
金、銀、瑠璃、玻黎と、そういう鉱物が出てきているわけです
極楽というのは霊界ですから物質の世界とは違うんですよね
霊界というのは物質の世界じゃないんだけど
物質を現そうと思えばいくらでも現すことが出きるのですよね
そしてその現れた物質に手を触れると まるでこの世の物質と似ていて
同じような感覚がするし、匂いもこの世と同じような匂いがします
とにかく霊界というのは何でも思うようになるわけです
とくに悟りが高いほど自由自在になるわけなんです
とにかくそういう浄土が極楽へ行くまでにこれより西に十万億仏の後にある
これより先に十万億の仏の世界がずーっと、続いているわけですね
その十万億仏の向こうに極楽があると、こういうのです
で、そのひとつの浄土の面積がもの凄く広いんですよね
仏の身丈も、もーの凄く高くて大きいと、こうお経には書いてますね
又舎利弗(うしゃりほつ) 極楽国土(ごくらくこくど)
有七宝池(うしっぽうち) 八功徳水(はっくどくすい)
充満其中(じゅうまんごちゅう) 池底純以(ちたいじゅんに)
金沙布地(こんしゃふじ) 四辺皆道(しへんかいどう)
金銀瑠璃(こんごんるり) 玻黎合成(はりごうじょう)
上有楼閣(じょううろうかく) 亦以金銀瑠璃(やくいこんごんるり)
玻黎車渠(はりしゃこ) 赤珠碼碯(しゃくしゅめのう)
而厳飾之(にごんじきし) 地中蓮華(ちちゅうれんげ)
舎利仏、極楽国には有七宝池ありと、七宝とは金銀瑠璃と
七つの宝ですわね そして池があると
八功徳水その中に充満する 八功徳水とは非常に澄み切っては清いということですね
お経には清涼とありまして いろんな功徳が備わった水という意味でしょうね
そして池の底には金砂でもって、敷き詰めてあり四辺に皆道あり
金 銀 瑠璃 玻黎 赤珠碼碯をもって、合成せり また地の中には
蓮華が咲いており 大きさは車輪の如し、大きな蓮の花が咲いているんですね
青色には青い光あり黄色には黄光あり赤色には赤光あり白色には白い光あると
微妙香潔なりと、舎利仏、極楽国土にかくのごとき功徳をもって成就せり
舎利仏彼の仏の国土には常に天楽が奏でられており
天には常に音楽を成す、天人がいつも音楽を奏でてると
黄金を地と成せり、昼夜六時 昼夜六時とはインドの一日を六つに割るんですね
日没 初夜、昼夜、後夜 近業(文字が解らないのでこの文字で書きます)
日中 また日没と、六つあるんです 四時間ですわね 六つに割ったら
このように昼夜六時というのがお経にはよく出てくるんです
そういう呼び方がありましてね
昼夜六時に曼陀羅華の蓮の華が天から降ってくると、いうことは四時間ごとにですね
絶えず降ってくるということです、そこでそのお花を沢山持って
十万億仏の仏様に供養をしに行くというのですね
神通力で飛んで行くから早いですけどね
朝の食事前に、朝飯前に行って帰ってくるんですね
そして本国に至りて、極楽へ行って帰ってきて食事をして経行する
経行とは静かに歩くんだそうです
舎利仏極楽国土には功徳荘厳 成就せり、また舎利仏 彼の国には常に
種種奇妙 雑色之鳥ありと、非常に珍しい娑婆では見たこともないような
いろんな色合いの鳥があってその名前が白鵠孔雀 鸚鵡舎利(おうむしゃり)
迦陵頻伽(かりょうびんが)と、こうあるのですが
我々には見たこともない鳥ですね
その鳥が昼夜六時に出和雅音、なんともいえない綺麗な声で鳴くというのです
その声、五根五力(ごこんごりき)七菩提分(しちぼだいぶん)
根というのは肉体がありませんからねぇ。心の世界ですから
根と言っても解りにくいのですが根性をいう言葉がありますね
あれもこの根からきてるそうですよ
それは修行の力ですよね精神的な力、それが五根あるということですね
そして、五力というのはこの五根の修行が足りて完全に悪から脱してしまう
五根にはそれだけの力があって悟って煩悩を断ち切ってしまうということですね
五根の業を積んで悪を破る力という解説になてるんです五力というのは
その次に八聖道分というのは正見 正思惟 正語 正業 正精進 正念 正定 正命
正命というのは昔のお坊さんは托鉢をして
托鉢によって与えられたものを食べる
それが修行者の生活でしたそれを外したらいかんということです
そういうふうに鳥が説法するのです
其土の衆生はこの音を聞是て皆ことごとく仏を念じ、法を念んじ、僧を念ずと
その声を聞いて極楽へ行くと目に入るもの
耳に入るもの全て功徳になって仏の道に叶っていって
仏の道に修行が進んでいくというそういう世界を極楽という
阿弥陀様の神通力によって、だんだんと阿弥陀様のように仏になっていくと
こういうことですね
我々が修行をしたらいずれはこの阿弥陀様のように
如来になれるというのが仏教の教えなんですね
終局的には皆が如来になれるということです
菩薩様方や如来様方が皆が如来になれるようにと救済しているのです
とにかく仏教には最高のもうこれで完成した
もうこれ以上修行も何もないと方々を仏とこういうのですね
そこに行くまでに声聞 縁覚 菩薩 仏とあって
声聞にもいろんな段階があって菩薩にも幾つも段階があって
その段階を踏んで踏んで我々が修行をして仏になれるまでに
三無限百劫かかるということです三阿僧祇劫と百劫
阿僧祇劫というのは無限ということ
三つの無限の修行をしてそして更に百劫の修行を終えて
作品名:和尚さんの法話 「阿弥陀経」 1 作家名:みわ