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和尚さんの法話 「阿弥陀経」 1

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はじめて我々は如来になれるというのです
これはもう簡単には仏にはなれませんね

とにかく三つの無限の時間の修行をして
それから更に百劫

この百劫の時間は
一劫というのを計りますのに一辺の長さが160キロ高さも160キロの
大きな岩があると仮定してそして百年に一度天人が天から降りてきて
そしてその石の上を羽衣で擦って飛んでいくそうです

百年ごとに降りてきてそうしてその石が磨り減るそうです
それが一劫だということです 
ですからそれの百劫でしょ
それから三阿僧祇劫でしょ
それだけの修行をしてはじめて如来になれるというのです

だからお釈迦様もそれだけの修行をしてずーっと積んできて 
そうして如来様になられたわけであって
昨日や今日 修行して仏になれるいうような 
そんな、とてもとてもそんな簡単なもんじゃないということですね

ところが極楽へ往生したら その分だけ阿弥陀様が切り取ってくれますのでね
ある程度その下の方の修行をせんでも上の方から修行してたらいいわけです

だから極楽へ行って修行しないことには
はじめからずーっと一からやるとなると、とてもじゃないが大変なことですね

禅定という修行がありますが
仏教というのは霊魂不滅であるから 
その霊魂が神通力を開いたら禅定に入って 
肉体の中から飛んで行って自由に出たり入ったり出来るので
仏様になってなくても修行を積んでいくと
そういう能力が出てくるんだそうです

極楽にはいろいろな鳥がありまして
その鳥がいろんな楽器を使って音楽を奏でるというんですね。
その鳥の声を聞いていたら念仏 念法 念層の心を超すのです。

業が深くて鳥に生まれ変わると
あるいは犬に生まれ変わる 魚に生まれ変わるというのは
みなこれ業によって生まれ変わるのですね。

しかしながら極楽にいる鳥は決してそういう業によって
生まれ変わるのじゃないんだということです

阿弥陀様の神通力によって作られているのです

舎利仏その仏の国土にはなお三悪道の名もなし 
もろもろの鳥はみんな これ阿弥陀仏の法音を知って宣流せしめんと欲して
変化して作りたたまえるところなり

阿弥陀様の極楽国土には三悪無し、地獄 餓鬼 畜生が無いというのです

地獄 餓鬼 畜生の名前も無しこの諸々の鳥は阿弥陀仏の神通力によって
化身してる。仮に表してるんだということです

そしてその鳥の声を聞いたものは念仏 念層 念法の仏の心を起こすように
仕向けているんだと、そういうふうに阿弥陀様はなさっているのです

舎利仏かの仏の国土に微風吹きて諸々の羅網を動かして微妙の声を出だせり
譬うれば百千種の楽を同時に ともに作すがごとしと
いろんな楽器を使っていろんな音楽を奏でると、そういうふうに聞こえると
聞くものには そういうふうに聞こえるというのです
この声を聞く者はみな、自然に念仏念法念層の心を生ずと
極楽へいけば見るもの聞くものみんな仏の心になっていくのですね 
その声を聞いたら みんな修行しようという気持ちになっていくのですね

舎利仏その仏の国土にはかくのごとき功徳荘厳を成就せり、
舎利仏なんじが意においていかに彼の仏を何がゆえ阿弥陀と名つけたてまつれる

阿弥陀という意味はどういう意味かわかるかと、舎利仏に聞いています
それは彼の仏の光明無量にして十方の国を照らして障疑するところなし
是のゆえに名つけて阿弥陀とせり 

光明という意味で光明は十二種類の光の名前があり彼の仏の国の光明は
無量にして十方の国を照らして障げすることなし

光の届かないところは無いんだということです
このゆえに名つけて阿弥陀とせり
また舎利仏彼の仏の寿命およびその人民無量無辺阿僧儀劫なり

阿弥陀様の極楽へ往生しているものは無量無辺阿僧祇劫なり
我々の算数では数えることの出来ない数字だそうです
無限という意味ですね 

阿僧祇とは無限という意味になりますので極楽へ行くと無限の命を頂くのです

故に阿弥陀と名つく
舎利仏 阿弥陀成仏よりこのかた今において十劫なり 

仏教は皆仏に成れるという教えです
仏というのは如来ということです。その数は無量の数、浜の砂の数ほどあり
その仏様は、はじめから仏様じゃなく我々衆生が修行をして
だんだんと位が上がっていって、そうして如来になれるということです

如来になると完全無欠な人格者ということです

だからそれは人間だけではなくて犬でも猫でも鳥でも虫でもですね
皆仏になれるということです

業が深いから今は魚であり犬であるけどやがて縁が熟して修行をしてきたら
まずは人間になってそれからだんだん修行をするのですが
まずは人間にならんと法を聞く能力がないですね



阿弥陀経 2へ続く