小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

和尚さんの法話 「恩を仇で返す」

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

そういう間違ったことをすると怖いですね。

とくに墓とか先祖とか信仰に関することですからね。


『仇を恩で返した』

恩を仇で返すといいますが、仇を恩で返したという人もいるわけです。


塙保己一(はなわ ほきのいち)という人をご存知と思いますが、
幼少の頃から視力が弱くて、7歳くらいのときに失明をしてしまったんですね。

それであん摩さんかなにかの修行をしていたわけですが、すごく頭がいいんですね。

それからいろいろ勉強をして学者になったんです。

目が見えないので全てを暗記したんですね。

それで生徒に教えるわけですが、生徒は目が見えるから本を見るわけです。


そして夜、生徒に本を読んで教えている最中に行燈の火が消えたんですね。

塙は目が見えないからそんなことは分からないので読んでいる。

すると生徒が先生、今行燈の火が消えたのでちょっと待って下さい。

行灯の火を灯すのでちょっと待ってくださいというと、塙は、なんと目明きというのは
不自由なものじゃのおと言うわけです。



その人が、まだあん摩さんをしていたときに、道を歩いているときに下駄の鼻緒が切れ
たんです。

それで近くの家に、鼻緒が切れたので、なにかハギレか何か頂けませんかと言った所
が、そこは版屋なんですね。


今でいう出版屋ですね。

ところが、けんもほろろに扱われるわけです。

それから後に、大学者になって文書類を出版して残すために世間に出すわけです。

そのときに、前に鼻緒が切れたときに行った版屋へ頼みに行くわけです。

ところがその版屋は昔に来たあん摩さんだということを知らないんです。

偉い学者が来てくれたというので大喜びするわけです。

たくさんの本を注文してくれたんですからね。

塙は、昔追いやられた版屋だとうことは分かってるんだけれども、そこへ行くんです。

この塙保己一という人は般若心経をもの凄く読んでるんです。

今までに日本にこれだけの巻数を読んだ人はいないだろうというくらいに般若心経の数
を読んでるそうです。だから仏教のことも分かってるんですね。


それでその版屋へ頼みに行くわけですが、昔はあん摩さんで、という話をするわけで
す。

それでその版屋はもの凄く恐縮するわけです。

これをご縁にどうぞ宜しく頼むと塙が言うわけです。

ですから損得なしに一所懸命にやったわけです。

普通だったら昔あんな扱いを受けたら頼みに行かないですよね。

ところが、そこへわざわざ頼みにいったんですから。

ちょっと出来ることじゃないですね。


『前世の不徳』

目が不自由ということは、それは前世の不徳ですわね。

それはそれですけれども、この世の行いはいいから、来世の運勢はいいでしょうね。

人に大勢に教えてるんだし、般若心経も読んでるんだし、心掛けは宜しいし、だから来
世は宜しいでしょうね。

これは仇を恩で返すと言ってもいいと思いますね。



インドにガンジーという人がいましたね。

あの人は無抵抗主義で、何かあったらストばっかりやったんでしょ。

ところが暗殺されましたね。

撃たれて倒れるときに、自分を撃った人の罪を許してやって下さいと、罪を祈ったとい
うんですね。祈りながら倒れたそうです。立派なことだと思いますね。



目連もそうですね。殺されるときに、殺した相手にそっちへ逃げたら仏教教団の仲間が
来るからこっちへ逃げなさいと言うて、その外道を逃がすんですね。

若し自分が誰かに殺されたとして、こっちへ逃げなさいと言えるでしょうかね。

こういうふうにいろんな話を聞いて知ったら、実行すべきですね。

なるべくそうしようと自分に鞭打ってるんですがね。

或る罪の深い人が来たとしますね、人相書きを見ると、ああこの人やなと分かるとしま
すね。

その場合は警察に通知しないといけませんよね。

ところが仏教からいいますと、通知するんじゃなくて、説教をするんですね。

そして自首を勧めるわけです。


手配されてる悪人を通知するということは法律ではそうなんですが、仏教ではそうじゃ
ないんですね。

告げ口をするというのか、そういうことは悪いことになってるんです。

以前にもお話しましたが、ジャンバルジャンがパンをとった罪で長い罪になるんでし
ょ。そして刑を受けて出てきたら人は白い目で見ますね。

そして行くところもなくて協会へ来るんですね。

そして一晩泊まるんですが、一番いい部屋へ泊めてあげたんですね。

そして自分は部屋の隅へ寝るんですね。


ところがジャンバルジャンは、世間から白い目で見られているのでひがんでるんです
ね。
親切でしてくれてるんじゃなくて、自分を奥の部屋へ泊めておいて自分を逃がさないた
めに牧師が入り口の隅の方へ寝てるんだと解釈するんですね。

そうじゃないんですね、牧師さんは例え罪のある者であっても神の子だと、そしてお客
さんだというのでそうしたんですね。

ところがジャンバルジャンは、その夜に銀の職台をとって逃げるんですね。

そして警察に捕まるんですね。

それはどうしたんだと質問をされて、食べる物も無いので貰ったと嘘を言うわけです。

それで警察の人と一緒に協会へ確かめにいくわけです。

昨夜は泊めてあげましたと。それでこの職台を持ってるが、これは牧師さんがあげたん
ですか。と聞くと、

はい。あげました。本当は獲られたんですけどね。

それで逃がされたんですね。

それから真人間になって心を入れ替えたんです。

これは、ああ無常という小説の話ですね。

それから生涯その精神を通すんですね。


『殺生』

私たちは神仏を拝みますが、拝んでて陰で悪いことをしてると具合が悪いですよね。

いつも拝むと守ってくれますから、遠くに離れていても神仏は分かってますから、
あそこであんなことをしているなあと、見て嘆きますよ。

悪いことといいますのは、人を騙してもいけませんし、物をとってもいけませんし、
人をののしってもいけませんし、殺したらいけませんし、いろんなことがありますけれ
どもね。

それは我々凡夫は皆守っていくのは難しいですけれども、それを守らんと仏に成れませ
んよね。

いつかは皆、なくしてしまわないといけませんのですが。

出来ないからといって甘えたんじゃいかんと思うんですよね。


法然上人は、罪は十悪五逆も生まれると信じて小罪をも犯さずと思うべしという言葉が
ありますね。

極楽往生のためには、十悪。阿弥陀様は十悪の者でも救うといってるんですよ。

五逆罪も本来なら救われないという重い罪ですが、それでも阿弥陀様は救うとおっしゃ
ってるんです。

たとえ親を殺したとしても、本当に阿弥陀様を信仰してたら必ず極楽往生させて頂ける
んです。

我々は五逆罪は犯してないでしょうけど、ほとんどのことはやってますよね。

その罪は救われるんだと法然上人は言ってるんですよね、それを信じなさと。

然しそれを信じたらそれでいいわと思ったらいけません。

ちょっとでも罪を犯さないでいようと思いなさいとおっしゃってるんです。