どうってことないさ・・ (1)
ドン先生が、いきなり俺の頬っぺたを打った。
「今度会ったら、こうしてやろうと決めていたんだよ。」
年甲斐も無く、声を上げて泣きながら、
俺を身動きできないほど抱き締めながらそう言った。
「どうして黙って行ったの?」
「・・まあな・・・・」
「まあな・・、で4年も?」
久しぶりに見るチャイリンは、21歳の誕生日を迎えようとしていた。
金の牛
山の住人は、30人ほどになっていた。
畑には、カサバが植えられ、
田圃も何枚か増えている。
そして、
小さいけれど、子供たちが学ぶ教室も・・
生徒は、5~6人。
みんな、遠くから来て、
教室の隣の小さな部屋で寝起きを共にしている。
「ぼくの家は、此処から歩いて5時間くらい・・」
「わたしは、・・よく分からない。・・山を幾つも越えた処。」
勉強するというけれど、
大抵朝から晩まで遊んでいる。
そして、寝る前に少しだけ夢を語り合う。
「金の牛を探すんだ・・。おねえちゃんが見た、金の牛・・。」
何の事だか分からない。
「だから、おねえちゃんが見た、金の牛だよ。」
そう言ってケラケラ笑う。
(大丈夫か、こいつ・・?)
この辺りの伝説らしい。
時々現れるその牛を見た者は、
とても幸せに成れるそうだ。
「エミーのおばあちゃんが、見たと言ってた。だから、エミーの家の近くで待てば、多分見る事が出来る。」
(そうかい・・・)
そう話していた子が、翌日熱を出した。
「ちょうど良い。あんた、この子を担いで・・・」
(村まで下りろってか・・?)
軽い。
日頃、農作業を手伝う彼は、もっとがっしりしている感じだったが、
背中でぐったりしている彼は、
想像以上に軽かった。
何だか、急に切なくなって、愛おしくなって・・
俺は、
介添えのおっさんが追い付けないほど村まで急いだ。
足かけ二日看病して、起き上がれるまでに治った彼は、
「やっぱり、居たよ。・・金の牛を見たんだ・・・その牛が、ぼくを運んでくれたんだ。」
「そうかい・・良かったな。」
その子は、嬉しそうに頷き、またスヤスヤと眠り始めた。
(分からない・・・)
こんな処の 日常
村に一つの大きな家が出来た。
隣も、その隣も、そのまた隣も・・
粗末な造りの、天井の低い二階建て。
大きな家に住み始めた農夫は、その日から仕事をしなくなった。
「娘が、稼いでくれるから・・」
毎月、数個の大きな段ボール箱が届き、
農夫は、家族と共に箱の中を覗き込む。
最初は、無関心を装っていた近所の人たちも、
次第に箱の中味が気になり始めた。
あらゆる電化製品、ピカピカの鍋、柔らかい衣服・・
夜は、遅くまでテレビや音楽に興じ、
食事の支度は、その家だけ煙を出さない。
半年ほどして、
娘は、日本人を伴って帰って来た。
「こんにちは。こんな処に、日本人が居ると聞いたものだから・・」
(あんたも今は、こんな処の日本人だろ・・?)
「いや~、暑いですね~・・。汗びっしょりだ~・・」
その中年・・というか、老境の半歩手前の男は、
教会の隣の家を見回しながら言った。
「それで、こんな処で何をしているのですか?」
(あんたに答える義務はない。)
「教会の手伝いなどして、暮らしているそうですね?」
(聞く前に、知っているじゃないか・・)
「どうですか、此処は・・?」
「何が・・ですか?」
「いや・・こんな処で、退屈しませんか?」
「あなたは・・?」
「いや、私は、此処には、少し居るだけだから・・」
浮かれている。
まるで、お殿様にでもなった様な気分なのだろう。
この村を出ていた頃、街でこの手の日本人に何度か出逢った。
みんな、同じ顔だ。
そして、ある種の病気だ。
魘されている事に自覚が無い。
この国の強かさが分からぬままに、
一気に殿さまに・・
「何処か、面白い処を案内してくれませんか?」
「彼女と行けば・・?」
娘は、なにやら用事でマニラに出掛けているらしい。
俺は、男を海に連れて行った。
「うわぁ~・・広いな~・・」
男は、すぐに泳ぎ始めた。
俺は、浜辺に座って男を眺めていた。
どんどん沖の方に行く男。
(ざまあ見ろ!。こんな処とバカにして・・この海の怖さが分からぬまま水に入るから、そうなるんだ。)
男が手を振りながら、何か叫んでいる。
「なんて言ってるの?」
「Help me ! ・・だって・・・」
チャイリンが、慌てて浜辺にいる漁師に舟を出す様に言った。
「ひゃ~~、参った参った・・。いくら浜辺に戻ろうとしても、どんどん沖に持って行かれるんだもの・・」
「ああ、此処は太平洋。入江でもないし、波の力は半端じゃないから・・・」
「あんた、それを知ってて何故教えてくれない?」
「ああ、俺が言う前にお兄さんが海に入ってしまったから・・・。そうだ、助けてくれた漁師さんに200ペソほどお礼を・・」
次の日から、
俄か殿さまは来なくなり、
こんな処での俺の日常が戻った。
続く 夢
近所の人達が、三々五々集まる。
家の中に入ったまま、長い時間ひそひそと・・
その人達が、動き出す。
出入りする度に、俺の方に目をくれる。
庭に立ち尽くした小さな俺は、
得も言われぬ不安に襲われ、
大きなすり鉢の底から上を見上げる一粒の胡麻みたいだ。
壁が邪魔して、周りが見えない。
どんよりとした空の色。
ばあちゃんが、死んだ。
ただ一人、俺の理解者。
言葉にする前に、
姿や格好を目にする前に、
無条件で味方してくれる。
その人が、居なくなった。
「おじさんの処へ行きな。」
訳が分からないけど、頷いた。
そして、歩いて行く俺は、
途中でばあちゃんを見た。
向こうの道を
何時もの様に、何時もの着物で歩くばあちゃんを見た。
声を限りに叫んだが、振り向かない。
俺は、走って追いかけた。
いくら走っても、ゆっくり歩くばあちゃんに追い付けない。
でも、一生懸命走って、
やっと、ばあちゃんの着物の袖に手が届き、
嬉しさと腹立たしさの両方で、
力任せに引っ張った。
途端に、俺は、谷底へ落ちた。
・・・またか・・。
何度こんな夢を観て目覚めればいいんだ・・
そして、また、汗。
そして、必ず眩しいほどの陽射しの中。
そして、そして、
こんな朝に限って、
「未だ寝てるの・・?」
(どうして、こうタイミング悪く声を掛けるんだ・・)
返事をしないでいると、
「まだ・・治ってないの・・?」
此処を離れる前にも何度か有った。
その度に俺に怒鳴られて・・
それが、今は、静かに聞いてきた。
「おじさんが、言ってた・・」
「なんて・・?」
「きっと、変な薬の所為・・」
不安そうに見つめながら、図星かどうか窺っている。
俺は、急に可笑しくなった。
「どうして、笑うの?」
「お前が、バカだから・・」
その夜、俺は、神父とチャイリンに全てを話した。
何故、この国に来たのか、夜更けまでかかって話をした。
過程
何時も聴いていたシンガーのカセット・テープ。
何度も何度も回すものだから、
聴いてる途中で切れてしまった。
作品名:どうってことないさ・・ (1) 作家名:荏田みつぎ