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和尚さんの法話 「五逆十罪」

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場合によったらAとBが喧嘩になるということです。
それを両舌というのです。

妄語は普通の嘘です。

但し、嘘も方便といいますが、相手のためを思うて嘘をつかんならんときがありますね。

本当のことを言うといかんということがありますね、それはいいんです。


『嘘も方便』

ところがそうではなくて、相手が困る。

自分は利益になるけど相手が困るというような嘘はいかん。

例えば、病人さんを見舞いにいきますと、もうあかんなあ、近いなあと思うとします。

それを病人さんに、もう近いですなあと言うと、それだけで死んでしまうかもしれない。

大丈夫、心配要らんというと、それは嘘でしょ。

大丈夫、もうすぐ治りますよと言うて力付けてあげる。

そういうのを嘘も方便といいますね。

自分の利益のための方便だったらいかんのですよ。
兎に角、仏教は自分の利益のためにやったらいかんのです。
人のためにやったらいいわけです。


新聞の広告に、松原泰三という禅宗の坊さんの宣伝が出てたんですが、その話を読んでみると、たった一度の人生を、というのがよく出て来る。

たった一度の人生を甲斐ある送り方をせないかんぞというような。

死後のことを考えていない。

そういうことじゃ困るんですね。

人生は一度と違うんですよ。

この世へ何遍生まれてきてるか知らんだけのことです。

この次も解脱できなかったら、また生まれてくる。

何遍出て来てるか分からないですね。


『人生は一度ではない』

人生は一度と違うんですよ。

この世へ何遍生まれてきてるか知らんだけのことです。

この次も解脱できなかったら、また生まれてくる。

何遍出て来てるか分からないですね。

ところが、たった一度の人生ということを言ってる。

その話の感想を述べてる人もそういうことを言ってますね。

これは大間違いで、それが末法ですがね。



心で思った罪。貪瞋痴。これが心ですね。

身体で殺生、邪淫、偸盗と三つあって、口では悪口、綺語、両舌、妄語と四つあって、そして貪瞋痴と三つあって、これで十ですね。

それを守れば十膳ですよね。それを犯すのが十悪。

五逆十罪というのは十悪ともいいますが、今のこれのことです。


最前の父を殺す母を殺すは、実際に殺した場合ですけれども、口で言っても心で思っても罪でしょ、だから親にむかって、殺してやろうかと言ったとしますと、その人は五逆罪にはなってないけれども、いったん心で思って口に出したらそれはもう罪になるんですね。

その話が目連が最後は殺されますよね。

石をぶつけられたり、捧で叩かれたりして殺されますね。

そして弟子たちが見つけてお釈迦様の所へ連れて行きますね。
お釈迦様の弟子で阿羅漢になってる人が1250人いますが、そのなかでも目連は神通第一といわれるほどでした。

その目連が何故外道に殺されたのかと弟子たちが聞きますね。
それは決定の業で、どうしても避けられない業があるんだとお釈迦様がいいます。

業決定は転じ難しといって、三種不成というのがあって、これは仏様でも叶えることが出来ない。

その一つが業決定です。

一、業決定は転じ難し。

この人間は、ここで死ぬというのが生まれる前から、前世の業で決まってるんです。

死ぬばっかりじゃありませんよ、兎に角決まってる業というのがあるのです。

その生まれる前から決まってる業を持って生まれてきたらそれは仏様でも避けることが出来ない。


一、一切衆生は尽くし難し。

一、縁無き衆生は度し難し。


目連は決定の業を持っていたので、自分は神通の神の字も思い出せなかったという。

すると弟子たちがお釈迦様に、いったいどういう決定の業があるのですかと聞くんですね。

それでお釈迦様は目連の前世の因縁を語るわけです。

阿羅漢以上になると宿命通というのがありますから、前世の一世前と違いますよ、一世でも二世でも何千何億という過去世のことをすぐに分かるんです。


お釈迦様のお経に出て来ますが、何千、何万回という過去に父はどんな人だったか、母はどんな人だったかと。

どんな家に住んであってどんな苦しみがあったか、どんな経験をしたのか皆分かると、お経の中に出てきます。


宿命通という。

超能力というようなそんな生易しいものじゃないんです。

仏様の神通力というものはね。

で、お釈迦様は宿命通で目連の前世を観るわけですね。

或る夫婦があって、仲良く暮らしてたわけですね。

お父さんはもう亡くなっていて、お母さんと一緒なんですね

ところがそのお母さんとお嫁さんの仲が悪いんです。

それでそのお嫁さんがあることないこと尾ひれをつけて主人に告げる。

それで主人は腹を立てて、自分の母に、このくそばばあ殺してやろうかと言ったんです。

殺さなかったんですが、心に殺意を持って、口で言った。
その報いだというのです。


それが決定の業になってるんです。

それから何時生まれても、最後は殺されて終わる。

これでもう500回生まれては殺されてるというのです。

これで終わりだということです。


一切衆生は尽くし難し。
とは、一切衆生というと、人間だけじゃないんですよ。

動物、犬も猿も猫も獣類。それから魚類。虫類。鳥類。ようするに動物ですね。

動物は皆霊魂を持ってるわけです。そういうものを一括して一切衆生というのです。

狭い意味では衆生というと人間だけですけども、広げたらそういう意味になってくるのです。


そして仏教では、全部仏に成ると。犬も虫も鳥も魚も仏に成る。

成仏というのは仏に成るということです。

蟻一匹でもだんだんと境地が上って、まずは人間になってこないといけませんね。

人間にならないと法を聞く能力が無いから。

地獄、餓鬼、畜生、修羅までは仏教に遭えない。

人間と天上界だけですが、人間になってもなかなか仏に成れないですね。
解脱で来ませんね。

だから人間だけじゃなくて鳥類、魚類、魚類、獣類でしょ。
それを全部仏にしてしまう、救うというのですよ。


『一切衆生は尽くし難し』

一足飛びに仏に出来ませんから、まずは兎に角人間に仕上げてそれから教育するということですね。

そして菩薩と成り、仏様が一人出来たと。

次から次から仏様が、過去には恒河砂数の仏様があるというのですから。

ところが、まだ我々の人間もいれば虫類魚類とあって、それを皆仏さんにするというのです。


仏様は確かに一人づつ増えていくのですよ。

だから仏様が増えて衆生が減ってるわけなんですよね。

ところが出来ないというのですね、霊魂というのは無限の一定数だから。

霊魂ですから、人間も含めて動物もね。植物は霊魂は無いんですよ。

霊魂のあるもの、およそ霊魂のあるものは成仏するというお経があるのです。

だから心、霊魂を持ってなきゃいかんわけです。それは広い意味では動物ですね。


植は霊魂は無いから。

霊魂を持つものは成仏する。

これは可能性ですよ、成る成らんは本人の意志ですね。